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経済学はエセ科学!財政政策や減税をマクロ経済で語る”自称”専門家に注意!【偽物の疑似科学】

「積極財政をすれば”必ず”世の中は良くなる!」とSNSで主張する積極財政派の評論家たちを見かけますが、積極財政派の”自称”専門家の主張は似非科学であり、注意が必要である点を以下記事で述べました。


彼らが悪質なのは「科学」を騙り、積極財政の正しさを補強しようとしている点です

もちろん、キチンと大学で教授をやっていて論文や実績を出している人であれば、経済学が疑似科学に過ぎないことは「当然の前提」として理解しているでしょう。その上で、経済学のさらなる発展と科学化に尽力していることは承知しております。

しかし、残念ながら、学部や修士課程でちょっと表面的に経済学をかじっただけの”中途半端な偽者”が、SNSでマクロ経済学を絶対視し「積極財政をすれば”必ず”世の中は良くなる!」などと言う科学的根拠の無い妄言を、まるで科学であるかのように騙っているのです。

これは、もはや、真面目に経済学を探求している方々への冒涜だと思います。


彼らの愚かさについては、上述した2記事で詳しく書きましたので、ご笑覧いただければ幸いです。

本記事は第三弾として、「なぜ経済学は科学ではないのか?」について、上記記事で書けなかった詳細について詳しく解説していきます。


【おさらい】科学とは何か?なぜ経済学はエセ科学なのか?

前回記事では、”科学と非科学を分ける重要な要素として「①実証実験による再現性」「②反証可能性」の2つがあります。”と述べました。ここをもう少し厳密に詳しく書いてみましょう。

科学の正しい姿勢とは、以下の5ステップで構成されています。

① 観察(帰納法、データや現象に気づく)

② 仮説構築(説明モデルや因果を想定)

③ 演繹的予測(この仮説が正しければ◯◯が起こる)

④ 実証実験(実験で予測を確認)

⑤ 反証 or 修正 or 理論確立

これはいわゆる 「仮説演繹法」 という科学の王道的手法です。

  • 観測だけでは仮説は立つが、真理には届かない

  • 仮説を立てて、演繹的に「これが観測できるはず」と予測し、それが本当に起きるかを検証する

  • この演繹的検証によって初めて、科学は理論としての信頼性を獲得する


マクロ経済学の理論の多くが疑似科学である理由は、この「正しい科学のステップ」で言うところの②~③までで止まってしまっているものがほとんどであるためです。

つまり、マクロ経済学は帰納法に基づいたシミュレーションのみであり、演繹法、実証実験、反証可能性の確認などが欠けているのです。

帰納法の限界

帰納法とは、個別の観察結果から一般的な法則を導く推論方法です。

例:

  • この白鳥は白い

  • あの白鳥も白い
    → すべての白鳥は白い?

  • しかし、実際には黒い白鳥がオーストラリアで発見される

つまり、帰納法はどれだけ観察しても「例外がある可能性」を完全には否定できないのです。

観測科学(実験できない疑似科学)の限界

・多数の観察でも普遍性を保証できない:膨大な観測でも「本質的な因果関係」には届かない可能性がある

・バイアスのある観察結果に依存する:観測データの偏り・欠損が本質を誤らせる可能性がある

・反証が困難な仮説になりやすい:実験的に検証できない仮説が残ることがある

つまり、「観測や帰納だけで科学を進める」姿勢は以下の問題に直面しやすいのです。

  • 予測性に乏しい

  • 因果を取り違える

  • 反証可能性を軽視する


学問分野別の科学的方法論とエセ科学度を比較

では、経済学も含め、様々な学問の科学的方法論とエセ科学度を比較してみましょう。

※注意:一般的な傾向です。学問分野の中でも理論によって異なるので、厳密には理論単位で細かく見ていく必要があります。

科学的方法の完全性比較

社会科学系の方法論的制約(実証実験の困難性)

各学問の実証方法の特徴

各学問の到達段階

どうでしょうか?文系学問の多くが、科学の基準に到達していないことが理解できたと思います。

「社会”科学”」と名前に”科学”とついてはいますが、実は全く科学できていないのです。

それどころか、以下のとおり、科学の視点から見れば、マクロ経済学の理論は宗教や占星術とたいして変わらないことがわかるかと思います(宗教や占星術は観察段階でも、現代科学の帰納法の水準を満たしていないので、マクロ経済学の方が幾分マシかもしれませんが)

宗教・占星術と科学の違い

文系を完全な科学の学問にアップデートしていく必要がある点については、以下記事でも述べています。よろしければご笑覧ください。


なぜ経済学は「科学」になりきれないのか?

僕たちは日常生活で「原因と結果」を当たり前のように考えています。「雨が降ったから濡れた」「勉強したから成績が上がった」といった具合です。しかし、経済学の世界では、この「原因と結果」を証明することが驚くほど困難なのです。

物理学では、同じ条件で何度も実験を繰り返すことで、「この力を加えれば、この物体はこの速度で動く」ということを確実に証明できます。しかし、経済学では「金利を下げれば景気が良くなる」ということを、同じ条件で何度も実験することはできません。なぜなら、経済は生き物のように複雑で、同じ状況は二度と起こらないからです。

計量経済学とは、統計学の手法を使って経済現象を分析する学問です。しかし、統計学的な分析には限界があり、「原因と結果」を証明する強さには段階があります。これを「因果推論の階層」と呼びます。

1. 相関分析:最も弱い証拠

相関分析は、二つの事柄が「一緒に動く」かどうかを調べる方法です。例えば、「アイスクリームの売上が増えると、溺死者数も増える」という関係があったとします。これは統計的には事実かもしれませんが、「アイスクリームを食べると溺死する」という因果関係があるわけではありません。

実際には、「夏になる」という第三の要因が両方に影響しているのです。夏になるとアイスクリームがよく売れ、同時に海やプールに行く人が増えて溺死事故も増える、というのが真実です。これを「疑似相関」と呼びます。

経済学でも同様のことが起こります。「大学進学率が高い地域ほど平均所得が高い」という相関があったとしても、「大学教育が直接的に所得を押し上げている」とは言い切れません。もしかすると、「もともと裕福な家庭が多い地域では、大学進学率も高く、良い仕事に就く機会も多い」という可能性があります。

2. 回帰分析:やや強い証拠、しかし落とし穴がある

回帰分析は、複数の要因を同時に考慮して、特定の要因の影響を測定しようとする方法です。例えば、「年齢、性別、学歴を考慮した上で、経験年数が給与に与える影響」を調べることができます。

しかし、回帰分析には「内生性」という大きな問題があります。これは、原因だと思っている要因が、実は結果からも影響を受けている場合に起こります。

具体例で説明しましょう。「教育年数が多いほど所得が高い」という関係を調べたとします。しかし、「所得が高い見込みがある人ほど、教育投資をする動機が強い」という逆の関係も存在する可能性があります。つまり、教育が所得を高めるのか、所得が高くなる見込みの人が教育を受けるのか、どちらが本当の原因なのかわからなくなってしまいます。

また、「選択バイアス」という問題もあります。例えば、「私立学校の方が公立学校より成績が良い」という結果があったとしても、私立学校を選ぶ家庭は教育熱心で経済的に余裕がある場合が多いため、学校の違いなのか家庭環境の違いなのかを区別することが困難です。

3. 操作変数法:より強い証拠、しかし良い「道具」を見つけるのが困難

操作変数法は、内生性の問題を解決するための高度な手法です。簡単に言うと、「直接的には結果に影響しないが、原因には影響する第三の要因」を利用する方法です。

例えば、「教育が所得に与える影響」を調べたい場合、「生まれた月」を操作変数として使うことがあります。多くの国では、同じ学年でも生まれた月によって就学年齢が微妙に異なります。この差は教育年数には影響しますが、能力や家庭環境とは関係ありません。

しかし、適切な操作変数を見つけることは非常に困難です。操作変数は「結果には直接影響せず、原因にのみ影響する」という厳しい条件を満たさなければなりません。実際には、この条件を完全に満たす操作変数を見つけることは稀です。

4. 差分の差分法:かなり強い証拠、しかし前提条件が厳しい

差分の差分法は、政策効果を測定するためによく使われる手法です。政策の影響を受けるグループと受けないグループを比較し、政策実施前後の変化の差を調べます。

例えば、「最低賃金引き上げが雇用に与える影響」を調べる場合、最低賃金を引き上げた州と引き上げなかった州を比較します。両方の州で、政策実施前後の雇用変化を調べ、その差を政策効果として測定します。

しかし、この方法には「平行トレンド仮定」という重要な前提があります。つまり、政策がなかった場合、両グループの変化は同じだったはずだ、という仮定です。この仮定が成り立たない場合、結果は信頼できません。

5. ランダム化比較試験(RCT):最も強い証拠、しかし経済政策では困難

RCTは、医学でよく使われる「治療群」と「対照群」をランダムに分けて比較する方法です。これは因果関係を証明する最も強力な方法とされています。

経済学でも、途上国の開発政策などでRCTが使われることがあります。例えば、「マイクロファイナンス(小規模融資)が貧困削減に効果があるか」を調べるために、ランダムに選んだ村にマイクロファイナンスを提供し、提供しなかった村と比較する、といった研究が行われています。

しかし、国レベルの経済政策でRCTを行うことは、倫理的にも実践的にも困難です。「金融緩和の効果を調べるために、ランダムに選んだ国にだけ金融緩和を実施する」ということは不可能です。


社会科学特有の問題。なぜ経済学は物理学のようにはいかないのか?

1. ルーカス批判:予測が外れる根本的理由

ルーカス批判は、ノーベル経済学賞受賞者のロバート・ルーカスが指摘した重要な問題です。簡単に言うと、「政策が変わると、人々の行動パターンも変わってしまうので、過去のデータから導いた関係式は役に立たなくなる」という指摘です。

具体例で説明しましょう。過去のデータを分析して、「失業率が1%下がると、インフレ率が0.5%上がる」という関係(フィリップス曲線)が発見されたとします。政府はこの関係を使って、「インフレ率を少し上げてでも失業率を下げよう」という政策を実施します。

しかし、人々がこの政策を予期すると、「インフレが来る」と予想して賃金交渉で高い賃上げを要求するようになります。すると、予想以上にインフレが進んでしまい、元の関係式は成り立たなくなってしまいます。

これは、物理学の法則とは根本的に異なります。「万有引力の法則」は、人間がその法則を知っているかどうかに関係なく、常に同じように働きます。しかし、経済の「法則」は、人々がその法則を知ることで変わってしまうのです。

2. 反射性:予測自体が結果を変える

反射性とは、予測や分析結果が公表されることで、人々の行動が変わり、結果的に予測が外れてしまう現象です。これは経済学において深刻な問題です。

例えば、「来年は株価が上がる」という予測が広く信じられると、多くの人が株を買い始めます。すると実際に株価は上がりますが、それは予測が正しかったからではなく、予測によって人々の行動が変わったからです。逆に、「株価が下がる」という予測が広まると、多くの人が株を売り始めて実際に株価が下がることもあります。

このように、経済学の予測は「自己実現的予言」や「自己破綻的予言」となってしまう可能性があります。天気予報が天気を変えることはありませんが、経済予測は経済を変えてしまうのです。

3. 複雑性:無数の要因が絡み合う

経済システムは、無数の個人、企業、政府が相互作用する複雑なシステムです。一つの経済現象には、数え切れないほどの要因が影響しています。

例えば、「なぜ日本経済は1990年代から長期停滞(失われた30年)に陥ったのか」を考えてみましょう。

  • バブル崩壊による資産価格の下落

  • 金融機関の不良債権問題

  • 人口減少・高齢化

  • 技術革新の停滞

  • グローバル化による競争激化

  • 政府の財政政策・金融政策

  • 企業の設備投資動向

  • 消費者の心理状態

  • 国際経済情勢

これらの要因が複雑に絡み合い、互いに影響し合っています。どの要因がどの程度重要なのか、それらがどのように相互作用しているのかを正確に把握することは極めて困難です。

4. 歴史性:同じ条件は二度と再現できない

物理学の実験では、同じ条件を何度でも再現できます。しかし、経済現象は歴史的なコンテキストの中で起こるため、全く同じ条件が再現されることはありません。

例えば、「リーマンショックのような金融危機が起こったとき、どのような政策が効果的か」を知るためには、過去の金融危機を研究する必要があります。しかし、1929年の世界大恐慌、1997年のアジア通貨危機、2008年のリーマンショックは、それぞれ異なる背景、異なる制度、異なる技術水準の下で起こっています。

そのため、ある危機で効果的だった政策が、別の危機でも効果的だとは限りません。歴史は「実験」を提供してくれますが、それは「制御された実験」ではないのです。

5. 価値判断:客観的評価の困難

自然科学では、「何が良い結果か」は比較的明確です。薬の効果を調べる場合、「病気が治る」ことは明らかに良い結果です。しかし、経済政策の場合、「何が良い結果か」は人によって異なります。

例えば、「規制緩和」を考えてみましょう。規制緩和は効率性を高め、消費者にとって良い結果をもたらすかもしれません。しかし、既存の企業や労働者にとっては、競争が激化して不利益を被る可能性があります。

「効率性」を重視するか「公平性」を重視するか、「経済成長」を重視するか「環境保護」を重視するかなど、価値判断が分かれる問題が多いのです。これらの価値判断は、科学的な方法だけでは決められません。


では、マクロ経済学を「科学」にするためには、何が必要でしょうか?

以下の3つの条件が必要になるでしょう。


第1の条件:経済学と政治・イデオロギーの完全分離

現在の経済学が抱える根本的問題

現在の経済学の最大の問題は、科学的事実と政治的意見が混同されていることです。本来、科学とは「どうすれば良いか」ではなく「何が起こるか」を客観的に調べる学問であるべきです。しかし、経済学では「こうあるべきだ」という価値判断と「実際にはこうなる」という事実の説明が混ざってしまっています。

具体例で説明しましょう。「最低賃金を上げるべきかどうか」という問題を考えてみます。科学的な経済学であれば、「最低賃金を上げると、雇用にどのような影響があるか」「消費にどのような変化が起こるか」「企業の収益にどのような影響があるか」といった事実を客観的に調べるはずです。

しかし実際には、多くの経済学者が「労働者の生活を改善するために最低賃金を上げるべきだ」「企業の負担を考えると最低賃金の引き上げは慎重にすべきだ」といった価値判断を含んだ主張をしています。これでは、科学的な分析なのか政治的な主張なのかが分からなくなってしまいます。

歴史的経緯:学派ごとの価値判断

この問題は、経済学の歴史を見ると非常に根深いものであることが分かります。経済学には様々な「学派」があり、それぞれが異なる価値観や政治的立場を反映しています。

古典派経済学は、「市場に任せておけば最適な結果が得られる」という思想に基づいています。これは、政府の介入を最小限にすべきだという政治的立場と密接に関わっています。

ケインズ経済学は、「市場は時として失敗するので、政府が積極的に介入すべきだ」という考え方です。これは、政府の役割を重視する政治的立場を反映しています。

マネタリストは、「政府ができることは限られており、お金の量をコントロールすることに集中すべきだ」と主張します。これも特定の政治的立場を含んでいます。

問題は、これらの学派の違いが、科学的な事実の違いなのか、価値判断の違いなのかが曖昧なことです。同じ現象を見ても、学派によって全く異なる解釈をすることがあります。

現代の具体例:MMT論争

現代でも、この問題は深刻です。最近の例として、MMT(Modern Monetary Theory、現代貨幣理論)をめぐる論争があります。

MMTの支持者は、「政府は自国通貨建ての借金については破綻することがないので、積極的に財政支出を行うべきだ」と主張します。一方、MMTの批判者は、「そのような政策はインフレを引き起こし、経済を混乱させる」と反論します。

しかし、この論争を注意深く見ると、科学的な議論と政治的な議論が混在していることが分かります。MMTの支持者の多くは、格差解消や社会保障の充実といった政治的目標を重視しており、そのためにMMTを利用している面があります。逆に、MMTの批判者の中にも、小さな政府を志向する政治的立場からMMTを批判している人がいます。

実際、SNSで積極財政を叫んでいる者の中で、「大学でMMTを学ぶ→積極財政を叫ぶ」というステップを踏んだ者はどれだけいますか?どうせ真逆で「積極財政というイデオロギーを叫びたい→だから都合がよいMMTを勉強しました」という者ばかりでしょ?

便宜上「MMT支持者」「MMT批判者」と書きましたが、キチンとMMTを勉強した人ならわかると思いますがMMT自体は観察した現象に過ぎず価値判断を含みません積極財政派がMMTに勝手にイデオロギーを付与しているのです。

MMTの理論自体が悪いのではありません。MMTは恥知らずの愚か者たちのイデオロギーのために悪用されているだけなのです。

分離の必要性と方法

経済学を科学にするためには、このような政治的価値判断と科学的分析を明確に分離する必要があります。具体的には以下のような取り組みが必要です。

1. 規範的問題と実証的問題の明確な区別

「どうすべきか」(規範的問題)と「何が起こるか」(実証的問題)を明確に分けることです。例えば、「失業率を下げるべきかどうか」は価値判断の問題ですが、「特定の政策が失業率にどのような影響を与えるか」は科学的に検証可能な問題です。

2. 研究者の価値観の明示

研究者が自分の政治的立場や価値観を隠すのではなく、明確に開示することです。読者は、その研究者がどのような立場から分析しているかを知ることで、より客観的に研究結果を評価できます。

3. 多様な立場からの検証

異なる政治的立場を持つ研究者が、同じ問題について独立して研究を行い、結果を比較検討することです。もし政治的立場に関係なく同じ結果が得られれば、それは科学的事実である可能性が高くなります。

経済学の研究をする者は政治的にノンポリであることが望ましいでしょう。経済学研究者の倫理的制約として政治的ノンポリを必要条件とする法規制を設けることも考えられます。


第2の条件:AIと仮想空間を用いた実証実験システムの確立

経済学実験の革命的可能性

経済学が科学になるために最も重要なのは、制御された実験ができるようになることです。物理学や化学が「科学」と呼ばれるのは、同じ条件で何度でも実験を繰り返し、仮説を検証できるからです。しかし、これまでの経済学では、実際の経済システムで実験を行うことは不可能でした。

ところが、近年のAI技術の発達により、この状況が劇的に変わろうとしています。特に注目すべきは、AIを使って人間の行動を再現し、仮想的な経済システムで実験を行う技術の発展です。

ウーブン・バイ・トヨタの画期的研究

ウーブン・バイ・トヨタの研究者らが開発したシステムは、まさに経済学実験の革命と言えるものです。彼らは、LLM(大規模言語モデル)を使って、最大100万人分の仮想住民を作り出し、都市全体をシミュレーションすることに成功しました。

この仮想住民たちは、単なるプログラムではありません。彼らには以下のような特徴があります。

人格と個性

それぞれの住民が異なる性格や好み、価値観を持っています。ある住民は慎重で貯金を好み、別の住民は大胆で消費を好むといった具合です。

記憶と学習

過去の経験を覚えており、それに基づいて行動を決めます。例えば、以前に投資で失敗した住民は、今後の投資により慎重になるでしょう。

基本的欲求

お腹が空いたり疲れたりといった生理的な欲求を持っています。これにより、食事や休息のタイミングが経済活動に影響を与えます。

社会的欲求

友人や家族とのつながりを求める高次の欲求も持っています。これは、消費行動や居住地選択に影響を与えます。

長期的目標

将来の夢や目標を持ち、それに向けて計画的に行動します。例えば、マイホーム購入や子どもの教育費準備といった長期的な目標です。

実験可能な経済政策

このようなシステムがあれば、様々な経済政策の効果を、実際の経済に影響を与えることなく実験できます。

金融政策の実験

金利を上げ下げしたときに、仮想住民の消費や投資行動がどのように変化するかを観察できます。従来は「理論的にはこうなるはずだ」と推測するしかなかった効果を、実際に確認できるのです。

財政政策の実験

税率を変更したり、公共事業を増減したりしたときの影響を測定できます。さらに、異なる税制(所得税重視vs消費税重視など)の効果を比較することも可能です。

規制政策の実験

最低賃金の引き上げ、労働時間の制限、環境規制の強化など、様々な規制が経済に与える影響を詳細に分析できます。

危機対応の実験

金融危機や自然災害のような非常事態が発生したときに、どのような政策が最も効果的かを事前に検証できます。

実験システムの科学的価値

この種の実験システムが持つ科学的価値は計り知れません。

再現性

同じ条件で何度でも実験を繰り返すことができます。これは、科学的方法の基本要件です。

制御性

一つの要因だけを変更して、その影響を純粋に測定することができます。現実の経済では、複数の要因が同時に変化するため、特定の政策の効果を分離することが困難でした。

比較可能性

異なる政策オプションを同じ条件下で比較することができます。例えば、「景気刺激策として、減税と公共事業のどちらが効果的か」を直接比較できます。

安全性

失敗しても実際の経済に影響を与えません。大胆な実験政策も安心して試すことができます。

システムの限界と課題

ただし、このシステムにも限界があることは認識しておく必要があります。

現実の複雑性

どれほど精巧でも、現実の人間行動のすべてを再現することは困難です。文化、歴史、偶然の出来事など、モデル化が困難な要因が数多く存在します。

技術的制約

100万人のシミュレーションでも、実際の経済規模(日本なら1億2000万人以上)には及びません。また、国際経済の相互作用をすべて再現することも困難です。さらなるAI技術の進歩が望まれます。

検証の困難性

シミュレーション結果が現実とどの程度一致するかを検証することは、それ自体が難しい問題です。

しかし、これらの限界があっても、現在の経済学よりもはるかに科学的な分析が可能になることは間違いありません。


第3の条件:学問の自浄作用と謙虚な姿勢

現在の経済学界の問題

経済学を科学にするための3つ目の条件は、学問コミュニティ自体の姿勢を改めることです。残念ながら、現在の経済学界には、科学的誠実性を欠く行動をとる研究者や”自称”専門家が存在します。

最も深刻な問題は、一部の人々がSNSなどで「経済学は完全な科学である」という誤った前提で虚偽の情報を流布していることです。これは明らかに事実に反します。前述したように、経済学には多くの限界があり、物理学や化学のような確実性は持っていません。

現状の経済学の土台で「〇〇は絶対に正しい」など言えるわけがないのです。このような偽科学やデマの流布は、陰謀論と同じで、社会を混乱させる害悪であると言えます。

デマ拡散の具体例と害悪

このような虚偽宣伝は、以下のような害をもたらしています。

一般市民の誤解

経済学の限界を知らない一般の人々が、「専門家が科学的に証明した」という理由で、実際には不確実な政策提言を盲信してしまいます。

政策判断の歪み

政治家や官僚が、経済学の限界を理解せずに政策を決定し、期待した効果が得られないという結果を招きます。

学問の信頼性低下

経済学の予測が外れたときに、「専門家は信用できない」という反応を招き、学問全体の信頼性を損ないます。

科学的進歩の阻害

現状に満足してしまい、より科学的な方法を追求する動機が失われます。

必要な自浄作用

このような状況を改善するためには、経済学コミュニティによる自浄作用が不可欠です。

誠実な限界の開示

研究者は、自分の研究の限界や不確実性を正直に公表する必要があります。「この分析には○○という限界があり、結果の解釈には注意が必要です」といった注意書きを必ず含めるべきです。

誇大宣伝の自制

研究結果を発表する際に、過度に確信的な表現を避け、適切な留保条件をつけることが重要です。

虚偽情報への対抗

明らかに事実に反する主張がなされた場合には、学問コミュニティとして積極的に訂正する必要があります。

透明性の向上

経済学からイデオロギーや政治性を完全排除し、研究データや分析手法を公開し、他の研究者による検証を受け入れる姿勢が必要です。

謙虚な姿勢の重要性

最後に、経済学者や政策担当者には謙虚な姿勢が求められます。

経済学は「科学的装いをした学問」という批判もありますが、それは経済学が科学的手法を使いながらも、自然科学ほどの確実性を持てない「疑似科学」であるという限界を正直に認めることから始まります

「積極財政をすれば”必ず”世の中は良くなる!」と1つの理論に固執して絶対視するような主張をしている論者を排除していかなければなりません

政治や政策決定においては、一つの理論やデータを絶対視せず、様々な視点からの情報を集め、小規模な実験を繰り返しながら、総合的かつ慎重に判断していく姿勢が大切です。

完璧な予測や解決策を提供できないからといって、経済学が無意味というわけではありません。むしろ、限界を理解した上で、できる限り科学的な方法を用いて経済現象を分析し、より良い政策を模索し続けることが重要なのです。

人間社会の複雑さを前にして、僕たちは謙虚でありながらも、より良い理解と政策を求めて努力し続ける必要があります。それが、科学的な姿勢と言えるでしょう。


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