本能寺にあり
歴史って、たまにびびるくらい現代と似てる。
特に本能寺の変とか。
あれって結局、
「ずっと我慢してたけど、もう無理や!」
ってなった明智光秀が動いた話やんね?
もちろん実際の理由なんか分からへんけどさ。
でも、不満とか鬱憤とか、そういうもんがゼロやったとは思えへんのよ。
ほんで、ちょっと思う。
人って、不満を共有するのは好きやけど、責任を共有するのは苦手なんかもしれんなって。
飲みの席やとみんな言うんよ。
あの人ほんま無理。
あのやり方おかしい。
誰か言わなあかんって。
でも、いざ誰かがほんまに不満を相手に伝えたら、みんな一斉にテーブルの唐揚げ見始める。
あれなんなんやろな。
勝手にレモン絞るし。
この前ね、友達がバイト先でキレたらしいんね。
時間にルーズなところほんま迷惑してる!みんなもそう思ってますよ!ってブチギレ。
前から店長ヤバいって言うてはったし、俺もまあまあ〜言うて宥めてはいたんよ。
でも実際ブチギレたあと、
残った側は普通にシフト提出して、
普通にまかない食べて、
普通に「人手足りひんよな〜」とか言うてたらしい。
別に薄情とかではないと思うの。
揉めたくないし、
空気を悪くしたくないし、
来月のシフトもある。
だから本気で怒ってる人を見ると、
ちょっと距離を取ってしまうんやと思う。
こっちに火の粉飛んできそうやからさ。
そう考えると、
歴史上の裏切りも案外そんな感じなんかなと思うわけよ。
冒頭に書いた通り、明智光秀にも天下とか野望とか、もちろんあったんかもしれへんけど、
案外きっかけは、
積もり積もった「もういいわ」やったんかもしれん。
ほんで結局、
誰かが声を上げた瞬間、
周りは急に静かになる。
みんな目の前の唐揚げ見つめてる。
あれから450年近く経って今。
あの空気、現代にも残ってる。
そもそも、なんでこんなことを考えたかって言うとね。
今日のお昼間、駅のホームの待合室で隣に座ってきはったおじさんが貧乏揺すりしてはったんよ。
俺から見たおじさん挟んで向こう側、おじさんの隣に座ってるおばさんは迷惑そうな顔して、そのおじさんを見てはった。
眉間に皺寄せてさ。
結局すぐあとに電車が来て俺は颯爽と立ち去ったんやが、少し後悔が残ってる。
明智光秀ならあのタイミングで立ち去らへんかったはずやと。
俺は立ち上がった時にこの言葉をおばさんに言うべきやった。
敵は本能寺にあり、と。
