みかんモンゴルへ行く⑥
名残惜しいというのはそれだけ楽しかった証拠🍊
何も変わらぬ朝
世界中、どこにいても必ず朝はやってくる。その日、妙に近くで聞こえる牛の鳴き声で目が覚めた。何事かと外に出たら、自分のゲルのすぐ横を牛達が大移動していた。

しかもそのうちの一頭は、ゲルの扉の枠に固定された紐の内の一本を楽しそうに引っ張っているものだから、ゲル倒壊を恐れた柑橘類は般若の容貌で追い立てた。
思い返せば草原に来た初日、牛や馬や羊のことをどこか遠い、景色に近しいものとして見ていた。けれども彼らと過ごす数日のうちに、彼らは景色の一部ではなくなった。
少し歩くと、昨晩屠殺された羊の皮が草原の土の上に干されていた。牛も羊も馬も、いつも通り草を食みに移動する。ヤックル(仮)も朝の身支度で鐙を吊り下げられていた。
おかあさんとおねえさんは牛の乳を搾り、そしてその乳を加工する。犬は寝たり跳ねたり穴を掘ったり、ときどき何かに向かって吠えたり。
いつも通りの朝で、いつも通りのサイクルでこの場所は回っている。ただ、我々がその輪の中にお邪魔していただけなのだ。
この後モンゴルには珍しく、結構な雨が降り続いた。モンゴルで雨は恵みの象徴だそうだ。誰かさんの涙雨などでは決してない。
羊の数だけ強くなれるよ、大草原に咲く花のように
今回の旅は、滞在2日目お昼にゲル着、滞在4日目の夕方にウランバートルへ戻って市内観光、という旅程である(ちなみに帰国は5日目早朝便)。
そうして4日目の昼、お世話になったゲルを離れる日がやって来た。いやだ。帰りたくない。このおうちの子になる。と言いたかったが、遊牧民になれない柑橘類に選択肢などない。あちらから返品されてしまう。
それでもいい。遊牧民は草原で、柑橘類は蜜柑の木の枝で暮らそう。
初恋の味は、酸味マシマシ
馬乳酒を飲みたいと思っていた。てっきりゲルで馬乳酒を飲めるとばかり思っていたが、滞在していたゲルは馬乳酒を作っていないご家庭だった。そのため、このまま馬乳酒未経験でモンゴルを去るのか…と肩を落としていた。
そんな柑橘類の落胆を汲んでくださったガイドさんが、帰り道の何処かで寄れたら馬乳酒作ってるところに寄りましょう、と提案してくれた。なかなか行程が押していたこともあり、柑橘類のわがままで寄り道させてしまっていいのか…と思ったが、ご厚意に甘えさせて頂いた。幸いにも馬乳酒を作っているゲルにはすぐに出会うことができた。しかも美味しい馬乳酒を作っているというので有名なところだった。
馬乳酒はカルピスと浅からぬ縁がある飲み物である。もちろん、馬乳酒の方が歴史的に大大大先輩である。
要はどちらも乳酸菌の力を使った発酵飲料であり、カルピス誕生の着想となったのが馬乳酒である、ということだ。『カルピスをつくった男 三島海雲』を読むと、その背景がかなり面白い。

コップに鼻を近づけると、草と獣の匂いが混じったような、野生の馬のかほりが鼻の奥まで駆け抜ける。
飲む。強い酸味の中に、指先ほどの苦み。眼裏で『もやしもん』のあいつらこいつらが手を取り合って、ものすごい大乱闘を繰り広げている。
しかし酸っぱい。本当に酸っぱい。初恋は甘酸っぱい、などというが、甘がどこにもいない。甘要素は馬乳酒からカルピスへの進化の過程で得られたのだろう。
馬乳酒のpH 3.5は蜜柑果汁と近値であるため、柑橘類としては親近感を抱いている。その親近感を抜いても馬乳酒は美味しかった。思わず紙コップ3杯分頂いた。突然の来訪者に対応して頂き、感謝感謝である。

馬乳酒は馬の乳なのに、牛の胃袋に入れて発酵させる。馬の胃袋では小さいのと、牛の胃袋の方が素材的に優秀だからだそうだ。
行きはよいよい帰りは怖い
ブルドからウランバートルに戻る道中は、すんなりとはいかなかった。馬乳酒が飲めたのはいいが、しばらくすると乗っていた車がパンクした。柑橘類は人生で初めてパンクを経験したので、最初何が起こったのか皆目分からなかった。同乗者の皆様は素早く状況を把握していた。
タイヤ交換の間、しばし草原に放り出される。というのも、道の近くにいては、トラックに撥ねられた石が飛んできて危ないとのこと。降ろされた草原は、滞在していた場所と植生が違うのか、ハーブのにおいが漂っていた。

パンクを直して再出発したが、順調だったのはウランバートルまであと10kmくらいという地点までであった。本旅行記②の時に渋滞をうまく潜り抜けた成功談があったため、柑橘類はどこかモンゴルのこの社会問題を軽視していた。しっぺ返しが来た。全くと言っていいほど動かぬ大渋滞に巻き込まれたのだ。
あまりに動かないから少し眠るか…と寝たはずなのに、しばらくして目を覚ましたら、先程前方に見えていた看板が依然前方にある、といった具合の進み方である。
もちろんモンゴル政府とて、この首都の社会問題を解決すべく、色々と取り組んでいる。やれ地下鉄を通そう、地下道を通そう、バイパスを作ろう、電動バイクを市内に普及させよう、バスに乗ろう、など頑張ってくれてはいるのだ。
けれどもモンゴル人は遊牧民ゆえに、自分の移動の手綱は自分で握っていなければ気が済まない国民気質らしい。つまり「運んでくれる」バスや地下鉄は、彼らにとって避ける手段となり、その結果どうしても車が増えてしまう。
郊外よりウランバートル市内に繋がる道路も決して多くはなく、完全にキャパオーバーを起こして道が詰まり、慢性的な渋滞が発生してる。ここまで来たらいっそ馬の移動を認めた方がいいのでは?と草原帰りの柑橘類はそんな安直な考えを浮かべた。
這う這うの体でやっとウランバートル市内に入り、モンゴル最後の晩餐に着いた。とても美味しいモンゴルしゃぶしゃぶで、久しぶりのポン酢が体中に沁み渡った。渋滞で転がされてかなり弱っていたが、一気に回復した。食べ慣れた味というのがここまでパワーを与えてくれるとは。

気力が回復した柑橘類たちに、最重要ミッションが待ち構えていた。そう、草原でばかり過ごしていたので、お土産類を全く買っていなかったのだ。
一同慌ててノミン・デパートに駆け込む。モンゴル国立百貨店の品揃えを信じた、制限時間1時間の限界ショッピングの幕が今上がった。

素敵なデザインのチンギス・ハーンのTシャツがあれば欲しかったが、心射抜かれるものに出会えず…残念。代わりにカザフ刺繍のものやラクダ毛の靴下、バラマキ土産にチョコレートなど、ちょっと買いすぎたか?と思っても日本円で1万円ほどであった。
モンゴルはいまチョコレートに力を入れていて、ベルギーから職人を呼んでレクチャーを受けているそうな。試しにひとつ食べてみたが、日本の某高級チョコなんぞよりずっと美味しい。モンゴルがどれだけ力を入れているのか、食べて実感できた。
しかしノミン・デパート、楽しすぎて1時間では到底足りなかった。もっとゆっくりしていたかったという後悔だけが残る。その後悔はまたモンゴルへ来るときの口実にさせてもらおう。
そうしてモンゴル最後の夜が終わったのであった。
