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【自己紹介】「またいつか走ろう」そう思いながら、気づけば10年が過ぎていました。もしあなたも、同じように胸の奥にくすぶる気持ちを抱えているなら、少しだけ私の話を聞いてください。

あの日のゴールテープ:2026年2月、熊本城マラソン

本番までの1ヶ月間、禁酒をして臨んだレース。
来年の「サブ3(フルマラソン3時間以内)」を見据えて、スタートから10kmまではあえてサブ3ペースで走る、計算済みの賭けに出ました。

最初の5kmを20分40秒、10kmを41分55秒。手応えは十分でした。
しかし、現実は甘くありません。当日は最高気温が20℃に迫る異例の暑さ。32km過ぎの下りで、右足のハムストリングが激しく攣りました。

ここで止まったら終わりだ。

ペースを落とし、腕の力だけで脚を前に進めました。絶対に歩くわけにはいかない。40km過ぎの急坂、限界を迎えた右腕が痺れ、痛みに変わっても、今度は左腕一本を懸命に振り続けました。

ようやく辿り着いたゴール。タイムは、3時間12分。

達成感と同時に、「まだここまでか」という悔しさが込み上げました。
かつての自己ベストは2時間54分1秒。あの頃の自分にはまだ遠い。でも、「正しいトレーニングを積めば、この年齢からでも必ずまたサブ3に手が届く」という確かな火種を感じたレースでした。

走ることから離れた、空白の10年間

実は、私のランニング人生は順風満帆ではありません。
38歳で初めてサブ3を達成し、通算4回クリア。「タイムこそが自分を表現する手段」だと信じて疑わなかった私を、突然の悲劇が襲いました。

練習のしすぎによる、重度の腰痛。丸3ヶ月、走れなくなりました。
しかし、本当に走ることを忘れていったのは、その後に始まった「両親の介護」でした。

精神を病み、車いすのまま病院の非常階段から「自殺してやる」と叫ぶ父。その父を支えきれず、うつ病で倒れた母。別々の病院に入院した二人を行き来する日々に、走ることを考える余裕など、どこにもありませんでした。

夜は、お酒を飲まないと眠れない。気づけば毎晩、深酒で現実から逃げる日々。「また走れる日が来る」と言い聞かせながら、気づけば10年が過ぎていました。

 1kmで息が上がり、悔し涙を流した再起動

昨年、ようやく生活が落ち着き、私は10年ぶりに走り出しました。かつての自分と比べるのが怖くて、タイムを計るのも躊躇しながらのスタート。

結果は、愕然とするものでした。わずか1kmも走らないうちに息が上がり、3kmを走り切ったタイムは16分37秒。「ここまで走れなくなっているのか……」と、帰り道に嗚咽(おえつ)混じりの涙が溢れました。

でも、その涙と一緒に溢れてきたのは、「やっぱり私は、どうしようもなく走ることが好きなんだ」という純粋な想いでした。思えば、走れなかった10年間も、マラソン中継を欠かさず観て、陸上雑誌を読み続けていました。私はずっと、走る人たちの背中を追いかけていたのです。

なぜ、いま私はこの発信をするのか

「結城灯」という名前は、再起をかけた時に付けました。

介護と深酒のどん底にいた頃、私の中の火は消えかけていました。だからまず、自分自身にもう一度「灯」をともそう、と。

そして、私がいま、このnoteを書いている理由。
それは、かつての私と同じように、怪我や介護、仕事や年齢を理由に諦めかけている「あなた」の心に、もう一度情熱の灯をともしたいからです。

走れなかった10年間、私はずっと同じことを考えていました。40代・50代の大人の体には、時間も体力も限られている。「質より量」と言い切る根性論も、その逆を言い切る発想も、実はどちらも危うい。私たちに必要なのは、限られた時間で最大の効果を出す「大人のための科学的かつ効率的なトレーニング」です。

あなたと一緒に、大人の大逆転劇を

このnoteでは、私が10年ぶりのサブ3復帰を果たすまでのリアルな練習メニューや体づくり、タイムマネジメントのすべてを余すことなくギブしていきます。

うまくいかない泥臭い日も、すべて正直に書きます。
同じように諦めかけている人が、一人で抱え込まなくていい場所を、いつか作れたらとも思っています。

ブランクを越えて、目標を達成したときのあの震えるような充実感を、もう一度一緒に味わいませんか?

もし「自分ももう一度、本気で走りたい」と感じていただけたら、ぜひフォローしてください。急がず、けれど止まらず。一緒に、新しいスタートラインへ立ちましょう。

ここまで読んでくださった方へ。文章では書ききれなかった思いを、声でも残しています。よかったら聴いてみてください。
▶肉声の自己紹介:https://stand.fm/episodes/6a5cabbbf2861392aface0f6

結城 灯

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