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対話と共存という手段

私はこれまで、対話について深く考える機会はあまりなかった。

しかし、対話というものは、実は非常に重要な手段であると感じている。特に重要な点として挙げられるのは、誰も傷つけることなく、継続的かつ建設的に相互理解を深めることができるという点である。それは、国内であっても海外であっても変わらない。

対話を通してお互いの理解を深めることができる、非常に画期的な取り組みである。幼いころから、海外のことを教えてもらったり、大学に通う外国人留学生や日本に住む外国人を支援してきた両親を長年尊敬しており、その影響でこの活動に興味を持ち始めたことがきっかけであった。

普段、彼らは私たちの身近に「隣人」として暮らしている存在であるにもかかわらず、実際に触れ合う機会は多くない。仮に交流するとすれば、国際交流祭りや教育機関などに限られることが多いだろう。

また、彼ら自身も日本人のことを十分に理解していない場合が多い。交流を通して会話をすることは簡単そうに見えるが、実際にはなかなか実現できないものである。

近年、SNSの普及により誰でも情報を発信できる社会になった一方で、一部の悪意を含んだ情報が拡散されることで、外国人に対するヘイトスピーチや排斥の声が相次いでいる。

その結果、特定の民族や宗教に対して「危ない」「危険だ」「治安を荒らすもの」といったレッテルが貼られ、「出ていけ」「叩き出せ」「〇せ」「強制送還しろ」といった過激な主張に走ってしまう現状が、日本社会には存在している。

さらに、選挙結果においても、ヘイトクライムを助長したり、社会の分断を煽るような動きが見られることに、私は強い警戒感を抱いている。

しかし、SNSやインターネット上の情報だけでは、現地の本当の状況や彼ら自身を理解する手段としては、あまりにも不十分であると私は思う。実際に交流し、直接話をしなければ分からないことが多いからである。

対話を重ねる中で、お互いに似たような生活を送り、同じ気持ちを抱えている人が多いことに気づいた。また、おいしいお店を紹介してもらったり、訪れた場所を共有したり、お互いの言語を教え合うこともあった。

その中で、SNS上で見られる偏見が必ずしも正しくないことを実感した。そして何より、その偏見によって彼らが精神的に苦しんでいるという現実を知った。

私は、日本に住む外国人に対して貼られている「危ない」というレッテルを、少しでもはがしたいという思いを強く抱くようになった。だから、交流を続けているのだ。

交流を通して対話を行うことが難しいということは承知している。それでも私は続けていきたい。

ここで、SDGsの基本理念を思い出してほしい。「誰も置き去りにしない(Leave no one behind)」という社会を実現したいのであれば、日本社会で生活している彼らと共存する社会を、私たち自身が築いていくべきではないだろうか。

彼らを理解し、対話を通して相互理解を深めていくことこそが、憎しみを生まず、誰も傷つけない社会をつくるための手段であると私は考える。

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