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ボヤキばなし やり残したこと

なんだかなーと思ったことを書いています。『安っさんのボヤキばなし』というマガジンにまとめます。

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「死ぬときに後悔すること」を検索すると、同じようなリストがたくさん出てくる。これは、ブロニー・ウェアの『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本がもとになっているようだ。著者は、緩和ケアの介護を長年つとめ、数多くの患者を看取った人。

読んでいないので、直接の批評はしないが、そのリストは次のようなものであるらしい。

  • 自分に正直な人生を生きればよかった

  • 働きすぎなければよかった

  • 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった

  • 友人と連絡を取り続ければよかった

  • 幸せをあきらめなければよかった

「死ぬ瞬間」という言葉に違和感があって原題を見たところ、”The Top Five Regrets of the Dying”とある。” the Dying”は「死にゆくとき」ほどの意味。「瞬間」ではない。

「死」を近く感じるときにする後悔としては、前掲のリストは妥当と思う。本には次のようなことも書かれているという。

  • もしも死の間際になって、自分の人生を後悔したとしても、ありのままの自分を受け入れ、許すことで、心の平安を手に入れられる

  • 後悔しない人生を歩くためには、自分の心に正直に生き、すべての幸福に感謝することが大事である

ところで、私の95歳の母は、私が病気して以来、グループホームに入ってもらっている。身体に問題はないが、認知症で記憶はまるでダメ。

聞いてみると、つらかったことや苦労したことなど、すっかり忘れている。やり残したことに心わずらわすこともなく、楽しそうである。

人にもよるとは思うが、認知症の施設に入っている人で、悲しみにくれている人はあまり見ない。忘れるということもひとつの幸福かもしれない。

さて、私であるが、やり残したと思いそうなことがふたつある。

ひとつは妻を旅行に連れて行ってあげること。今の私の健康状態ではかなわない。

ひとつは、死ぬまでに蔵書を読み終えること。まだ1500冊ほど残っている。2日に1冊読んだとしても10年近くかかってしまう。ギリギリか。残念だね。なんだかなー

『死ぬ瞬間の5つの後悔』の著者は、緩和ケアにたずさわった。おそらく末期ガンの患者を看護していた。末期ガンの人は最期近くまで、けっこう意識ははっきりしていたのであろう。

私もこれから認知症にならないとはかぎらないが、最期近くになっても意識がはっきりしていたら、やり残したと思うことはあきらめるしかない。「あきらめる」ことも心の平安を得るひとつの方法。

その意味では、前掲の書のことばに通じるものがあるかもしれない。



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