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観測ログ #022|内部検問で、不具合報告が止まる

困っていることを誰かに伝える前に、自分の中で却下してしまうことがある。
まだ大したことではない。
自分にも原因がある。
相手も忙しい。
もう少し様子を見た方がいい。
これくらいは自分で処理できる。
報告するほどのことではない。
そうやって、外へ出る前の言葉が止まる。

表面上は、何も問題が起きていないように見える。
本人も動けている。
仕事は回っている。
生活も止まっていない。
制作も続いている。
だから、不具合が存在していること自体が見えにくい。

不具合報告は、完全に動けなくなった時だけ発生するものではない。
動けている途中にも、負荷は発生している。
回せているけれど重い。
続けられているけれど削られる。
処理できているけれど、一人で持つ量ではない。
そういう状態も、本来は報告の対象になり得る。
けれど、内部検問では、処理できたことが却下理由になる。
できたのだから、問題ではない。
終わったのだから、今さら言う必要はない。
相手に迷惑をかけなかったのだから、負荷として数えなくていい。
その判定によって、実行できた事実が、負荷がなかった証拠として使われる。

内部検問には、もうひとつの負荷がある。
検問を通過できる形にするために、言葉を加工する作業が発生する。
大げさに聞こえないか確認する。
相手の事情を考慮した文言にする。
事実と感情を分ける。
責任追及に見えないように整える。
その作業そのものが、時間と思考を使う。
不具合が発生した時に、不具合の対処と、報告の加工を、同時に行っていることがある。
報告を出すための準備が、出来事と同じくらいの重さになる場合がある。
それでも報告が却下されると、加工にかけたコストも一緒に消える。
どちらも記録には残らない。

仕事では、対応が完了したあとに報告が止まることがある。
必要な連絡をした。
代替手段を用意した。
周囲へ説明した。
復旧も確認した。
業務上は完了している。
そのため、「実質的に一人で回した」「何度も中断された」「本来の担当ではないものまで拾った」という負荷は、完了報告の外へ落ちる。
結果が出ているため、途中で何が起きていたかは申請されない。

共同生活でも、似たことが起きる。
予定していた作業を一人で済ませた。
重い荷物も運べた。
待ち時間は発生したが、最終的には終わった。
相手には別の事情があった。
明確に拒否されたわけでもない。
そう考えるうちに、「一人でやることになって重かった」という報告まで止まる。
相手を責めないための調整と、自分の負荷を伝えないことが、同じ処理になっている。

体調についても、内部検問は働く。
出勤できた。
会話もできた。
料理もした。
笑った時間もあった。
そのため、苦しかった時間や、言葉が出なかった時間は、大したことではなかったように扱われる。
できたことが、できなかった時間を訂正する。
動けた結果によって、動けなかった状態の報告が却下される。

制作では、完成品があることによって途中の負荷が消えることがある。
試作を作れた。
修正もできた。
最終的には形になった。
その結果、説明不足のまま全ルートを探索したことや、立体を脳内で保持し続けたことや、判断を何度も持ち替えたことは、「完成したからよかった」の中へ入る。
完成は成果の記録になる。
ただし、工程が無理なく成立していたことまでは証明しない。

内部検問には、相手への配慮も使われる。
相手も疲れている。
悪気はない。
忙しかっただけかもしれない。
自分の伝え方にも問題があった。
今言うと責めているように聞こえる。
その可能性を検討すること自体は、関係を壊さないための調整になる。
けれど、その調整が強く働くと、報告内容そのものまで消える。
相手を悪者にしないことと、不具合があったと伝えないことは別のはずだった。
しかし、内部ではその区別がつかないことがある。
不具合を報告すると、責任追及になる。
負荷を伝えると、相手を否定することになる。
そういう前提があると、報告の入口で言葉が止まる。

不具合報告には、相手へ何かを要求する報告もある。
次から変えてほしい。
分からない時点で返事がほしい。
一人で持たせないでほしい。
ただし、すべての報告が要求を伴うわけではない。
今こうだった。
ここが重かった。
今回は回せたが、同じ形が続くと負荷が高い。
まだ変更案はない。
まず発生したことだけ残したい。
そういう報告もある。
内部検問が強い時、この中間の報告が作れない。
黙って処理するか、限界になって強く訴えるかの二択になりやすい。

小さい段階で出せなかった不具合が、蓄積してから大きい言葉になる。
すると、その強さがまた内部検問の材料になる。
こんな言い方をするべきではなかった。
もっと早く言えばよかった。
感情的になった自分が悪い。
報告が遅れた経緯より、最後に出た言葉の強さが審査される。

内部検問は、正確な報告を作るために働いているようにも見える。
大げさにしない。
一方的にしない。
事実と推測を分ける。
相手の事情も考える。
それらは、本来なら報告の精度を上げるための確認項目になる。
しかし、確認項目が多すぎると、報告そのものが提出されない。
すべての可能性を検討し終わるまで言えない。
相手の事情を完全に理解するまで言えない。
自分に一切の非がないと確認できるまで言えない。
今後どうしてほしいか決まるまで言えない。

その条件を満たす頃には、出来事が終わっていることもある。
終わった出来事について話すと、今さら蒸し返すように見える。
そこでまた、報告が却下される。

気になっているのは、検問の基準が固定されていない点だ。
通過できると思って出した言葉が、そのつど別の理由で止められることがある。
前回は「時期が早すぎた」から止まった。
次は「もう終わったことだから」止まった。
その次は「言い方が強い」から止まった。
通過できる条件が後から増える。
または、条件を満たすたびに、別の条件が追加される。
このような検問は、通過するための出口を持っていない可能性がある。
通過を目的にしておらず、保留を続けるための機構として働いている場合がある。

不具合報告が止まると、外側には結果だけが残る。
仕事は終わった。
生活は回った。
制作物は完成した。
関係も続いている。
そのため、同じ運用が次回も可能だと判断される。
一人で処理できた。
説明なしでも作れた。
反応がなくても差し出し続けられた。
実際には高い負荷で成立していたものが、問題なく運用できた実績になる。
報告されなかった負荷は、次の設計に反映されない。

外側の設計は、内側の記録とずれたまま更新され続ける。
誤った実績が積まれるほど、次の想定負荷は低く見積もられる。
ずれは出来事のたびに広がるが、どこかで一致するわけでもない。
報告が止まっている限り、そのずれは観測されない。

本人の中では、言わなかったことが未処理のまま残る。
外側では、問題がなかったことになる。
同じ出来事について、内側と外側で異なる記録が作られる。

内部検問が何を守ろうとしているのか。
その検問によって、何の記録まで失われているのか。
検問を通過できない報告は、どこへ行くのか。
消えているのか、どこかに滞留しているのか。
今は、そこまでを観測している。

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