カワガスキ…(中編) 〜 レイノスキ 〜
私は結局、もう一つの紙包みが気になって、そのあとの仕事がまるで手につかなかった。
受け取ったデータの分析をしていても、
メールを返していても、
頭のどこかで、
『あの包みには、一体何が入っていたんだろう』
そんなことばかり考えている。
こんな日は、もうダメだ。
私はそう思ってスタッフたちに後を任せると、少し早めにオフィスをあとにした。
玄関の扉を開けると、家の中から聞き慣れた声がした。
「おかえり」
『……アンタ、また戻って来てるの!?』
ハイヒールを脱ぎながらリビングを覗くと、ソファでくつろいでいた妹のレイがこちらを見て笑った。
『旦那様ほったらかして、いいの?』
「いいんだよ」
レイはケロッとした顔で答える。
「今日も出張だから、一人でいるより実家に帰ってたらって」
そう言って、何かを口へ放り込んだ。
『何食べてるの?』
「ん? これ」
レイが袋をこちらへ向ける。
『またシャケの皮食べてるの? 太るよ』
「へへっ」
少し照れくさそうに笑う。
「これは炙り焼きだから、そんなにカロリーないの。タンパク質も多いし」
少し間を置いて、
「あんまり美味しくないけど」
と付け加えた。
『ご飯は?』
「まだ」
『えっ!?』
「姉様が帰って来るの待ってた」
私は思わずため息をついた。
こういう人懐っこいところが、この子の憎めないところだ。
私は悪い人じゃありません。
怪しい者でもありません。
そんな顔をして、するりと相手の懐へ入り込んでくる。だから相手は驚きながらも、いつの間にか受け入れてしまう。
それにしても、この子は本当に皮が好きだ。
小さい頃からそうだった。
シャケだろうが、
ブリだろうが、
サバだろうが……
焼き鳥屋へ行けば、真っ先に皮を頼む。
いつの頃からか、我が家では「皮」という皮は、全部レイのところへ集まるようになっていた。
もっとも、この子もなかなかにうるさい。
皮なら何でもいいわけではない。
パリパリに炙っていないと駄目なのだ。
集まった皮を母のところへ持って行く。
そして、あの人懐っこい笑顔で、
「ねぇ、もうちょっと炙って」
と、おねだりする。
母も母で、
「しょうがないわねぇ」
と言いながら、レイから受け取った皮のお皿を持って台所へ向かうのだった。
一度、赤身と中トロの盛り合わせが名物のお店へ連れて行ったことがある。
食べ終えると、お皿には飾りのマグロの皮だけが残っていた。
「姉様、この皮食べられるかな?」
『無理でしょ。ナマだよ。焼くか炙るかしないと』
「そっか」
そう答えた瞬間、
しまった、
余計な知恵をつけてしまった。
そう思った時には、もう遅かった。
レイはマグロの皮がのったお皿を両手で持つと、後ろに立っていた仲居さんへ満面の笑みを向けた。
「この皮、焼いてもらえますか?」
仲居さんは一瞬驚いたものの、
「申し訳ございませんが、それは出来かねます」
と、にこやかに断った。
普通なら、そこで諦める。
けれど、一度決めたレイは諦めない。
今度はカウンターの向こうで寿司を握っていた板前さんへ、同じお願いをした。
すると、その横にいた大将が笑いながら口を開いた。
「お嬢ちゃん、皮好きかい? 焼いてやるから、ちょっと待ってな」
しばらくして、運ばれてきたこんがり炙られたマグロの皮を頬張るレイは、それはもう満面の笑みだった。
私は半ば呆れながら、その横顔を見ていた。
この子は、自分の「スキ」に本当に素直だ。
そして、その素直さで、周りまで動かしてしまう。
その生き方が、少し羨ましかった。
「姉様」
『ん?』
「なんかお土産ない? レイお腹空いちゃった」
その一言で、私はハッとした。
そうだ。
せっかく記憶の奥底へ沈めたはずなのに。
もう一つの紙包み。
あの中には、一体何が入っていたんだろう……
モヤモヤが、また頭の中へ浮かび上がってきた。
『アンタのせいで、また思い出したじゃない』
「ん?」
袋の中からシャケの皮を一枚つまみ、ポリポリと音を立てながら頬張るレイは、何のことだろうという顔で首を傾げていた。
◇ ◇ ◇
その後も、カレは月に二、三度、出張の帰りに私のオフィスへ立ち寄った。
そして、そのたびに何かしらの手土産を持って来てくれる。
いつの頃からだろう。
カレが私のオフィスへ来る頃になると、決まってレイも実家へ戻って来ていることに気づいた。
『アンタ、一定間隔で戻って来てない?』
「あっ?」
レイは悪びれる様子もなく笑った。
「だって、この位の間隔で戻って来ると、姉様、いつも会社から何か持って帰って来るじゃん」
「美味しいものだったり、変わったものだったり」
「だから楽しみなんだよね」
少し身を乗り出してくる。
「ねぇ」
「今日もあの人来たんでしょ?」
『誰のこと?』
「う〜ん、え〜っと……そう!気の利いた人!!」
私は一瞬、何のことかわからなかったが、“気の利いた”で、ああ、カレのことかとピンと来た。
カレが持って来てくれる手土産は、確かに変わったものが多い。
けれど、どれもさりげなくひと手間かかったものばかりだった。
しかも、女ばかりの我が家には多過ぎず、年老いた母への気遣いまで感じられるものもあった。
きっと、レイはそういうところを見て、“気の利いた”と評しているのだ。
『……アンタ、何で今日あの人が来たって分かったの?』
レイはきょとんとした顔で私を見た。
「えっ?」
『だって、あの人が来る日なんて教えてないじゃない』
レイは少し笑うと、私の顔を指差した。
「姉様の顔に書いてあるよ」
『えっ?』
「で、今日は何頂いたの?」
『今日は何も美味しいものはないよ』
「え〜!?」
レイは私の顔をじっと見つめる。
「……ほんと?」
『ホント』
納得したような、していないような顔で、いつもの炙りシャケ皮チップの袋に手を突っ込んでいる。
「ふーん、そうかぁ、ないのかぁ〜」
そう言いながらレイはトントントンと階段を昇って行った。
全く、この子は鼻が利く。
そう思いながら、私は鞄の中の封筒を、そっと握りしめた。
さて、
これは、いつ見せるべきだろう。
中編了
