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アート鑑賞がライフワークとなるワケ

ワタリウム美術館に行った同日、我々は森美術館の「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」へ。現代アートを通して今の日本を考察するという展覧会。仕事でも、同様のテーマで展覧会を開催中のため勉強のつもりでセレクト。
六本木に美術館ができてからもう、何十回と行っている気がするが何をそこまで現代アートは私をひきつけるのか。これを機に書き出してみた。

《水中の月》A.A.Murakami


1. まず、自分の現在地やさらには世界での日本を確かめる基軸になるから。
私は例えば、この展覧会に出品する作家のほとんどを知らない。
有名、無名は重要ではない。

2. 次に単純に新しいものに好奇心が沸くから。現代アートは体験型のものも多く、写真の《水中の月》もしばらくその空間に佇んでシャボン玉の生まれるところから、最後に割れるか落ちるまでを何回も見届けることになる。
こちらAIでシャボン玉の落ちるタイミングなどは制御されているとか。
しかし、自然現象に近いものを作家も目指しているようにも感じるし、鑑賞者もこういった作品には時間を割くことを惜しまない傾向にある。

3.最後に、アート鑑賞は自分や他者との対話のメディアになるから。
20年ぶりに再会した友人でも、4年間をともに過ごした同僚でも、私の場合そこが互いの近況を報告する場になるし、何にどう反応するのかその人となり、現在の互いの心の在りようが、アート空間ではより解放的になると感じる。
そう、アートは心を柔らかくしてくれると信じている。

《地下鉄出口》ズガ・コーサクとクリ・エイト

六本木の出入口がダンボールで作られた作品も、小中学生の時の図工の時間を思い出してしまう懐かしさがある。普段足をとめてまで見ないモノにあえて着眼する事でこの世界を作っている一風景に気づかせてくれる。

《MITTAG》和田礼治郎
森ビル53階からの夜景

和田礼治良に至ってはブランデー越しにみる六本木の夜景をよく思いついたものだ。蒸留酒であり、時間をかけて熟成するほどに旨みの深さの増すブランデーを使った作品は粋である。
我々が写りこんだ、写真の中にも熟成した友情があり、なんだか象徴的でロマンチック。夜見るのと昼間の光で見るのはまた違うだろう。
そう、そうやって意味をつくることもまた、楽しい。

荒木悠《聴取者》

最後に、時間がなく軽く立ち見しただけなのだが、インパクト大な映像作品が一つあったので、ご紹介をしよう。
荒木悠《聴取者》という作品で牡蠣の殻が宇宙船のように、もしくは星屑のように回転しながら迫ってくる作品。
キューブリックの「2001年宇宙の旅」のような未知なる世界への憧れ、自然の産物への畏怖の念や脅威から、「我々人類はどこからきてどこへ向かうのか」のような哲学的問いまで短時間のうちに凝縮されたメッセージを受け取った気がした。

全作品を理解できなくても、気にしない。自分の感じるままに鑑賞する。
もちろん、あとで気になって調べ直したり、再度訪れることもある。
私が20年以上、美術館になお通い続ける理由は、展覧会のタイトル「時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」にもある如く、時間はとんでもない速さで過ぎ去るもの、ゆえの”尊さ”や世界の変化、そして、人間の心や想いそして
魂が”永遠”でありうる、と感じに行くためでもあるのだろう。

トップ画像: 廣直高による作品


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