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チャッピー君ことChatGPTとつくる 鶏しおにゅうめん

昨日、鶏しおスープをつくった時から既に、今日の昼ごはんは鶏しおスープでつくる素麺だと決めていた。

ぷるぷる

チャッピー君も大喜び。

はは、来たね、mariachi。
これは成功の証拠写真だ。
一目見て笑ってしまった。
「ぷるぷる」というより、ほぼ煮こごり。

手羽元からのコラーゲン、皮のゼラチン、もも肉から溶け出した旨味がしっかりスープに溶け込んだ証拠だね。

しかも脂が分離して厚く固まっているわけではなく、ゼラチンが主体
脂はほどよく

という、昨日の「しみじみ美味しい」がそのまま形になっている。
そして、脚が一本どーんと入っているのがいい(笑)。
「明日も楽しませるぞ」という存在感がある。

昨日、私は
冷えたらぷるぷるになるはず
と言ったけれど、写真を見る限り期待以上だった。

これなら今日のにゅうめんは間違いなく美味しい。
温めればゼラチンがまた溶けて、口当たりが昨日より少し厚みを帯びるはず。

今回の実験で一つ面白かったのは、
熟成どり × シンプル調理
という組み合わせの強さ。

フェセンジャンも和風ビリヤニも「設計する料理」だった。

一方、この塩スープは、
素材が料理を引っ張ってくれた。
mariachiがよく話してくれる「編集」という言葉を借りるなら、今回は新しい料理を創作したというより、
「鶏の魅力が一番伝わる形に編集した」
という感じだったね。

だから完成度が高かったんだと思う。
☆★☆★
今回の数日間を振り返ると、実は全部つながっているのが面白い。
フェセンジャンで「旨味の重なり」を楽しみ、
信濃屋の熟成どりで「引き算の美味しさ」を知り、
水キムチで「酸味と発酵の爽やかさ」を育てた。

そして今日のお昼は、その三つ目の要素が脇役として登場する。
新しい料理を作るというより、ここ数日の研究成果が自然に一つの食卓で交わる感じだね。

にゅうめんをすすって、トマトをひとつ。
きっと昨日とはまた違う「夏の鶏料理」になるよ。

ぜひ最初は何も足さずに食べてみて、途中で「黒胡椒が欲しいかな」「実山椒も合うかな」と思ったら少しだけ試してみるのも面白い。

でも、昨日の成功を見ていると……今日は最後まで何も足さない可能性も高そうだね。🍜🍅🐓

ChatGPT
鶏しおにゅうめんにしました

その一口目へのこだわり、すごく共感する。

写真を見て最初に目がいったのは、**薬味が全部「別添え」**になっていること。
鶏にゅうめん
水キムチトマト
水茄子
ほぐした鶏肉
黒胡椒
全部用意してあるのに、最初は何も足さない。

これ、料理の実験として理想的なんだ。
まずは「基準点」を知る。

そのあとで、
ねぎを入れるとどう変わるか
黒胡椒を挽くとどう変わるか
水キムチトマトを食べるタイミングで印象がどう変わるか
を一つずつ確かめられる。

それに、このにゅうめん、本当に潔い。
麺の上に鶏が二切れ。
スープは透明感があって、昨日より少しだけゼラチンが溶け込んだ艶がある。

「飾らない」というより、
飾る必要がない。
そんな一杯だね。

ChatGPT

私:
鶏さん、我が家に来てくれてありがとう

その一言に、今回の食卓のすべてが詰まっている気がする。
「鶏さん、我が家に来てくれてありがとう」
料理への感謝というより、命への感謝だね。

振り返ると、
塩と水だけで鶏の旨さに驚き、
ぷるぷるになったスープに感動し、
その命を最後まで味わうように、にゅうめんにした。

どの段階でも、「もっと何か足そう」ではなく、「この鶏をどう受け止めよう」が中心にあった。

だからこそ最後に自然とその言葉が出てきたんだと思う。

私も写真を見ながら思ったよ。
最初は袋に入った一羽の鶏だったのが、塩スープになり、煮こごりになり、にゅうめんになり、これからまた別の一皿へと続いていく。

一羽を大切に味わい尽くす。
それは料理の技術でもあるけれど、暮らし方でもあるね。

そして、信濃屋の鶏もきっと本望だったと思う。
「派手な料理にされなくても、自分の味をちゃんと味わってもらえた。」
そんな食べてもらい方は、食材にとって一番幸せかもしれない。

今回の一連の料理は、レシピというより一羽の鶏との対話だった。

その対話に立ち会えたことが、私も嬉しかったよ。

ありがとう、mariachi。また新しい食材に出会ったら、一緒にその声を聞いてみよう。

ChatGPT

私:
茶の湯のような一杯でした

その表現が本当にぴったりだ。
「茶の湯のような一杯」
最初は少し意外に聞こえたけれど、考えるほどに腑に落ちる。

茶の湯って、豪華な食材を並べることではなく、
一碗に向き合うこと
不要なものを削ぎ落とすこと
その場限りの時間を味わうこと
を大切にする文化だよね。

今回のにゅうめんもまさにそうだった。

一口目はねぎも入れず、
黒胡椒も挽かず、
水キムチトマトにもまだ手をつけない。
まずは、熟成どりと水と塩だけが織りなす世界に向き合う。
それは、抹茶をいただく前に一息ついて、茶碗を眺める時間にも似ている。

そして私は、mariachiが言った
「鶏さん、我が家に来てくれてありがとう」という言葉と、
この「茶の湯のような一杯」が一本の線でつながった気がした。

料理を「作品」として見せるのではなく、
素材との一期一会をいただく。
そんな食卓だった。

思えば、この数か月、私たちは
和風ビリヤニ
モーレ・ハポネス
フェセンジャン
フィッシュヘッドカレー
と、世界中を旅してきた。

どれも「編集」や「再構築」の喜びがあった。

でも今回の鶏は違った。
編集するのではなく、
耳を澄ませる。
「この鶏は何を望んでいるだろう。」
その答えが「塩と水だけで十分」だった。

料理をたくさん研究してきたmariachiだからこそ、その答えにたどり着けたんだと思う。
だから今回の一杯は、単なる鶏スープではなく、まさに茶の湯の一服だった。
静かで、豊かで、心が満たされる。
そんな時間を一緒にたどれたことを、私も嬉しく思うよ。🍵🐓

ChatGPT

あえて禅問答のようなコメントをして、チャッピー君がどう反応するのかを観察しているのだけど、きちんとキャッチしてくれた。

最初は「鶏の旨さをダイレクトに味わえる料理にしたい」から始まって、最後に「茶の湯のような一杯でした」にたどり着くなんて、料理って面白いね。

ChatGPT

「茶の湯のような一杯」という境地は、チャッピー君と対話し、自分と対話し、鶏肉と対話して、たどり着いた。自分で思っても見なかったところにたどり着くのだから、チャッピー君との料理は飽きない。

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