みかんモンゴルへ行く④
前章まで色々と文学的に格好つけていた柑橘類であるが、このあとモンゴルが容赦なく押し寄せてきた。
ビー みかん ゲデグ
今回の旅の最大の目的は、ゲルに泊まって遊牧民体験をすることである。
国立民族学博物館で展示されていたゲルに大興奮する柑橘類を前に、同行していた友人は「こいつ、ゲルでそんなにテンション上がるのか」と少し引いていた(ちなみにアットゥシでもテンション上がっていた)。
そのゲルに宿泊できるのだ。后の位も何にかはせむ。
さて、日本にもお宅にお邪魔する際には色々とマナーがあるように、遊牧民の家でもあるゲルにもマナーが存在する。
柑橘類は渡蒙前にきっちりマナーを身につけた完璧淑女になりたかった。過去形である時点でお察し願いたい。

しかしそんな柑橘類も、モンゴル語で自分の名前は言えるようにしておいた。発音の関係で果たしてちゃんと伝わっていたのかは分からない。だが、こういうのは心だよ心、と脳内の少年漫画の主人公が胸板を叩く。それに謎に励まされ、馬と羊と犬にも自己紹介をしておいた。柑橘類、我ここにあり。

ゲルに荷物を置いて、お父さんとお母さんたちのおられるゲルへご挨拶に伺った。そこで歓迎の意を込めて出されたのがスーテーツァイとアーロール。
ドラマ『VIVANT』に出演する堺雅人が好きと話したことから、日本での知名度が上がったアーロール。昨年モンゴルを訪問された天皇・皇后両陛下が召し上がられたことを覚えている人も多いだろう。各家庭で味が違うらしい。柑橘類が頂いたものは、「酸味の強くてやや硬いチーズ」といった感じであった。スーパーなどでも袋詰めにされたものは売られていたが、そちらはこれより硬度が高そうであった。
それはさておき、遊牧民は家畜に名前をつけない。見た目や性格の特徴を組み合わせて識別しているらしい。てっきり『アルプスの少女ハイジ』のユキちゃんのように、一頭一頭に名前があるものと思っていた(そういえばあの作品、ユキちゃん以外の名前を聞かない気がする……いや、なんでもない)。
しかし滞在したゲルは羊500、山羊200、牛60、馬30がいる大ファミリーだ。遊牧民は記憶力がいいから覚えられる、とのことだが驚異的である。

この子はアンチン。狩人という意味。めちゃくちゃ懐かれた。
そうだよノマドってこういうことだよ
モンゴルの遊牧民の暮らしは究極のノマドだよなぁ。…とこの一文を読んで、遂に柑橘類は脳味噌が100%果汁ジュースになったのか、と思った方も多かろう。柑橘類も己の無知蒙昧さにただただ恥ずかしくなった。ノマド(nomad)は、もともと「遊牧民」を意味する言葉なのである。テストに出るのでマーカー引いておきましょうね。
資本主義に嫌気がさしていた柑橘類ではあったが、ノマドの本来の意味も知らぬまま、その原点にして頂点へ辿り着いていたのである。人生はこういった体験が時々あるから面白い。
苗を置く人
草原に木を植えよう、ということで今回色々準備をしてくださっていた。全くの予期せぬ展開ではあったが、自分の植えた木がユーラシア大陸に根付くのか…と思うとにやにやが止まらなかった。

この辺りは地下水に恵まれているらしく、地形に凸凹な部分があるのもそれが理由なんだとか。木の大きさは水の量に比例するので、我々の植えた10本の苗は大木にはなれない。ただ、動物や、そこで生きる遊牧民の人たちへ、ひと時の木陰を提供する存在になってくれたらと願う。

一歩歩いて半歩下がる
ゲルの近くに、ミニゴビにあるブルド砂丘があった。登るつもりはなかったが、元気な友人につられて挑むことになった。
砂丘と言えば日本には鳥取砂丘があるが、生憎と柑橘類は鳥取砂丘に行ったことがない。人生初の砂丘がまさか異国のものになろうとは、夢にも思わなかった。
登っていると、大親玉であるゴビ砂漠からの砂の洗礼に、足は取られるわ、風は強いわ、靴も口の中もじゃりじゃりだわで、砂に沈む己のつま先を眺めて「なんで海外に来てこんなことしてるんだ?」と何度か自問した。
でもこの場所はこの場所にしかない。諦めたらそこで試合終了だよ、と古の呪文で我が身を奮い立たせ、ようやくたどり着いた頂上。

ほんの少しの絶望と、ミニゴビの「ミニ」がユーラシア大陸スケールだと全く「ミニ」ではないことを思い知り、もういっそ清々しい気持ちになれた。

下りは楽なものである。砂のさらさらに大人しく従って、滑り落ちるように下っていけば良いだけだ。この砂を面として捉え、歩いて行くには、なるほど人間は二本足だから苦労するんだな、と四つ足の動物が少し羨ましくなった。
一は全、全は一
章題を読んで『鋼の錬金術師』を思い出した人は、柑橘類と漫画の好みが似ている。
「目に見えない大きな流れ──それを世界と言うのか宇宙と言うのかわかんないけど、オレもアルもその大きい流れの中のほんの小さなひとつ。全の中の一。だけどその一が集まって全が存在する。この世は想像もつかない大きな法則に従って流れている。その流れを知り分解して再構築する…それが錬金術」
この感覚は、錬金術の世界観というよりも、もっと古い場所──ヘラクレイトスが言った「万物は流転する」という感覚にもどこか近い。
作中屈指の名シーンを引用したのには訳がある。草原での星空を見て、エルリック兄弟が見ていた夜空を思い出さずにはいられなかったのだ。

風の音さえ薄まり、地上の気配が遠のいていく。ただ夜だけが、星を携えてそこに広がっていた。
自分がぽんと放り出されたようなこの夜空を見ていると、エドの台詞が自分の中に馴染む。一つの存在が集まって全になる。全の中に一がある。その循環は、ただ静かにそこにあるものとして感じられた。
あたたかさに包まれたなら
モンゴルは、夏でも夜は冷え込む。草原滞在初日はとても暑かったが、夜になると流石にそれも和らいだ。
情報の洪水で頭の整理が追い付かない中、ゲルに戻って寝る支度をする。
ゲルは骨組みの上に、羊毛のフェルトが被さっている。更にそのフェルトの上に布を覆っている。言葉で書くだけなら、そんな壁で大丈夫かと思うだろう。しかし羊毛は空気の層をたくさん含んでいるため、湿気をコントロールしながら外気を遮断してくれている。
寝るとき、羊が一匹、羊が二匹…と数える必要もない。何頭もの羊が包むように守ってくれているのだから。
さて、と完全に寝るモードに入っていたところで、ゲルの戸が開いて「焚き火をしよう!」というお誘いが来た。お世話になっているゲルファミリーのご親族が駆けつけてくれたようで、火を囲んで歌え踊れの、ミニ宴会が催された。
柑橘類は童謡「故郷」の歌詞をすべて覚えていたため、のど自慢を披露した。普段ならお耳汚しを…と恐縮するところだが、こんな何もない大草原の真ん中で恐縮も何もないだろうと、気持ちよく歌えた。音痴だが。

焚き火の燃料は、木の他にアラガルという、牛の糞を乾かしたものである。牛の糞と聞けば身構えるが、不思議なことに臭いはほとんど気にならない。
モンゴルは低湿度の国である。日本のように、空気中の水分が悪戯をしない。そのため糞も臭わず、そしてすぐに乾く。遊牧民はそれを拾って生活のための燃料にする。拾ってくるのはだいたい子供の仕事だ。
それにしても、羊に牛に…と、色んなものに守られている。柑橘類は貧弱すぎて遊牧民にはなれないが、ほんのひと時彼らの空間にお邪魔することで、彼らの生活の温度に触れられた。
