短編小説「気まぐれな神様とコーンポタージュ」
社内にある自動販売機には、小さな神様が住んでいる。
ただし、その神様は極度の近眼か、あるいはたちの悪い悪戯(いたずら)好きに違いない。
「……またか」
深夜二時。誰もいない給湯室で、私はガクリと膝をついた。
取り出し口に転がっていたのは、求めていた「キリッと覚醒!カフェイン増し増しブラックコーヒー」ではない。
どこか間の抜けた黄色い缶。「とろ~り濃厚コーンポタージュ」だった。
今月に入って三回目だ。私はボタンを押し間違えていない。この自販機は、私の疲労度がピークに達すると、勝手にメニューを書き換える余計な機能(バグ)を持っているのだ。
私は温かい缶を握りしめ、デスクに戻った。
モニターには、明日のプレゼン資料が広がっている。
クライアントの要望は『完璧な動線設計』。
私は建築デザイナーとして、定規で引いたような直線、無駄のない空間、白と黒の洗練されたオフィスを提案していた。
だが、何かが足りない。
部長には「君の図面は綺麗だが、息が詰まる」と言われた。完璧なのに、息が詰まる? 意味がわからない。無駄がないことが、正義ではないのか。
プルタブを引く。
カシュッ、という気の抜けた音と共に、甘ったるいトウモロコシの香りが漂った。
スタイリッシュな私のデスクには、もっとも似合わない匂いだ。
一口すする。
……甘い。
そして、悔しいけれど、温かい。
とろみのある液体が喉を通り、冷え切った胃袋に落ちていく。その熱が、張り詰めていた神経の結び目を、ふわりとほどいていくのが分かった。
立ち昇る湯気が、蛍光灯の光を受けてぼんやりと形を変える。
疲れか幻覚か星柄の着物を着て、太陽の杖を持った子供のようにも見えた。
舌をペロリと出して、「計算ばかりじゃつまらないよ」と笑う小さな幻影。
この甘ったるいスープの温度は、その杖が放つ陽だまりの熱そのものなのかもしれない。
ふと、缶の底を叩いて、残ったコーンの粒を落とそうとしている自分に気づく。
缶を垂直に持ち上げ、底を強く叩く。カン、カン、と虚しい音が響く。
出てこない。たった一粒のコーンが、計算された角度の縁(ふち)に引っかかって出てこない。
「……非効率な」
舌打ちが出そうになった瞬間、
その姿がモニターの黒い画面に反射していた。
なんとまあ、無様で、人間くさい姿だろう。
「……あ」
私はマウスを握った。
完璧な動線。最短距離。効率。
そんなものは、ロボットに歩かせればいい。
人間は、寄り道をする生き物だ。疲れたら立ち止まり、甘いものを飲み、無駄話をして、また歩き出す。その「淀(よど)み」こそが、人が集まる場所には必要なのだ。
私は、図面のメインストリートにあえて「無駄なスペース」を作った。
直線を曲線に変え、通り抜けできないアルコーブ(窪み)を設ける。
人が溜まり、視線が交わり、コーンの粒みたいに引っかかる場所。
そこは、効率の敵だ。けれど、間違いなく「居心地」の正体だった。
修正を終えた頃、窓の外が白み始めていた。
図面は以前よりも雑然とした。だが、不思議と体温を感じるものになっていた。
私は空になった黄色い缶をゴミ箱へ投げ入れた。
カーン、と小気味よい音が響く。
給湯室の方を見る。あのポンコツな神様は、もしかすると私の図面に「遊び」が足りないことを見抜いて、この甘ったるいスープを寄越したのかもしれない。
朝、
「……次はココアか? 手加減してくれよ」
私は苦笑いしながら、ネクタイを締め直した。
プレゼンへの足取りは、カフェインを摂った時よりもずっと軽かった。
