モブキャラとハイエク〜『自由の条件』序言②-1 ルソーと一般意志〜
はじめに
序言①では、ペリクレスの引用から出発し、ロック、モンテスキュー、スミスを経てハイエクへと至る肯定的な系譜を辿った。
そこには「自由を守る」という一貫した主題が流れていた。
しかし『自由の条件』の序言を読み進めていくと、気づくことがある。
ハイエクの筆致には、系譜を懐かしむような温もりだけではなく、ある種の緊迫感がある。
それは、「闘う」という姿勢の緊迫感だ。
僕は氷河期おじさんであり、モブキャラだ。
偉大な思想家の真意を正確に捉えることは困難極まるだろう。
それでも、この緊迫感の正体を、モブキャラなりに辿ってみたい。
ハイエクは何と闘っていたのか
1960年、ハイエクが『自由の条件』を書いた時、彼は何かと闘っていた。

それは抽象的な思想論ではない。目前で進行している、具体的な思想の闘争だった。
まず、彼自身がどう語っているかを聞いてみたい。
現に行われているイディオロギーの大いなる闘争に勝利しようとするならば、我々は自らの確信を何よりもまず知らなくてはならない。
僕はこう解釈する
ハイエクはここで、「現に行われている」と書いている。
過去の問題でも、将来の懸念でもない。
彼の目の前で、今まさに進行している闘争についての言葉だ。

そして、その闘争を「イディオロギーの大いなる闘争」と呼んでいる。
それは単なる政策論争ではない。
思想の根幹をめぐる闘いだ。
興味深いのは、ハイエクがこの闘争を避けられないものとして前提していることだ。
「勝利しようとするならば」と彼は言う。
闘争から逃げるという選択肢は、彼の視野に入っていない。
そして結びは、読者への要求だ。
「我々は自らの確信を何よりもまず知らなくてはならない」。
僕はこの一文に、ハイエクの思想の根底にあるものを感じる。
自由とは、思考を他者に委ねないことだ。
権威に委ねない、専門家に委ねない、集団の空気にも委ねない。
自分の確信を自分で知り、自分の言葉で語る。
それが自由の本質だ。
思考を放棄して他者に委ねることは、形式的にはどのような自由が保障されていようと、実質的には自由の放棄に等しい。
ハイエクはこの認識を、前提として置いている。
その前提の上で、『自由の条件』の本編へと入っていく。
自由がどこで脅かされるのか、どのような思想が自由を損なうのか。
本編で展開される議論の立ち位置は、この序言の冒頭で既に明確にされている。
彼は、読者に対しても同じことを求めている。
自ら考え、自らの確信を知れ、と。
ならば、僕は、彼が何と闘っていたのかを、自分の足で辿ろう。
ルソーから始めたい
ハイエクが闘っていた相手を辿るには、時代背景と思想的系譜の両方を見る必要がある。
1960年という時代。
そして、ハイエクが闘った思想的系譜の源流。
この源流を辿ると、一人の思想家に行き着く。
ジャン=ジャック・ルソーだ。
彼が提示した「一般意志」という概念が、その後の思想的潮流を決定づけた。
そしてその潮流が、20世紀の歴史的帰結と構造的に繋がっていることを、これから見ていきたい。
なぜルソーから始めるのか。
それは、ハイエクが闘った相手を理解する上で、最も根源的な出発点だからだ。
1960年という時代
ルソーから始めたいと書いたが、その前に、ハイエクがどのような時代に『自由の条件』を書いたのかを確認しておきたい。
時代の空気を知ることで、彼が直面していた思想の潮流がより鮮明に見えてくるからだ。

ハイエクが『自由の条件』を書いた1960年。
この年代が、どんな時代だったか。
ソ連は、1957年に人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げていた。
1961年にはガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を成し遂げる。
宇宙開発で西側を先行していた。
フルシチョフは「我々はあなたがたを埋葬する」と発言し、1961年には「20年以内に共産主義に到達する」と宣言した。
ソ連の工業成長率は、公式統計上、アメリカを上回っていた。
当時の標準的な経済学の教科書は、「ソ連経済は近い将来アメリカを追い抜く可能性がある」という趣旨のグラフを載せていた。
多くの知識人が、本気でそう考えていた時代だ。
脱植民地化が進む第三世界では、計画経済モデルが「後発国の開発モデル」として強い魅力を持っていた。
インドのネルー、エジプトのナセル、その他多くの新興国の指導者が、国家による経済設計に未来を見ていた。
西側先進国ですら、穏健な計画主義が知識人の主流だった。
ケインズ主義的なマクロ経済政策、ベヴァリッジ型の福祉国家、フランスの国家主導型産業政策、北欧の社会民主主義。
これらは「資本主義と社会主義の良いとこ取り」として、広く支持されていた。
この時代に、ハイエクは少数派だった。
「時代遅れの19世紀自由主義者」として、しばしば揶揄される立場にあった。
彼の盟友ミーゼスも同様の扱いを受けていた。
だからこそ、「現に行われているイディオロギーの大いなる闘争」という彼の言葉は、修辞ではなく現実の認識だった。
彼は、時代の流れに逆らう少数派だった。
しかし彼は、それでも自らの確信に従い、この書籍を執筆した。
ジャン=ジャック・ルソーという人物
1960年にハイエクが直面していた思想の潮流は、一日で生まれたものではない。
その源流を辿ると、18世紀のフランスに行き着く。
そこに一人の思想家がいる。
ジャン=ジャック・ルソーだ。

ルソーは1712年、ジュネーブに生まれた。
母は彼を出産した際に亡くなり、父とも幼少期に離れて育った。
正規の教育を受けることなく、独学で思想を深めていった。
啓蒙期のフランスで活動し、『人間不平等起源論』(1755年)、『社会契約論』(1762年)、『エミール』(1762年)などを著した。
しかし彼の著作は各地で禁書となり、ルソーは追われるように各地を移動することになる。
イギリスでは哲学者ヒュームが献身的に彼を保護した。
しかし、ルソーは次第にヒュームが自分を陥れようとしていると感じるようになり、公開書簡で糾弾して決別した。
晩年は、周囲から陰謀を受けているという感覚と共に過ごした。
1778年、孤独の内に死去する。
時代の先端を切り開いた思想家であり、同時に、生涯を通じて他者との関係を結び続けることに苦しんだ人物でもあった。

ルソーの顔①:個人への洞察者
ルソーには二つの顔がある。
まず、個人への深い洞察者としてのルソー。
『人間不平等起源論』で彼は、文明が人間の自然な感受性を歪めていくと診断した。
他者との比較から生まれる自惚れが、人間本来の自己愛を蝕んでいく、と。
『エミール』では、子どもの内発性を尊重する教育論を展開した。
外的な規範を押し付けるのではなく、子ども自身の自然な成長を支える姿勢。
ここにあるのは、一人一人の人間の内側にある自然な感受性、内発的動機への洞察だ。
現代の心理学で言えば、マズローの自己実現論や、デシとライアンの自己決定理論の遠い祖先として、ルソーを位置づけることもできる。
この顔のルソーには、深い敬意を感じている。
ルソーの顔②:『社会契約論』の理論家
しかし、ルソーにはもう一つの顔がある。
『社会契約論』の理論家としての顔だ。
彼はこの本で、「一般意志」という概念を提示した。
一般意志は、個々人の特殊な意志の総和ではない。
共同体全体の本質的な意志である、と彼は言う。
「一般意志は誤らない」
「一般意志に従わない者は、自由であるよう強制される」
個人への洞察者だったルソーが、なぜこうした主張に至ったのか。
彼の内側では、二つの顔は矛盾しないのかもしれない。
個人の自然な内発性を尊重するからこそ、それを歪める文明社会を、一般意志によって作り直そうとしたのかもしれない。
しかし、まるで、過去からの蓄積を否定して、一から作り直そうとしているように見える。
それは、あまりにも傲慢ではないだろうか。
我々は、過去の偉人たちの肩を借りることで、ほんの少しだけ遠くを視えるようになるに過ぎない。
その積み重ねを根底から否定することは、致命的な思い上がりではないだろうか。
「自由であるよう強制される」の論理
「一般意志に従わない者は、自由であるよう強制される」

一見、矛盾した表現に見える。
自由なのに強制とはどういうことか?
彼の論理を追うと、こう理解できる。
人間には二種類の意志がある。
一つは、目先の欲望に振り回される特殊意志。
もう一つは、人間の本質的な利益を体現する一般意志。
ルソーにとって、真の自由とは、目先の欲望に従うことではない。
それは結局のところ、欲望の奴隷だからだ。
真の自由は、人間の本質に従うことにある。
だから、ある人が一般意志に反することを欲する時、それは彼の目先の欲望であり、彼の真の意志ではない。
一般意志に従うよう強制することは、彼の真の自由を実現することだ。
これがルソーの論理だ。
しかし、ここに一つの問いが生まれる。

「誰が、他人の『真の自由』を判定するのか?」
他人に自らを委ねる?
それは、自由の放棄ではないか。
一般意志を識るとは何か

ルソーの一般意志概念には、もう一つの前提が隠れている。
「一般意志を識る者が存在しうる」という前提だ。
社会の共同体全体の本質的な意志を、誰かが把握できる。
その把握した者が、共同体を導くことができる。
この前提が、ルソー以降の思想的系譜の出発点となる。
ハイエクの回答
いかなる人間知性であろうと社会の運行を司る知識を全て理解することは出来ない。

僕はこう解釈する
ハイエクはここで、認識論的な限界を語っている。
誰も、社会の全体を識ることはできない。
この命題は、ルソーの一般意志概念を根底から揺るがす。
なぜなら、一般意志を識るには、社会全体の意志を把握する必要があるからだ。
いかなる人間知性もそれができない以上、「私は一般意志を識っている」と語る者は、原理的に詐称していることになる。
これは、「全てを識るリーダー」という架空の存在への戒めだ。
そして同時に、そのような架空のリーダーを信じてしまう、我々一般大衆への戒めでもある。
人は誰しも、自らについて、自らの責任において全て判断しなければならない。
しかし、それは、重たい。
だから、「誰か全てを分かっている存在」に委ねたくなる。
その誘惑は、理解できる。
しかしハイエクは言う。
そのような全てを識る人間知性は、原理的に存在しない。
委ねることは、一般意志の実在の有無にかかわらず、自由の放棄に他ならない。
そもそも委ねる先が、貴方の確信を反映したものなのか。
しかしここで、さらに根本的な問いが生まれる。
共同体の「意志」というものは、本当に存在するのだろうか。
個々人の意志なら、確かに実在する。
それが集まる時、関係性が生まれる。
しかし、その関係性の総体とは別に、共同体それ自体の「意志」が存在するのだろうか。
一般意志と称される何かを「識る」と語る者は、実は、自分自身の特殊な意志を、一般意志の名で語っているのではないか。
最後に

しかし、ルソーのこの概念は、その後の歴史を大きく動かすことになる。
一般意志という装置が、思想史の中でどう継承され、20世紀にどのような帰結を生んだのか。
次回、その道筋を辿りたい。
【参考文献】
F・A・ハイエク『自由の条件Ⅰ 自由の価値〈普及版〉』 西山千明・矢島鈞次監修、気賀健三・古賀勝次郎訳、春秋社
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』(1755年)
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』(1762年)
ジャン=ジャック・ルソー『エミール』(1762年)
