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生まれた朝、あなたには何が見えたの


今井美樹の「瞳がほほえむから」という曲が、ずっと頭を離れない。

あの冒頭の問いかけ——生まれてきた朝、あなたには何が見えたの、という一節。

息子が生まれた日から、その問いが何度も胸に返ってくる。


私は立ち会い出産だった。


陣痛が始まってから、15時間。妻の体力が限界に近づいていた、その時だった。息子は元気な産声をあげて、この世に出てきた。


産院では、できるだけ早く初乳をあげる方針だった。助産師がそっと息子を妻の腕に預けてくれた。妻は小さく嗚咽を漏らした。声にならない、静かな泣き声だった。息子は小さな手を伸ばして、妻に抱きついた。


そしてその時——二人の目が合った。


澄んでいた。生まれたばかりだというのに、何もかも見通しているような、深くて静かな瞳だった。妻は声も出せずにただ抱きしめていた。その目を見た瞬間に、15時間の苦しみが遠くなったのだろう。隣で見ていた私にも、それが伝わってきた。


初乳を終えた後、今度は私が息子を抱いた。


本当に小さかった。手も足も、少し力を入れれば手折れてしまいそうなほど華奢で。こんなに小さな命が、たった今この世に来たのだと思うと、腕に力が入らなかった。


そのとき、息子がゆっくりと私の方を向いた。


小さな瞳が、私を探すように動いて——そして、止まった。


私を見上げるその目に、私は勝手にそう問いかけられた気がした。


あれは、何だったのだろう。視線が交わったあの瞬間。きっとあれが、父性の始まりだったのだと、今も思っている。


施術に来てくれたあるお母さんが、出産した時のことを話してくれた。

少し難産だった、と彼女は言った。長い時間をかけて、痛みと向き合い続けた末に、小さな命がこの世に生を受けた。


助産師が「元気な男の子ですよ」と言いながら、ずっしりとした温もりを腕に預けてくれた瞬間のことを、彼女は今でも鮮明に覚えているという。


その子には、お腹の中にいる頃から決めていた名前があった。妊娠中、彼女は毎日のようにその名前で話しかけていた。大きなお腹に手を当てながら、「今日も元気にしてる?」と。胎動を感じるたびに、「ああ、返事をしてくれた」と思いながら。


抱き上げたその瞬間、彼女はその名前を呼んだ。


するとその子は、ゆっくりと目を開けた。そして——お母さんには、微笑んでくれたように見えた。


「嬉しくて、思わずもう一度名前を呼びながら抱きしめてしまいました」と彼女は語る。「あの瞬間、出産の苦しみが、すうっと消えていったんです」


その話を聞いた時、私はどうしても考えずにいられなかった。あれは偶然だったのだろうか、と。


赤ちゃんは、お腹の中にいる間から、お母さんの声を聞いている。


羊水や骨を通して——いわば骨伝導のような仕組みで——お母さんの声の抑揚やリズムが、じんわりと届いているのだ。生まれた直後の赤ちゃんは、すでに母親の声をほかの声と聞き分けているのだそう。


つまり、名前を呼ぶお母さんの声は、赤ちゃんにとって初めて聞く声ではなかった。お腹の中で何ヶ月も聴き続けた、懐かしい声だった。


そして生まれたばかりの赤ちゃんが、はっきりと焦点を合わせられる距離は、およそ20〜30センチほど。ちょうど、抱っこされた腕の中から見上げる顔までの距離と重なる。


声に引き寄せられ、顔を向け、そこにある顔を見つめる。


抱っこというのは、その全てが同時に起きる場所だ。声と、ぬくもりと、顔が、ぴったりと重なり合う。お母さんの心臓の鼓動も、きっと聞こえていただろう。お腹の中でずっと聞いていた、あの音が。


では、あの朝——この世に生まれて最初の朝——赤ちゃんには何が見えていたのだろう。


まだぼんやりとした世界だったに違いない。光と影が滲み合うような、輪郭のゆるい景色。


でも、声がした。


知っている声だった。ずっと、ずっと聞いていた声だった。


その方へ、ゆっくりと顔を向ける。そこに何かがあった。温かくて、やわらかくて、じっとこちらを見ているものが。


それが何だったのか、赤ちゃんには分からなかっただろう。言葉も、記憶も、まだ何もない。


ただ——知っていた気がした。

#創作大賞2026 #エッセイ部門 #立ち会い出産 #初めて見たもの #今井美樹 #初めての朝

※本作は今井美樹『瞳がほほえむから』の音響解析や楽曲構成に沿って書いたエッセイです。

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