25年目のcome again
m-floの『come again』って曲知ってる?
多分、彼らのキャリアで一番有名な曲やと思うねん。
先日、懐かしのメンバーが揃ってこの曲を披露する動画をYouTubeで見つけてさ。
換気扇の下で煙草咥えて再生してみると、画面越しに当時の熱量が一気に流れ込んできて、胸に込み上げるものがあった。
25年経っても、やっぱり大好きな曲。
この曲を聴くと、いつも決まって
「ふわふわの綿毛が風に揺れているのを、遠くから眺めている」
ような、すごく不思議で穏やかな感覚になるんよ。
曲のメッセージは、いたってシンプルでさ。
「好きなアイツは電話もくれない。だから今は、朝まで踊ってこの夜をやり過ごそう」
ものすごくざっくりやけど、大体そんな感じ。
本来なら「穏やか」なんて言葉とは縁遠い、ダンスビートの曲。
やけど、俺にとってはこれ以上なく優しい響きを持ってる。
この曲がリリースされた2001年。
俺はまだガキンチョ全盛期の中学生。
TSUTAYAの試聴機で初めてこの曲を聴いた時、ヘッドホンから流れる音と歌詞に
「大人って金曜の夜に踊り明かすん!? かっこよすぎやろ……」
と衝撃を受けたのをよく覚えてる。
歌詞の裏にある寂しさなんて見向きもせんと、ただビカビカ光るクラブでキラキラした大人が踊ってる、そんな表層的なイメージだけを抱いた。
でも、しっかり歌詞を読めば、そこに描かれているのは決して「キラキラ」しただけの世界じゃないってわかるんやけどね。
なにせ、こっちはまだ中学生。
夜の街の孤独なんて、想像もつかへんかった。
そんな思春期真っ盛りの頃、好きな女の子がいたんよ。
その年のバレンタイン、俺は彼女になにかしたい衝動だけでケーキを贈った。
今でこそ「逆チョコ」なんて便利な言葉があるけど、当時はそんな建前も、男性が甘いものを贈る文化もなかったんよ。
ただひたすらに、自分の思いを形にするしかなかった。
でも、そこはやっぱり中学生。
「好き」なんて言葉、恥ずかしくて口が裂けても言えへんやん?
つまらん意地や小さなプライドが邪魔すんねん。
『come again』の歌詞にある、
“こっちからかけてもいいけど my pride gets in the way”
(自分から電話してもいいけど、プライドが邪魔をする)
この一節は、まさに当時の俺そのものやった。
踊り明かすクラブもなければ、お酒を飲むこともできない未成年。
それでも、なにもしいひんって選択肢はなかった。
中学生の抱く「好き」って感情は、残酷なほど尊い物やと思う。
胃酸が込み上げて顎が痛くなるくらいの甘酸っぱさ。
衝動的なその一瞬の熱に浮かされて、真冬の冷たい風の中チャリンコを飛ばして近くの洋菓子屋へ向かった。
小さなケーキを一つ買って、カゴに乗せ、目指すは彼女の家。
なにかしたいってだけの理由で動かされた小さな蝋燭の火が消えへんように、冬の寒さに冷めてしまわへんように自分を鼓舞するために「come again」をMDウォークマンでリピートさせて。
でも、彼女の家の前に着いた瞬間、さっきまでの勇ましい心が一瞬で霧散した。
呼び鈴を鳴らす勇気が出えへんまま、30分。
親御さんが出てきたら?
そもそも何て言えばいい?
冬の夜の静寂の中で、MDから流れる重低音だけが響く。
「もう帰ろう」
諦めかけたその時、彼女が偶然帰宅した。
運命というか、もはや事故というか。
MDを止め、胸の中で暴れる心臓を抑えつけて、ケーキを差し出して、「これ、バレンタイン」
ぶっきらぼうに、それだけ。
彼女の「ありがとう」という声が、冷えた耳に心地よかった。
それだけで十分、幸せやった。
答えなんて求めへんかったし、伝えたいことも、彼女の顔を見たら空っぽになってた。
それでよかったと、今でも思う。
当時の自分を褒めてあげたいね。
ようやったな、って。
その子と結局どうなったか。
それをここで書くには少し野暮すぎるから、また別の機会にでも書こうかな。
25年経った今なら、歌詞の意味が痛いほどわかる。
金曜の夜に、あえて踊り明かさなきゃいけない理由も。
それでもこの曲が優しく聴こえるのは、もう戻ってこうへんあの冬の背景にこの音がセットとして刻まれているから。
冬の空気の冷たさとかケーキの重み、MDのノイズ。
今の俺には、あの頃の純粋なまでの「プライド」はもうないと思う。
やからこそ、あの景色は「ふわふわの綿毛」のように、遠くで静かに揺れてる。
それにしても、深夜にこれを聴くのは流石にミスったかもしれん。
煙草の煙が目に沁みるし胸の奥がざわつく。
俺も朝まで踊りたくなってきたわ。
踊り続けさせてDJ、won’t you come again?
