『Excelが使えても経理にはなれない』OpenAI Codex責任者が「PMをなくすな」と突っぱねた理由
OpenAIの従業員の9割が、毎週、Codexを使っている。
エンジニアの9割、ではない。営業も、経理も、法務も、広報も含めた、社員全体の9割だ。この数字を口にしたのは、Codexのアプリを率いるアンドリュー・アンブロジーノ本人だ。ホストのレニー・ラチツキーが補うには、週に500万人以上が使い、その数は今年の1月から6倍に伸びているという。
彼は、デザインからエンジニア、プロダクトマネージャー、起業家を渡り歩いてきた経歴の持ち主で、いま「これまで存在した中で最高のデスクトップアプリ」を作る、と公言している。レニー・ラチツキーのポッドキャストに登場した彼が、70分かけて一番伝えたかったこと。それは、AIがプロダクト開発の「形」を、ひっくり返した、という一つの事実だった。
「実装は、もはや高価な部分じゃない。高いのは、あえて言えば、taste だ」
「反転」。この一言が、対談全体を貫く。プロダクトを作る側も、プロダクトを使って仕事をする側も、自分の「専門性」がどこにあるのかを、もう一度、問い直される話になる。道具が誰でも使えるようになっても、専門性は別物だ――そう突きつける、ひとつの比喩が、この話の途中で待っている。
第1幕:プロセスが「逆」になった日
アンブロジーノは、まず、ある感覚の逆転を語る。
長年、プロダクト開発は「実装が高い」という前提で回ってきた。バグを作らないように、無駄なものを作らないように、事前に調べ、文書を書き、試作品でリスクを下げる。瀑布型を脱いだ後も、根本は同じだった。実装に手間と金がかかるから、本番の前に、徹底的にリスクを下げる。それが、正しい仕事、だった。
それが、ひっくり返った。
モデルに語りかけると、自分が思い描く機能が、その場で立つ。OpenAIの社員は「非常に自発的で、良いアイデアを持っている」から、誰もが何かを作っている。一つの機能が欲しいと思ったら、社内では90のチームが、バラバラに、同時にそれを試作している、という状況すらある。
実装は安くなった。では、何が高価になったのか。
「90の試みの中から、何が良いのか。何を他の機能に折り込むべきか。どう枠組みを作るか。そういう、選び取る作業が、いま高価なんです」
ここで彼は、一つの言葉を、少し言いよどみながら口にする。「あえて言えば」。高価なものの正体は、図面でも、工程表でも、コードでもない。「taste」だ、と。
この「反転」が、すべての始まりだ。実装のハードルが下がった分だけ、別の何かのハードルが、ぐっと上がる。その「別の何か」を、彼は taste と呼ぶ。設計審査やデザインレビューで、複数の案から「どれを本番に上げるか」を選ぶ立場――製造業の現場なら、誰もが一度は想像できる、あの位置取りが、いまプロダクトの中心に座っている。

第2幕:「taste」とは、cargo shorts を履いた男のこと
taste は、すぐにバズワードになりがる言葉だ。アンブロジーノ自身、「taste はバズワードだ」と苦笑する。では、彼が言う taste とは、具体的に何なのか。
彼は、タスク管理ツール「リニア」のプロダクト責任者が最近出した投稿を引く。そこには、「taste の見た目の側面ばかり強調しすぎだ」とあった。証拠として持ち出されたのは、ポール・グレアムのことだ。彼は明らかに taste の持ち主なのに、いつもカーゴショーツを履いている、と。
「taste が何を意味するか、もう少し解きほぐさないといけない」
taste には、見た目の良さもある。だが、それだけではない。システム全体の中で、これがどこに収まるのかという「全体を渡る目」もある。「私たちはどこへ向かい、これはどの主題の一部なのか」という方向感覚もある。何を、どう見せるか、という表現の工夫もある。結局、taste とは「広い文脈を渡っていく能力」のことだと、彼は言う。建築でいえば、部品の良し悪しではなく、間取りと動線と光の入り方を、同時に、見通す力に近い。
ここで、レニーが面白い比喩を持ち出す。画家や芸術家が、白紙に最初に置く一筆。これを心理学では、原初の印と呼ぶ。最初の一筆が、その後のすべてを決める。人間は、何かを見せられた瞬間、それに反応してしまう生き物だからだ。
アンブロジーノは、これに強く同意する。実装が安くなった今、いきなり試作品から入るのは、危うい。なぜなら、その試作品が最初の一筆になってしまい、以降の議論がすべて、その試作に引きずられるからだ。「PRDは死んだ、プロトタイプの時代だ」と声高に言う人がいる。彼は「私はこれを全く信じていない」と断じる。PRDとは、製品を作る前に要件をまとめる文書のことだ。
大切なのは、表現手段を選ぶ、ということ。方向が曖昧な領域を明確にしたいなら、文書が正解だ。操作感を確かめたいなら、試作品だ。実装が豊かになった今は、「何で伝えるか」を間違えると、とたんに話が狂う。
「かつては、表現手段が『工程の進み具合』を示していた。完成品に見えるものは、遅い段階、前提が確定した後、だった。でも今は、それが切り離された。だからこそ、taste が要る」
taste とは、要するに、「いま何を、何で、どう伝えるべきか」を見極める力だ。実装が安くなった分だけ、この見極めが、仕事の中心に座る。
第3幕:AIは、なぜデザインを奪えないのか
なら、AI はデザインも奪ってしまうのか。レニーは、ここで鋭く問う。実際、AI の出力は、まだ洗練されていない。「これだ」と唸ることは稀で、どこか「クロードっぽい」「コーデックスっぽい」という気配が残る。なぜ、最前線のモデルでさえ、デザインが苦しいのか。
アンブロジーノの答えは、構造的だ。四つの理由を、順に積み上げる。
第一に、デザインは採点しにくい。コードは、「動くか、動かないか」「正しいか、正しくないか」で評価できる。しかし、「良いデザインか、悪いデザインか」は、人間の taste が評価の一部に入ってくる。モデルを訓練する輪のなかに、人間の判断を組み込むのは、コードを評価するより、ずっと厄介だ。
第二に、もっと冷たい理由がある。研究室は、AI の研究そのものを加速させるものに、カネと時間を注ぐ。コードを正しく書けるモデルは、研究を速める。しかし、デザインが上手くなることが、研究を直接加速させるわけではない。
「デザインが重要じゃない、と言っているのではない。ただ、研究を回す弾み車に、直接、乗らない、ということです」
ここを、少しだけ、疑って読みたい。アンブロジーノは OpenAI の人間だ。「研究室は、研究を加速させるものに投資する」という言葉は、自社の優先順位を、そのまま、正当化してもいる。彼がこの発言をした時、隣にあるのは、自社モデルのデザイン力への、ある種の言い訳、という読み方も、成り立つ。それでも、この構造観察は、外れていない。だからこそ、本筋に戻す。
第三に、デザインには「新しさ」が要る。ソフトウェアの設計では、既知の型に乗せる方が、むしろ望ましい。ところがデザインでは、同じものを量産しても価値がない。一時期、新サービスがこぞってリニアのサイトを真似た。リニアのサイトは、確かに taste が良い。だが、モデルが毎回リニアのサイトを出力するようでは、「すごい」とは言われない。新しさが、デザインの核心なのだ。
第四に、いちばん深い。彼が Codex の初期コードを書いていた、あるいは監督していた時期に感じたことだ。見た目のデザインは、実は、表面に過ぎない。本当のデザインは、ソフトウェアの設計と、書かれるコードの間に横たわる「抽象の層」にある。
例えば、画面の隅にある要素と、別の場所にある要素が、コードの上では同じ抽象を共有している、という設計だ。見た目は違っても、両方とも「リストで、このスタイルで、この操作を伝える」という意味で同じ、と分かっている。会社がブランドを変えたら、表面的には何百もの部品を一つずつ直す。だが、その下の「二つのものが、意味として同じだ」という抽象が分かっていないと、直せない。
「その抽象の層は、いまの技術では、まだ少し手が届かない気がする」
ここで、アンブロジーノは、ある同業者の論を引き合いに出す。デザインを率いるジェニー・ウェンは、「デザインのプロセスは死んだ」と唱える、と彼は伝える。スピードが速すぎて、デザインを詰める時間がない。まず作って、動かしながら舵を取る、と。
彼は、これに、一言、返す。
「ジェニーとは、大方、同意します。プロセスの『本来の形』は、私も、AI が来る前から好きじゃなかった。だから、死んだ、というのは、真でもある。でも、同時に、嘘でもある」
「死んだ」というのは、特定の道具や手順に固執することについては、真だ。だが、「私たちはいま、どの段階にいるのか」という俯瞰を捨てていい、という意味では、嘘だ。逆に、その俯瞰は、かつてないほど重要になっている。これが、デザインを軸にした核心だ。プロセスは死んだ。しかし、デザインそのものは、死んでいない。むしろ、人間の taste が、プロセスの中心に、据え直されただけだ。

第4幕:役割は溶ける。けれど、消えない
プロセスが反転し、taste が中心になる。では、プロダクトマネージャーも、デザイナーも、エンジニアも、役割は溶けてしまうのか。
ここで、アンブロジーノは、現場の実感を一つ示す。「役割の崩壊」という言葉が、はやる。だが、Codex の組織でも、実際には「役割が消えた」わけではない、と彼は言う。
「『役割とは、自分が時間をかけていることの平均値である』――私たちは、そう捉えています」
誰かが、ある週はコードをたくさん書けば、その人は、その週はエンジニアだ。プロダクトの仕事が多ければ、プロダクトマネージャーだ。境界線で人を仕切るのではなく、「平均して、どこで働いているか」で捉える。
これが、Codex チームの作法だ。デザイナーもコードを書く。プロダクトマネージャーも技術の言葉を話す。チームを率いるアレクサンダー・エンブリコスは、計算機科学の修士を持つ。アンブロジーノ自身は持たないが、それが仕事の邪魔にはならない。
支えているのは、徹底した自社製品の使い込みだ。Codex アプリの設計は、アプリを自分たちで使い倒すことで進んできた。「アプリでできないことがあれば、直す。直したら、もっとできるようになる。すると、もっと使う」。この輪が、設計そのものを動かしている。
「あえて、アプリを一番の道具にするんです。まだ一番じゃなくても、使い続けることで、一番の道具にしていく。それは、かなり居心地の悪い場所ですが」
居心地が悪い、というのが、味なポイントだ。自分たちが不便を感じることで、直すべき場所が、肌で分かる。フィルタリングされた顧客の声ではなく、自分の痛みが、設計の根拠になる。
第5幕:「PMをなくせ」に、Noを突きつける
ここで、アンブロジーノは、声を少し強める。世の中には、「プロダクトの役割をなくそう。みんなビルダーだ」と言う会社がある。彼は、これに、明確に、反対する。
「プロダクトの役割をなくすのは、ひどい考えです」
理由は、単純で、重い。役割という概念をなくすと、「物事には、知見可能な最良のやり方がある」という認識まで、危険な勢いで消える、からだ。長年、培われてきたプロダクトという専門領域には、試行錯誤の末に見つかった、本物の方法論がある。それを、「コードを少し書いたから」という理由で、放り出していいのか。
「『コードを書いた』と言って、プロダクトの専門性を捨てる。それは、良い場所じゃない」
彼は、ここで、鋭い比喩を放つ。
「Excel は使えても、経理チームで働けるわけじゃない」
どの職場にも、AI を使って何かを作れる人はいる。だが、それと、その道の専門家が同じだとは、ならない。経理には経理の、法務には法務の、プロダクトにはプロダクトの、知見がある。道具が民主化されても、専門性の結びつきは残る。AI で契約書のドラフトは書けても、法務の「リスクの勘所」は別物だ。その勘所を、どこに残すかが、いま問われている。
もう一つ、軸になる言葉がある。専門性の結びつきだ。実装が安くなり、誰もが何かを作れるようになった。その分、専門性をどこに残すのかが、問われる。アンブロジーノは、境界で仕切るのは歓迎しないが、専門性を捨てるのは危険だ、と態度を分ける。
役割は、無くならない。ただ、移動する。ある人が、どの専門性を、どのくらいの比重で担うか。それが、これからの「役割」の正体だ。だから、マネージャーも、無くならない。
「誰もが、すべてを、やれるわけじゃない。広さでも、深さでも。だから、マネージャーはなくなりません」
ここで、彼はもう一つの言葉を紹介する。ゾーンディフェンス。バスケットボールの、エリアを分担する守り方だ。プロダクトマネージャーが二人、近すぎるのは良くない合図だ。互いに、少しずつ距離を取って、会社全体をカバーする。空いた場所を埋める。営業テリトリーを分けるとき、被りすぎると死角ができるのと同じで、taste を持つ人たちを、あえて散らして配置する。それが、いまの組織の作法だ。

第6幕:タイミングの魔物と、まだ届かないループ
デザインも、役割も、組織も、変わった。では、計画はどう立てるのか。
アンブロジーノは、素直だ。「私たちは、計画に、別に、革命的なことはしていません」。基本は、「近いものほど、詳細が要る」。9ヶ月先の計画に、精度を詰めるのは、今は「偽の精度」だ。11月に立てた計画は、12月には古くなる。モデルが変わるからだ。
ここで、彼は一つの、痛いエピソードを明かす。
「2月に出した Codex アプリは、もし11月にできていたら、市場で、絶対に失敗していました。唯一の違いは、11月と2月の、あいだのモデルだったのです」
同じ形のプロダクトだ。同じチームが、同じ設計で作った。違うのは、モデルが数ヶ月で賢くなったこと、だけだ。それだけで、成功と失敗が分かれた。AI 時代のタイミングは、これほど残酷だ。
だから、彼らは、「作りたいものを全部リストする。全部、試作品を作る。今、使えるものを選ぶ。まだ早いものは寝かせる。モデルが飛躍するたびに、もう一度、試す」というやり方をとる。機能の価値が、形ではなく、モデルの賢さで決まる時代だからだ。
この「タイミングの魔物」を、少しも恐れないわけではない。アンブロジーノは、既存のプロダクトの小さな不具合を直すのは簡単だと言う。だが同時に、「下から上がってくる探求」を文化として大事にする。いつか、今の Codex を、別の何かが脅かす。その脅かす側を、同じチームで両立できるとは限らないからだ。
「既存のプロダクトを直す。一方で、それを脅かすものを探す。この両方に、一つのチームが常に強いことはない。それを前提に、プロセスを設計しています」
では、自律的な開発は、どこまで来ているのか。モデルが、自律的にコードを書き続ける仕組み――現場では「ループ」と呼ばれる――について、アンブロジーノは、少し肩をすくめる。
「ループなんて、もう先週の話ですよ」
冗談だ。だが、本音もにじむ。「今のプロダクトは、100パーセント、AI が書いたコードです」。問いは、もはや「AI が書いたか」ではなく、「監督付きか、監督なしか」だ。彼は、評価の基準が動くことを歓迎する。それが進歩の証だからだ。
一方で、限界も正直に認める。モデルは、コードを足すのは得意だが、削るのが壊滅的に苦手だ。「どの会社の研究者にも、お願いしたい。コードを削るのが上手いモデルを作ってほしい」。一晩でコードの掃除をしてくれるモデルは、まだ、そこまで届いていない。
「Twitter を聞き、Slack を聞き、メールを聞いて、勝手にアプリを良くする、そういうループ。私たちは、まだそこまで行っていない。でも、近づけようとしています」
アプリの未来像は、もう一つの対比で、輪郭が見える。ライターのダン・シッパーは、「SaaS のアプリを、Codex のなかで動かすようになる」と予測し、毎日、アンブロジーノに催促のメッセージを送る。一方、アンブロジーノが描くのは「ホームベース」だ。すべてをアプリの枠のなかでやるのではなく、仕事を始め、終え、自動化する、起点になる場所。表計算アプリは、社外の本物のアプリと直接つなぎ、終わったら、そのアプリを閉じる。仕事の中心として、アプリが置かれる。もっとも、これは Codex という自社プロダクトの戦略を、そのまま語っている面もある。そのつもりで、読んでいい。
そして、彼自身の使い方が、その未来の縮図だ。アンブロジーノは、毎朝、アプリに、3000のチャンネルから、自分が目を通すべきものを要約させる。「5つの質問をくれ。答えるよ」と、アプリに投げる。足りない接続部があれば、アプリが自分で画面を操作して、設定しに行く。彼がスパムメールを弾く仕組みを作ろうとした時、アプリは、設定画面を勝手に動かし始めた。「接続部がなくても、クリックすればいい」。コードを書くアプリが、自分の足りない部分を、自ら補う。その姿こそが、ホームベースの実像だ。
第7幕:Premiere Pro の拡張を、自分で作った動画編集者
未来は、想定外の場所からも顔を出す。
Codex の初期プロモーションのために、この部屋で撮った動画があった。社内の映像担当、ブレントに、編集が回ってきた。彼はそれを、Codex で編集した。Codex は動画編集ソフトではない。だが、ブレントが使うプレミアプロのファイルを、直接読んで、一部を書き換えた。
すべては、できなかった。そこで Codex がとった行動が、尋常でない。
「足りない機能は、自分で、プレミアプロの拡張機能を作って、インストールしたんです。そして、その拡張に向かって、『プレミアプロの中の、この印を変えてくれ』と、話しかけた」
動画編集の専門家が、コードを書くアプリを使う。そこで、AI は、自分の足りない部分を、自ら補った。これは、「もっと野心的でいい」という、アンブロジーノの言葉の、最も鮮やかな証明だ。私たちは、AI に何ができるかを、まだ、過小評価している。
ここまで読んできて、私が一番考えさせられたこと
長い失敗の歴史が、この、勢いのある話の底にある。
レニーが、「失敗のコーナー」という、いつもの質問を投げる。アンブロジーノは、少し言葉を止める。
「今が、失敗していると感じなかった、初めての時期かもしれません」
彼は長い間、起業家だった。会社を、部品ごとに売るしかなかった。規制の厳しい業界で、何年も、すべてが失敗に感じられた。別の会社でも、AI の道具を規制業界で何度も試し、何度も動かなかった。
「10年から15年、失敗し続けてから、やっと、ここに来ました。だから、毎日、うまくいっていることに、まだ驚いています」
OpenAI の社内では、プロダクトが失敗すると、容赦がない。「2000メッセージのスレッドで、私たちがどれだけ愚かかが書き込まれる」。その手加減のなさこそが、外のプロダクトを良くしている、と彼は言う。
私が、一番考えさせられたのは、ここだ。「実装は安い、高いのは taste」。この華やかな反転の裏には、10年を超える泥臭い失敗がある。taste とは、生まれつきの審美眼ではない。数え切れない「これは違う」を、自分に言い続けてきた、傷の積み重ねだ。
アンブロジーノは、役割を無くさない。専門性の結びつきを大事にする。それはおそらく、彼自身が、その結びつきを失敗のなかで、体で覚えてきたからだ。「コードを書いたから、プロダクトが分かる」ではない。プロダクトにはプロダクトの知見がある。その謙虚さは、成功者からは、出にくい。
誰もが何かを作れる時代。実装のハードルは低くなった。しかしその分、問いは鋭くなった。あなたの専門性の結びつきは、どこにあるのか。AI が作ってくれるものの向こう側に、あなたにしか見えないものは何か。
まとめ:実装はタダになった。問い直されるのは、あなたの taste だ
冒頭の数字に、戻ろう。OpenAI の社員の9割が、Codex を毎週使う。それは、「コードを書くアプリ」が、エンジニアだけのものではなくなったという事実だ。
プロセスは反転した。実装は安い。高いのは、taste と、選び取る作業だ。役割は溶けるが、消えない。だからこそ、プロダクトの役割をなくすのは、ひどい考えだと、彼は言い切った。Excel が使えても、経理にはなれない。
2月に出たアプリが、11月に出ていたら失敗していた。タイミングの魔物は残酷だ。だから、計画は緩く、試作は厚く。自律的なループは近づいているが、まだ届かない。足りない機能は、自分で補う。動画編集者が、拡張機能を AI に作らせた、あの夜のように。
私たちは、「何かを作る」ことのハードルが下がった時代に生きている。しかし、「何を作るべきか」「何を良いと見なすか」という問いのハードルは、ぐっと上がった。
「今が、失敗していないと感じた、初めての時期かもしれません」
その一言の裏にある、10年から15年の失敗。その失敗こそが、彼の taste と、専門性の結びつきだ。AI が何でも作ってくれる世界で、残るのは、それだ。
あなたの仕事の結びつきは、どこにあるのか。AI が、あなたの代わりに書き、作り、直す、その向こう側で、あなたにしかできない判断は、何か。
参考にした情報について
本記事は、レニー・ラチツキーのポッドキャスト「OpenAI Codex lead on the new shape of product work | Andrew Ambrosino」の対談を元にしています。
