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物語 ~Fading World -9~

《9》The edge of the sinking world

隼人は混乱していた。
向井のあのオーラは、間違いなくあの現場に残っていた
残滓と同じ性質のものだった。
しかも、その強さは、これまで見てきたどの人とも
比較にならないほど圧倒的だった。

そもそも、この“洞見”を意識してから、
まだMageをまともに見たことはない。
だから、どれほどの量や形をしていればMageと判断できるのか、
その基準すら分からない。

それでも隼人は、向井がMageであると確信めいたものを
感じていた。
そして同時に――彼は自分たちとはまったく別のベクトルを
持つ存在なのだということも、感じ取っていた。

一限目は向井が担当する『世界史探求』だ。
その時に、もう一度あの“オーラ”について確かめよう――
隼人は、早まる心を落ち着かせるように自分に言い聞かせた。

しかし、授業直前に教室へ入ってきたのは別の先生だった。

「向井先生ですが、今朝は校門に立たれていたのですが、
 その後体調不良を訴えられて、お休みになりました。
 ですので、一限目は私が担当します」

隼人は唖然とした。 ――気づかれた?
いや、そんなはずはない。“洞見”を使えることは誰にも知られていない。

本当に体調不良なのか。
それとも……体調不良になると、あんなオーラが出るものなのか?

どれも憶測に過ぎない。
また別の日に確認すればいい――
隼人は、肩すかしを食らったような気持ちになりつつも、
いったん考えるのをやめた。


——下校時間。

雨はさらに激しさを増していた。
スマートフォンを見ると、小春からのLINEが届いていた。

「雨の降りが強いので、一緒に図書館で勉強しない?」

これまでも何度かあった誘いだ。
隼人は「OK」と返し、校舎内へ戻った。

二階の図書館へ向かう階段を上りきった瞬間、違和感が走った。

――アレだ。

直感が告げた。
そして、同時に全身に軽い悪寒が走る。

隼人は周囲を見回した。
そこは見慣れた校舎のはずなのに、そうではない。
静まり返った廊下に、自分の足音だけが響く。

心臓が速くなる。
敵の仕掛けか。味方なのか。
そもそも――俺の味方って誰なんだ。

思考が乱れ、冷静さが薄れていく。

次の瞬間、背後に違和感を覚え、反射的に前へ飛び込んだ。

パキーン。

乾いた音が響く。
しかし隼人に傷はない。しかし、背中のあたりに空気が
通り抜けるような感触があった。
すぐに態勢を立て直して、その消えかけているその形状を見た。
隼人はその魔法に見覚えがあった。

――この魔法は……

汗がにじむ。 もし彼女が敵なら――
だが、その考えが杞憂だとすぐに分かった。

倒れ込んだ隼人の目の前に、向井が立っていた。

「なかむらぁ〜」

その目は、血走り、すでに正気を失っているように見えた。

「先生……」

最も当たってほしくないパターンが来た。
隼人は心の中で舌打ちした。

向井はニヤニヤと笑いながら口を開く。

「お前、魔法が見えるんだってな」

隼人は衝撃を受けた。
そのことを知っているのは、佐野と父と母だけのはずだ。

「誰が裏切り者だ、って顔してるな。
 誰なんだろうな……へっへっへ……」

向井は、隼人の心をかき乱すように続ける。

「この空間だって、お前はよく知っているだろう」

両手を広げ、優位に立つ者のような表情で、向井は言葉を重ねた。
隼人は、悦に浸る向井に言い放った。

「先生……そんな下卑た笑い方は、三下のものですよ」

顔はポーカーフェイスを保ち、むしろ軽く笑みすら浮かべた。

「きさまっ!!」

向井は顔を真っ赤にし、隼人を睨みつける。
隼人はその変化をしっかり“視て”、
魔法が発動する箇所をすり抜けるように向井へ向かって走った。

背後で「パキーン」という音が連続して鳴る。
その中を抜け、隼人は渾身の拳を向井の鼻先へ叩き込んだ。

「のぁっ!!」

向井は想定外の反撃に吹き飛ばされたが、
すぐに態勢を立て直し、今度は注意深く隼人を見据えた。

「ちっ」

隼人は舌打ちした。
今ので終わってくれれば――
いや、終わらせるつもりで放った一撃だった。

向井は、黙って立ち上がり、鼻に手を当ててから
自らの血を見て「……ふぅ」 と
一瞬だけ呼吸を整えたように見えた。

「大して魔法も使えない小僧が、
 俺様の身体に傷を負わせるとはな。
 無礼が過ぎると思わないか……」

先ほどまでの狂気じみた調子とは違い、
向井の声は淡々とした物だった。

「お前らのような“持たぬ”、“使えぬ”奴らが、
 我々のように選ばれたMageに歯向かうなぞ……
 身の程を弁えた方が良いと思わないか?」

言葉そのものが重く圧し掛かってくる。
選民思想――向井が語っているのは、そういう類のものだ。
この状況を“狩り”か何かの感覚で臨んでいるのか。

「あの眼鏡と女も、Mageのくせに
 お前らみたいなカスどもの平和を守るだなんだと……
 鬱陶しい」

佐野と雨宮のことか。
隼人は二人の顔を思い浮かべた。

「先生……雨宮さんを殺ったのはアンタなのか」

向井の目が、一瞬だけぴくりと動いた。

「あぁ……あの公園の女か……そうだな。俺様の――」

言いかけた瞬間、隼人の目の前に空間の歪みが生まれた。
隼人は反射的に身体をのけ反らせ、転がるように後ろへ下がる。
鼻先をかすめる空気の牙。あの魔法だ。 隼人は改めてそれを“視た”。

「ちっ、俺様のこの魔法で串刺しにしてやったよ」

向井は煩わしそうに視線を送りながら続けた。

隼人は目の前が真っ赤に染まるような激しい怒りを覚えたが——
冷静に――そう心の中で繰り返し、自分の心に手綱を引いた。

このままではじり貧だ……。
魔法って、使用回数とか制限はないのか……。

焦りがじわりと広がる。

閉ざされた空間。
脱出方法は不明。
こちらに武器はない。
距離を取られ、魔法を撃ち続けられれば、いずれ詰む。

一筋の汗が頬を伝う。

「そろそろ現実が見えてきたか?
 俺はこのままお前が疲れ果てるまで魔法を打てば
 そのうちお前は串刺しだ。何とも簡単なゲームじゃないか。
 逃げてもいいぞ。出口はないがな」

向井は、詰み将棋のように勝利を確信した顔で、
ニヤニヤと笑いながら言い放った。

その時、隼人の右手につけられた指輪が急に熱を持った。

「あっつ……」

隼人は反射的に手を見た。
指輪はそれまでよりはるかに多くの真っ赤なオーラを
纏っていた。
そして、隼人の背後から声が聞こえた。

「残念だが、ここまでだな」

次の瞬間、向井の左足が吹き飛んだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

向井は盛大な悲鳴を上げて倒れ込む。
膝から下が、跡形もなく消えていた。

「遅くなってすまんな」

そこには、姉小路、木崎、佐野の三人が立っていた。

「え……」

隼人は呆然と三人を見ていた。
佐野が隼人の前にしゃがみ込み、ハンカチで頬を押さえる。

「いてっ……」

どうやら攻防の中で、隼人は気づかぬうちに傷を負っていたらしい。

「すいません。
 君に渡した指輪を頼りにしていたのですが……
 まさか異空間に移動されるとは想定外でして」

佐野は申し訳なさそうに、しかし優しい目で告げた。

木崎は、眼鏡を直しながら口を開いた。

「部長……あれだけの傷を負って、
 この空間が壊れないのは、
 別の者がいる可能性が高いと判断します」

木崎の言葉に、姉小路は短く返す。

「分かっている。そこに隠れている奴。出てきていいぞ」

姉小路が、もがき苦しむ向井の向こう側へ声を掛けた。
すると空間が歪み、ガラスが割れるように砕け、一人の人物が姿を現した。

そこには金髪の男が立っていた。
耳と唇にはピアスを付けており、首の両側にはタトゥーが見える。

隼人は場違いだと思いながらも、 「なんだアレ……」 と心の中で呟いた。

「おい坊主、アレはないだろう。アレは。
 初対面なのに失礼な奴だな」

男は、にやつきながら声あげた。
――なぜ考えたことが分かった? 隼人は強い衝撃を受けた。

「公安のお二人さん、それと佐野さんでしたっけか?
 アンタらも初めましてだな。
 俺は、この男……アレ、お前名前なんだっけ?」

そう言って向井の方を見る。

「アマトさん……助けてくれっ、足が……」

向井は必死の形相で、アマトと呼ばれた男に這うように近づこうとした。
そして、手を伸ばして、男を掴もうとした瞬間。

“グシャッ”

鈍い破裂音と共に、向井は粉々になった。
一瞬だった。隼人には、あの歪みすら見えなかった。
そして、あまりにも凄惨な光景に思わず目を逸らした。

「きったねぇな。触るなよ。
 と言っても、もう聞こえねぇか」

そういうと腹を抱えて笑っている。

それは姉小路と対峙した時とは違う、
質の異なる悪寒が隼人の全身を蝕む。
口がカチカチと鳴り、震えが止まらない。

「……。
 まぁ、それなりのデータも獲れたし、
 今日は帰らせてもらうわ。」

アマトは口元に不敵な笑みを浮かべ、
軽く手を振りながら、霞のように消えていった。

その瞬間、辺りの景色が崩れ始めた。
元の世界に戻れる——そう悟り、隼人はようやく息をついた



今話の悔しい木崎くん


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