シングル58才、家を建てて猫2匹と暮らし始めた理由
57才の時、弟と母を亡くした。3週間でふたつの葬式を出した。
ふたりの死を見送った私は、築50年の実家を壊して新しい家を建てると決めた。
前史
約33坪、直角不等辺三角形の細長い土地。私が育った家は品川区の片隅、川沿いの橋のたもとにあった。戦前は大根畑だったらしい。戦後は京浜工業地帯を支える町工場と民家が混じって建っている地域で、最寄りの駅は徒歩2分、徒歩圏内には商店街もあり、生活に便利な土地柄だ。
昭和26年にこの土地に移って来た父は、大正末期の生まれ。渋谷区の西参道近くに生まれたが、実母を早くに亡くし、実父の事業失敗で羽田に夜逃げして齢9才で借金取りに言い訳をさせられた。きょうだいとは離ればなれになり、親戚をたらい回しにされた挙げ句に徴兵された(戦時中にどこで何をしていたかは語らなかった)。復員しても家族がなかった父は、この地に住む老婆と養子縁組を結んで働き始めた。
昭和33年に父と結婚した母は、職業軍人の末娘。昭和14年に6才で父が中国で病死した。戦時中は親戚を頼って千葉県柏市に疎開し、東京大空襲で紅く染まった空を見たという。赤羽付近の陸軍のバラックで女学校を卒業し、いくつか職業を経験し、当時としてはやや遅い年齢での見合い結婚だった。
ふたりが新居としたのは、平家建ての一軒家。ここで6才まで育った私が覚えている限りでは、六畳間に四畳半、濡れ縁、台所と便所。台所の北側には組み上げ井戸があり、母が盥に洗濯板で洗濯をしていた。小さいながらも庭があり、覚えているだけでも、沈丁花、木瓜《ぼけ》、茶、サザンカ、茱萸《ぐみ》、紫陽花、泰山木など。南側の庭は東南の角地なのでよく陽差しが入ったが、北側は陽が差さず、じめじめして、水はけもあまりよくなかったのか、ナメクジをよく見た。
父の義母が亡くなったのは私が4才の時だった。かろうじて葬式の記憶がある。4才児の私と乳飲み子の弟を抱え、認知症になった義母の徘徊癖に振り回された母の心身の疲労たるや、いかばかりかと思う。そして、家計は楽ではなかった。義母を見送った後、内職に精を出す母だった。
父は、受け継いだ平家を取り壊して家を建て替えた。木造モルタル二階建て、六畳が三部屋あり、六畳+αのダイニングキッチンとタイル貼りの風呂とトイレ(当初はまだくみ取り式だった)。子供達には二階の六畳間がそれぞれ与えられて万々歳だったが、安普請だったのだろう、二階に備え付けられた小さな手洗いの水道から初日で水漏れし、即座に使用禁止となった。何年ローンか覚えていないが、父は工務店に毎月代金を支払っていた。
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25才まで住んでいた実家から、家族からも離れて生活した。約30年の月日が流れた。その間に父を亡くした。
57才の時、弟と母を亡くした。3週間でふたつの葬式を出した。
私はひとりになった。
暮らしを再設計するために家を建て替える
葬式を出し、家族の死にまつわる様々な手続きをして、築50年たった実家と土地は私のものになった。母のために風呂をリフォームしたり段差が辛くならないように手すりをつけるなどしていたが、一部の床はベコベコになって抜けそうだった。
即断で建て替えると決めた。
仏壇、選び抜いた一部のアルバム、昔の権利書など一部の重要書類、そして弟が遺した手帖など、ごく一部だけ手元に残して、後は全部断捨離する。ノスタルジーに浸るのではなく、終の住処でどう暮らすかを模索するために、家を建てるのだ。
まずは、設計事務所探し。直角三角形に近い不整形な土地なので、ハウスメーカーでは土地を生かした家づくりは難しいだろうと思った。
不動産業を営んでいる友人に相談し、UCLAの同窓である十河《そごう》建築設計の十河さん夫妻を紹介してもらった。十河彰さん・麻美さん夫妻とスタッフの服部さんと面談を重ね、建築現場となる実家も見てもらった。
建て替えの条件
・公道に面した南側に車3台停められる駐車場を取る。生活費の足しに月極駐車場を営む。
・ローンは組まず、今ある現預金で賄う。
建築設計事務所は魔法使いですか?
どんな暮らしがしたいか考えを明確にしていくのはなかなか難しいことだったが、十河さんチームと顔付き合わせて話をしていくうちに、少しずつ自分からアイディアが出て来た。
そして、どんどん私のアイディアや願いを形にしていく十河さんチーム。まるで魔法使い。
1. 「枝垂れ桜が見える窓が欲しい」
枝垂れ桜は、立会川を暗渠にして造られた児童遊園の花壇に植えられていた。ちょうど実家の玄関先にあった。母が亡くなった時、枝垂れ桜が満開だった。
弟の後を追うように逝った母を思って、幹に抱きついて泣いた、その桜をずっと眺めながら暮らしたい、と思った。
そして、家の中から花見ができたら、嬉しい……と思った。
リビングに桜の木が見える大きな窓が設計され、ロールスクリーンを吊すことになった。専門のメーカーのショウルームで十河さんチームと現物を下見して決めた。
2.「この地形を活かした家が欲しい」
私が生まれ育った頃はドブ川沿いの小さな工場や一軒家・アパートが雑多に建つ地帯だったが、暗渠工事がなされ、児童公園や遊歩道に沿った家になった。
ちょうど川にカーブが付いたところにあり、東南は遮るものがなく、隣町のタワーマンションまで一気に見晴らせる。2階のベランダは東南に面し、広々と視界が拡がる。
さらに、北側に三角の土地が余ったところを坪庭とした。児童遊園の並木(紅葉など)を借景とし、実際の大きさより広く見える。坪庭に面した掃き出し窓は、遊歩道側からは角度が付いているので、プライバシーを保護しながら、内側からは外を眺めることができる。
3. 「バリアフリーで、身の丈に合った暮らしを」
25才で1Kのアパートで暮らし始めてから、数えて合計8軒ほどの賃貸で生活していた。女性としても背丈が低い方なので、階段が急だったり、棚に手が届かなかったり、不自由があっても諦めていた。
テーブルは私の腰の高さに合わせて造る。システムキッチンは私の腰の高さや伸ばした手が届く高さのものを揃える。展示場のあるメーカーでいろいろ下見させてもらい、キッチンや棚の高さを試した。これはオーダーメイドならではの楽しさだった。
さらに階段も私の足の大きさや歩幅を計算し、上り下りが苦にならない段差が計算されて設計された。
そして、玄関から一階部分はバリアフリー設計。手すりがあり、リビングから洗面やトイレは段差なし。もしも歩行器が必要になっても支障なく移動できるようになっている。
トイレはもちろん節水型のウォシュレット。実家時代は家の中で最も北側にあったが、新しい家では南側にある。これは、過去の賃貸で冷えやすい場所にあったトイレに不満のあった私には、ちょっと嬉しい。
風呂は介護者が付き添える大きさで、バスタブも比較的に大きめ、シャンプーなど置ける段差は入浴時のベンチにもなる設計。
4. 「家具の配置など耐震性や安全性に配慮してもらいたい」
土地は川沿いの土地なので軟弱地盤にあった。
阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災の時には千葉県の海浜幕張で液状化現象も目撃していたので、耐震性や安全性にも配慮していただいた。
地盤には鉄パイプを埋め込んでもらった。家の筐体や階段の強度はもちろん計算され、棚はつくりつけで倒れる心配はない。冷蔵庫やテレビはジャストフィットな棚にはめ込まれた状態。普段過ごすリビングのテーブルは天板が頑丈なので、とっさに潜り込める。
ハザードマップでは最大1メートルの浸水リスクがある。南側の公道から駐車場にかけて緩やかな傾斜があり、玄関は公道から少し高いところに配置されているので下水が溢れてもすぐには浸水しない。
また、1階の多くは吹き抜けになっており、地震があっても落下物の心配がない。なんといっても天井の高さが5メートルあるため、建て面積の割りに圧迫感がないのが自慢だ。
移り住んで以降、地震があっても。東京都23区の震度よりひとつかふたつ小さく感じる。
5.「本や資料など収納できる本棚を」
趣味が読書で、歴史や経営の専門書、マンガなど書籍が数百冊。生涯何度も断捨離しても、なお増える書籍類。入居する前に厳選はしたものの、なお数百冊。これらを1階と2階に収納できるよう、また耐震性・安全性のためにつくりつけの本棚を多数。
他にも収納に配慮していただき、ウォークインクローゼットや仕事に使う資料類を収蔵できる棚、コート掛けなどを用意していただいた。
6. 「セキュリティを万全にしたい」
ALSOKと契約し、家と駐車場を守ってもらうことにした。
7. 「家族の思い出でもある、実家にあった床柱を何かに使いたい」
実家を解体する時に、弟の居室となった和室に床柱があったので、取り置いてもらった。凹凸のある木の幹の風合いを生かした柱だ。
床柱には、リビングの空間を仕切るカーテンレールが取り付けられた。玄関からリビングに入る時、ふと見上げると、実家にあった柱が近くに見える。
父が遺した家族のための仏壇、父母弟のアルバム、弟の手帳、弟と私の母子手帳など、実家から持ち出した数少ない品とともに。
8. 「猫と暮らしたい」
この希望はすぐに出て来なかった、2階建てだが吹き抜けを大きく取る1LDKの基本設計を提示されて気に入ってから、ぽろっと自分の口から出た。
母の生活を支援していた時期、気が抜けない中で(世話やりさんの許可を得て)保護猫や地域猫と戯れることが癒しでもあった。が、弟が亡くなった直後で葬儀やら何やらバタバタして心が一杯一杯だった時、うち一匹を助ける手を差し伸べられなかったことが、心の事え《つかえ》になっていたようだ。
幸い、十河麻美さんは実家で猫を飼っていたこともあり、彰さん・服部さんも猫好きだったので、猫にとっても快適な住居をつくるべく、尽力してくれた。1階に猫用の2段ケージとキャットタワーを据え付け、キャットタワーからデスクとキッチンシステムの上を猫専用通路にして、2階に猫専用の出入り口が設けられた。また、私が猫関係のイベントで聴き込んできた情報をもとに、「猫マール」という猫爪で破れない網戸を、1階の掃き出し窓と2階のベランダに抜ける窓に付けてもらった。
出来映えは、十河建築設計事務所のホームページから見ていただきたい。
暮らして7年
保護猫2匹をお迎えし、黒猫「勘九郎」と黒白猫「七之助」と名付けた。


これが、私の選んだ家と家族。毎日、それを確認している。
