第2話 なぜ日本では安全保障の話が9条と感情論に飲み込まれてきたのか

前回、ロシアの学徒動員に対して日本の一部左派・リベラルが鈍かったことを書いた。

本来、人権や反戦を掲げるなら、国家が若者を戦場へ送り込む構図には最も厳しく反応するはずだった。
それなのに現実にはそうならなかった。

その背景には、日本特有の政治構造がある。

日本では長い間、安全保障が政策論として成熟しなかった。
その代わりに、

・ 憲法9条をめぐる象徴論争
・ 戦争の記憶をめぐる感情論
・ 与党と野党の政局対立

この3つに飲み込まれてきた。

今回はその話をする。


本来、安全保障はかなり地味な実務の世界だ


まず確認しておきたい。

安全保障とは、本来かなり地味な行政実務だ。

例えば、

・ ミサイル防衛網をどう整えるか
・ 自衛隊の人員不足をどうするか
・ 弾薬や燃料の備蓄をどうするか
・ 島しょ防衛の輸送能力をどう確保するか
・ サイバー攻撃への対応部隊をどう作るか
・ 災害時に部隊をどう運用するか
・ 海底ケーブルをどう守るか
・ 有事の避難計画をどう作るか

こういう現実的な課題の積み重ねだ。

ロマンでも思想でもない。
地味で面倒で、金もかかる行政の話だ。

ところが日本では、この実務論がしばしば吹き飛ぶ。

なぜなら、話題がすぐ9条と感情論に移るからだ。


9条は大事だが、万能の答えではない


誤解してほしくないが、憲法9条は日本の戦後史において非常に重要な条文だ。

・ 戦争放棄
・ 軍国主義への反省
・ 平和国家としての象徴

この意味は大きい。

ただし、9条はあくまで憲法条文であって、現代の全ての安全保障課題に自動回答してくれる魔法の装置ではない。

例えば、

・サイバー攻撃されたらどうするのか
・宇宙空間の監視能力はどう整えるのか
・ドローン飽和攻撃にどう備えるのか
・台湾有事で邦人退避はどうするのか
・弾薬備蓄が足りない場合どうするのか

こうした問いに対して、

「9条があるから大丈夫」

では答えにならない。

理念と実務は別物だ。

ここを混同すると政策が止まる。


なぜ日本では9条が“全部入りテーマ”になったのか


戦後日本では、9条が単なる条文以上の意味を持った。

それは、

・戦争の悲惨さを繰り返さない誓い
・軍部暴走への反省
・保守政治への対抗軸
・市民運動の象徴

になったからだ。

その結果、本来は別々に議論すべきテーマまで全部9条に吸い込まれた。

例えば、

・ 在日米軍問題
・ 沖縄基地問題
・ 防衛費
・ PKO参加
・ 集団的自衛権
・ ミサイル防衛
・ 自衛隊明記

全部が「9条賛成か反対か」に単純化された。

こうなると政策の精度は落ちる。


感情論が強くなる理由


安全保障には恐怖がつきまとう。

・ 戦争になるかもしれない
・ 子どもが徴兵されるのでは
・ 日本が軍国主義に戻るのでは
・ 米国に巻き込まれるのでは

こうした不安は理解できる。

だが政治がその不安だけで回ると、冷静な議論が消える。

逆側でも同じだ。

・ 敵国はすぐ攻めてくる
・ 話し合いは無意味
・ 軍備だけが答えだ
・ 強硬策こそ正義だ

これもまた感情論だ。

左派だけが悪いのではない。
右派にも感情論はある。

問題は、現実的な中間議論が埋もれることだ。


日本人は安全保障を“遠い話”だと思ってきた


もう一つ大きい要因がある。

日本は長く、

・ 日米同盟がある
・ 海に囲まれている
・ 本土戦の記憶が薄い
・ 戦後経済成長が優先だった

この環境で生きてきた。

そのため多くの人にとって、安全保障は生活実感から遠かった。

税金、年金、物価、雇用は毎日感じる。
でも防衛は普段見えない。

見えないものは、象徴論争になりやすい。

だから「9条守れ」「軍拡反対」「抑止力強化」みたいなスローガンが先行しやすかった。


北方領土問題が国民的記憶にならなかった理由


本来、日本にも安全保障の現実はあった。

・ 北方領土占領
・ 北朝鮮拉致問題
・ ミサイル発射
・ 尖閣周辺の緊張

だが、北方領土問題は本州の人口中心地から心理的距離があった。

北海道では切実でも、全国では「遠い北の話」になりやすかった。

その結果、

日本にも現実の脅威はある

という認識が国民全体の常識になりにくかった。


政党にとっては対立した方が得だった


ここも重要だ。

安全保障を地味に議論しても票になりにくい。

しかし、

・ 憲法改正反対
・ 戦争法反対
・ 軍拡反対
・ 中国脅威だ
・ 日本を守れ

こうした強い言葉は支持層を熱くする。

だから与野党ともに、実務より対立の方が得になりやすかった。

民主主義の弱点でもある。


有権者が変わり始めている


ただ最近、空気は変わってきた。

・ 北朝鮮ミサイル
・ 中国の海洋進出
・ ウクライナ侵攻
・ サイバー攻撃報道
・ 台湾有事懸念

こうした現実が、理想論だけでは足りないと示した。

同時に有権者も、

・ 反対だけで代案は?
・ 防衛費の中身は?
・ 外交戦略は?
・ 抑止と対話をどう両立するのか?

と中身を見るようになってきた。

これは健全な変化だ。


必要なのは“9条を語るな”ではない


ここで勘違いしてはいけない。

必要なのは9条を無視することではない。

そうではなく、

9条論と政策論を分けて話せ

ということだ。

例えば、

9条改正の是非は別途議論する。
そのうえで、

・ ドローン対策はどうする
・ サイバー防衛はどうする
・ 避難計画はどうする
・ 装備調達の無駄をどう減らす

こうした実務は前に進める。

これが成熟した国家の姿だ。


左派が本当にやるべき役割


左派・リベラルには本来、重要な役割がある。

・ 防衛費の無駄を監視する
・ 人権侵害を防ぐ
・ 文民統制を強化する
・ 情報公開を求める
・ 若者を使い捨てにしない制度設計をする

これは非常に価値がある。

「防衛そのものへの反対」に閉じこもるより、よほど建設的だ。


結論


日本で安全保障が9条と感情論に飲み込まれてきたのは、

・ 戦後史の象徴化
・ 実務が見えにくい構造
・ 政党の対立利益
・ 有権者の距離感

この複合要因によるものだ。

だが時代は変わった。

これから必要なのは、

スローガンではなく制度。
感情ではなく現実。
ゼロか百かではなく改善。

次回は、なぜ国防こそ右派左派を超えて超党派で議論すべきなのか、そして「なんでも反対」がなぜ見透かされ始めたのかを書いていく。

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