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過ぎた話①自閉症という言葉

息子が1歳の頃、娘との違いに違和感があった。

うまく言葉にできない、親にしか気付けない些細なことだ。

1歳半検診のとき、自ら相談を持ちかけた。

「自閉症の可能性があるかもしれません」

予想はしていた。

が、その言葉に打ちのめされた。

それがどういうものかは、自分なりに調べていた。
その言葉が現実のものとなったとき、すべてが終わったような気がした。

帰宅して夫に話しながら泣き崩れてしまった。
夫は何も言わずに肩を寄せてくれたことを覚えている。

それからはただひたすら動き続けた。
じっとしていられなかった。

どうすればいいか、わからなかったからだ。
自分でどうにかできる範囲のものを超えている。
恐怖しかなかった。

療育とはなにか、できることはないのか、そのための場所は?
保育園?
仕事?
2歳上の娘は?

怒涛の日々だった。

療育、引越し、母子通園、保育園、進学、支援学級、進路、就職。

20年以上かけて、通り抜けてきた。

必死だったはずなのに、今振り返ると、どこか他人の人生のようにも感じる。

とても自分ごとだとは思えない。

たくさんのひとの力を借りて、どうにかこうにか、ここまできた。

そして、息子は今、特例子会社で働いている。

先が見えずに恐怖に震えていたあの私は幻だったのだろうか?

とはいえ、日々いろいろあるし、不安や心配は尽きない。
今がゴールでもない。

ここまでの話は美談でも、同じ境遇にある人への励ましでもない。

ただ、「自閉症」という言葉に、あれほどまでに支配されていた過去の私はもういない。

ずっとぬぐえなかった言葉の重さは、今はない。

それだけは確かだ。

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