何度でもしたい話|誕生日は親のためのイベント
もう20年以上前のこと。
第一子。生まれたのは15時近く。
母子別室。
翌日昼まで赤ちゃんと面会できなかった。
初日だけ、授乳時間のスタートが決められていたからだ。
半日も赤ちゃんに会えず、わたしは面会まで、ベッドで寝てるだけ。
歩いて新生児室にも行けるのに、手を触れられない。
すぐそこにいるのに。
ずっと一緒にいたのに、切り離された。
さっきまで体の中にいたのに。
わたしは、産んですぐ赤ちゃんの世話を放棄したいと思う哺乳類ではなかったのだな、と思った。
あの時一番、自分は動物なんだと思った。
第ニ子は、バースプランを聞き入れてくれる産院を選んだ。
今度は立ち合い出産。母子同室。
陣痛って、ドラマだと「うっ」となってすごい眉間にしわを寄せて痛がってるけど、たぶん違うと思う。
最初は、痛くない(これは人によって違うかも)。
それまでにも何度も「お腹が張る」と現象があるのだけれども、それとも違う張りが来る。
静かな波が来て引く、という感じ。
「通常の張り」と「陣痛」の違いって、わかるのかなと思ってたけど、意外とわかる。
通常の張りが
「えーん、えーん、ここからでたくないよ~」という駄々をこねていた赤子なら、
陣痛は
「これからそちらへ向かいます。」
と静かに決意を表明した感じなのだ。
時間を測るときっちりした間隔になっている。
その時点では、痛くはない(わたしの場合だけかもしれない)。
夜中、夫と産院へ行き、明け方まで陣痛室(たしか分娩室ではなかった)で、普通に談笑していた。
あーなんかちょっとウン〇出そうだからトイレ行ってくるわーと言って事を済ませようとしたけど、それは出なかった。
「まだ痛くないの?」と夫。
「うん。まぁ、そうでもないね。」と言ってもう一回ベッドに上がり、寝転がったとたん「ボンッ!!」と破裂音が聞こえ、股の間から水が流れた。
そこからは、わけがわからないほどの「いきみ」が勝手に来て、慌ててナースコール。
ナースコールのボタンはこんなときのために、目の前にぶら下がっていたのか。
余裕も何もなかったのに、そんなことだけは考えられた。
痛いとも苦しいとも違う、ただ強力な波のような陣痛が来て、また来て、あっという間に部屋中に産声が響き渡った。よく通る声だった。
きっとオペラ歌手になるな、と思った(ならなかったけど)。
妻の出産に立ち会った男性は、「感動した。女性にしかできない仕事だ。おろおろして何もできなかった。」と語ることが多い印象だが。
うちの夫は、談笑しながらビデオを回し、
「あれなら俺にも産める。」
と言ったのだった。
後にそのビデオを見たら、破水から誕生まで、たったの5分だった。
産み終わったら赤ちゃんはわたしのお腹の上に乗せられ、勝手にお乳を探して必死に吸い付いた。
お腹の上に赤ちゃんを乗せたまま、一生のうちで一番美しい時間を過ごしたと思った。
思うような出産ではなかった第一子も、その後の思い出の方がはるかに多いから、あの日に戻って素敵な出産をしたいなどとも思わない。
超安産で生まれた第二子は、思春期にわたしと言い争うことも多くなった。
「お母さん!自分がお腹を痛めて産んだ子がかわいくないの?」とすごい剣幕で言ってきた。
「あ。ごめん。あんまり痛めてないから。」
わたしがそう答えると、娘は怒りの中にこらえきれず笑みを含ませた。
あの日、娘が生まれた時に覚えているのは、
夫と笑っていたことと、丸々とした赤ん坊のソプラノ歌手のような澄み切って力強く、よく通る声。
子どもの誕生日が来ると、あの日のことや、子どものかわいい言い間違えや口癖を思い出して、夫と笑い合う。
子どもの誕生日って、親のためのイベントなんだなと思った。
「あれなら俺にも産める。」
という言葉も、笑いのネタにされている。
それも毎年のように。
その話、何度するの、と子どもに言われるけど、何度でもしたいのよ。

義母という別の試練が待っていたが、
それはまた別の機会に・・・
