誤字集合、毎週ショートショートnote、410字
母の机の上にある紙に、今日もまた、文字が踊っていた。
にわわ おはなが さきました
きょうわ さむいみたです
漢字がなくなり、読めないほどに崩れた平仮名。かつて教員だった母の筆跡はもうない。
母には見えないように、赤ペンでこっそり誤字を直す。そして、空白の所に「よくできました」と書き込む。
私が子供の頃、母がしてくれたように。
これは私だけの、ひっそりとした楽しみ。昔の母を思い出すための儀式。
ある日、紙の上に一文だけが書かれていた。
あなたのことだけは、わすれたくない。まちがえたくない。
文字は震えていない。句読点も正しい位置にある。
いつもどこかに必ずある誤字が、その日はどこにも見当たらなかった。
私は赤ペンを持ったまま、しばらく動けなかった。
正しく綴られたその一行が、私の心を矢のように貫いてきた。
私は赤ペンを握り直して、その横に書き添えた。
まちがえたって、わすれたって、だいじょうぶだよ。
私は初めて、赤ペンの返事を母に返した。
