歴史という名の拡張主義――尖閣ドキュメンタリーが暴いた中国の論理破綻

中国が尖閣諸島に関するドキュメンタリー『釣魚島:波濤下的真相』を7月27日から全世界で放送開始した。

英語だけでなくスペイン語・フランス語・アラビア語・ロシア語にまで展開する多言語キャンペーンで、
しかもこの放送開始とほぼ同時に、
7月23日には中国海警船4隻が尖閣周辺の日本領海に侵入している。

これは今年に入って14日目の領海侵入だという。

つまりこれは孤立した広報イベントではなく、
実力行使と言説戦を同一サイクルで回す、
中国が近年常用する複合的圧力の典型例だと見ていい。

このドキュメンタリーが依拠する証拠構成が、
・台湾漁民の記憶
・600年以上前の航海文献
・中琉間の歴史文書
・世界各国の古地図
というラインナップなのだが、
これを一つずつ引き剥がしていくと、
中国側の領土的正統性の主張全体がどれほど危うい土台の上に建っているかが見えてくる。

まず大前提として、
中華人民共和国は1949年建国の、
歴史的にはたった80年ほどの国だ。

それなのに600年前の史料を
「自国の歴史的権原」
として持ち出せるのは、
中国が自らを「新しい国家」としてではなく、
清朝から続く「中国」という政治的・文明的実体の最新の担い手として位置づけているからだ。

これは国際法上の「国家継続性」という考え方をベースにしていて、
理論的に完全に的外れとは言えない。

ロシアがソ連の継承国とみなされるのと同じ理屈ではある。

ただしこの継承ロジックには二重の飛躍がある。

第一に、
清朝から中華民国への移行と、
中華民国から中華人民共和国への移行は法的性質が全く違う。

前者は皇帝の退位詔書という形で権利義務の継承が比較的明示的に行われたが、
後者は内戦による政権奪取であり、
しかも中華民国という「本家」は消滅せず台湾に存続している。

PRCがやったのは「中国の代表権」を1971年の国連代表権交代で奪取したことであって、
国家そのものを継承したわけではない。

この二つを混同して
「清朝から続く中国」と語るのは、
政治的レトリックとしては強力でも、
法的な継承論としてはかなり無理がある。

第二の飛躍はもっと根が深い。

清朝は満洲族による征服王朝であり、
支配された漢族とは民族的に別集団だった。

ここで中国側が使う理論的な処理装置が「中華民族」という多民族統合概念だ。

ところがこの「中華民族」、
実は近代の政治的発明品にすぎない。

19世紀末に梁啓超が西洋のnation概念の訳語として考案し、
孫文が「五族共和」論でスローガン化し、
1950年代に中国共産党が民族識別工作という国家事業で56民族プラス中華民族という現行の分類体系を確定させた。

つまり
「もともとあった民族を発見した」
のではなく
「国家が上から民族を編成した」
プロセスだ。

清朝時代の満洲人や漢族が自分たちを「中華民族の一員」と認識していたわけがない。

前近代の帝国統治構造に、
20世紀に発明された概念を遡及適用しているわけで、
これはナショナリズム研究でいう典型的な「想像の共同体」の構築過程そのものだ。

さらに厄介なのは、
清朝の統治構造自体が一枚岩ではなかったという点だ。

直轄領(本土18省や満洲)、
藩部(モンゴル・チベット・新疆を理藩院が間接統治)、
そして朝貢国(朝鮮・琉球・ベトナムなど、冊封を受けつつ内政外交は独立)という三層構造があり、
清朝自身がこれを明確に区別していた。

尖閣に関する明清時代の記録は、
琉球への航路上の目印として言及されているだけで、
行政区画に組み込まれていた証拠はない。

つまり中国側の主張は、
朝貢国だった琉球への航路の目印を根拠に「清朝の版図」を語っているのに、
その琉球自体が直轄領ではなく朝貢国だったという構造矛盾を抱えている。

ここでベトナムの事例が効いてくる。

ベトナムは清朝への朝貢国であっただけでなく、
それ以前は前漢の武帝が紀元前111年に南越国を滅ぼして以来、
交趾郡として約1000年間中国の直轄統治下にあった地域だ。

938年に独立を勝ち取った後も、
明代(1407〜1427年)や清代(1788〜1789年)に中国は複数回再征服を試みている。

つまりベトナムは中国にとって、
単なる朝貢国以上の
「かつて直轄支配していた土地」
という重い歴史的記憶の対象であり、
実際に現在の中国は西沙諸島を1974年に武力で奪取して実効支配し、
南沙諸島でも埋め立て・軍事拠点化を進め、
九段線でベトナムの排他的経済水域の大半に権原を主張している。

中国自身の行動を見れば、
朝貢関係や古文書を将来の領有権主張の根拠として一貫して運用していることがわかる。

ただ、ここで冷静に問うべきなのは
「1000年前の統治記録に、今さら何の意味があるのか」
ということだ。

国際法は歴史の古さを権原の強さの根拠にしない。

パルマス島事件の仲裁判断以来、
領域権原は特定時点で確立して終わりではなく、
実効的占有が継続的に維持されなければならないというのが標準的な考え方だ。

938年の独立以降1000年以上、
中国の実効支配はベトナムに及んでいない。

つまり「かつて統治していた」という事実は、
その後の断絶によって現在の権原としてはほぼ無効化されている。

この論法を認めてしまえば、
モンゴル帝国の版図を根拠にモンゴルが、
大英帝国の版図を根拠に英国が権利を主張することも正当化されてしまう。

国際秩序がこれを採用しないのは当然で、
無限の歴史遡及を許せば領域主権という概念自体が崩壊するからだ。

実際、清末から民国期にかけて作られた「国恥図」を見ると、
この論法がどこまで暴走しうるかがよくわかる。

乾隆帝期の最盛期の朝貢国・藩部・直轄領を無差別に一本の線で囲い、
モンゴル、中央アジア諸国、朝鮮半島、琉球、ベトナム、タイ、ミャンマー、さらにはインドの一部までを
「かつての中国の国境」として描いている。

現在の中国政府がこの地図全体を公式方針として掲げているわけではないが、
この地図が体現する
「歴史的最大版図こそ正当な領土」
という思考様式そのものは、
尖閣や南シナ海、インドとの国境係争地における現在の主張と同じ論理的DNAを共有している。

全ての線を今すぐ実行に移す意図がなくても、
この世界観が国内の愛国教育を通じて再生産され続けていること自体が、
将来的にどの部分が「実行段階」に格上げされるか予測不能にしている。

だからこそ、
中国のこの種の主張は法的主張ではなく感情的・イデオロギー的主張だと理解した方が正確だ。

法的権原には実効支配という検証可能な事実による自己抑制機能があるが、
「歴史的つながり」を根拠にする論法には原理的な歯止めがない。

しかもこれは中国に固有の病理ではなく、
ロシアの大ロシア主義やトルコの新オスマン主義とも共通する、
帝国的記憶に基づく修正主義ナショナリズムの一形態だ。

国連憲章体制や国境不可侵原則、
独立時の境界線を尊重するuti possidetis juris原則は、
まさにこうした歴史的正統性主張を領土変更の口実として認めないという、
20世紀の国際秩序が学習した教訓の制度化にほかならない。

最後に、
これを「軍国主義」と呼ぶのは実は的を外す。

人民解放軍は国家の軍ではなく党の軍であり、
党指揮槍原則のもとで軍への統制はむしろ徹底している。

これは戦前日本のような、
統帥権の独立や軍部の独走を許す構造とは正反対だ。

しかし皮肉なことに、
これはより安全ということを意味しない。

古典的軍国主義は意思決定主体が分裂していたがゆえに、
路線対立や手続きの摩擦が暴走の速度を偶発的に抑制する場合があった。

党軍一体型にはこの摩擦がほぼ存在せず、
党中枢、実質的には指導者個人の政治的計算がそのまま軍事的判断に直結する。

しかもこの政治的計算は、
国内の権力基盤強化や経済低迷からの目先逸らしといった、
対外的には検証不可能な動機に左右されうる。

抑制装置が制度的に存在しないという点で、
こちらの方がむしろ予測可能性が低く危険だと言える。

今回のドキュメンタリー攻勢と海警の同時侵入という組み合わせは、
単発の対日圧力というより、
実効支配より歴史的正統性を優先し、
現状変更を目標として掲げる修正主義国家が、
党の政治的計算と軍事的圧力の間に緩衝材を持たないまま対外行動を展開している、
その一断面として見るべきだと思う。

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