ビリケンだらけの街で、なぜ誰も困っていないのか
新世界を歩いていると、
視界の端に、必ずビリケンがいる。
一体だけじゃない。
二体でもない。
店の前、路地の角、串カツ屋の入口、だるまの上、魚を抱えてガッツポーズ。
「多いな」と思う前に、「まあ、そういうもんか」と納得してしまう。
これが、新世界のビリケンだ。
同じ神様なのに、顔が全部違う
写真を撮りながら気づく。
どのビリケンも、微妙に表情が違う。
やたら自信満々なやつ
目が細すぎて何を考えているかわからないやつ
だるまに乗せられて、もう別物になっているやつ
色が剥げて、それでも現役のやつ公式も非公式も混ざっている。
でも誰も、そこを気にしていない。

ビリケンは「守られていない神様」
普通、神様は管理される。
祀り方が決まり、姿が統一され、意味が固定される。
ビリケンは違う。
店の都合で置かれ
集客のために塗られ
ノリでアレンジされ
それでも神様を名乗っている

消費され続けているのに、消えていない。
これは、かなり特殊だ。
足の裏を触るという、大阪的解決
通天閣のビリケンでは、
足の裏を触るとご利益があると言われている。
作法も、順序も、理由もない。
あるのは「とりあえず触っとこか」という空気だけ。
でも不思議と、
誰もバカにしていない。
信じ切ってもいない。
疑ってもいない。
ちょうどいい距離感。

ビリケンは「願いを叶える神様」ではない
たぶんビリケンは、
願いを叶えるためにいるわけじゃない。
願う人
触る人
写真を撮る人
ついでに笑う人
それを、
全部まとめて眺めている存在だ。
新世界という街がそうであるように、
ビリケンもまた――
真面目と冗談の境目に立っている。

やたらビリケンがいる理由
結論は単純だ。
この街には、「意味が雑な神様」がちょうどいい。
アメリカ生まれで、
大阪に居着き、
新世界で増殖した幸福の神様。
ビリケンが多すぎるのは、
新世界がちゃんと新世界である証拠なのだと思う。

