物語 ~Fading World -2~
《2》Ever heard of magic?
あいかわらず雨は降り続けている。
フードを被った女は、鬱陶しそうに空をにらんだ。
「……あいつが最後じゃなかったのか。」
隣を歩く傘の男は、眼鏡の位置を指で押し上げながら言う。
「これだから紋様式は厄介ですね。
それよりも――雨宮さん、お気づきになられましたか?」
雨宮と呼ばれた女は、ちらりと男を見て、
「あれは“視えて”たね。
佐野が 『hidden』 をサボってるのかと思ったよ」
と、いたずらっぽく笑った。
佐野は、また眼鏡を直しながら不満げに返す。
「よしてください。
なんのために私が同行していると思っているのですか」
「ということは、あの子は“こっち側”ってことか」
「そうなりますね」
二人は足を止め、もう姿の消えた学校の方へと振り返った。
聴取は三十分ほど続き、隼人はようやく解放されて教室へ向かっていた。
頭の中は、刑事との会話でいっぱいだ。
「二人組がいたって話は初めて聞いたな。」
そんなはずはない。
学校中の生徒があの惨劇を目撃したとき、
まだ“奴ら”はそこに立っていた。
それを見たのが自分だけ、なんてことはあり得ない。
だが木崎と鈴木は、ほかの生徒への聴取では「炎のそばには誰もいなかった」という証言しか得られなかったと言う。
――幻なのか……?
隼人は混乱したまま階段を上っていた。
「考え事をしながら階段を上がると、転びますよ」
突然の声にハッとし、顔を上げる。
階段の先には、つい先ほど応接室で向き合っていた木崎が立っていた。
「あ……刑事さん」
隼人はそう返しながら、頭の中ではさらに混乱が渦を巻いていた。
自分は普通に歩いていた。
なのに、応接室を出たときにはまだ座っていた木崎が、
なぜか自分より先に階段の上に立っている。
しかも息一つ乱れていない。
――ありえない。
隼人は、あの二人組を見たときと同じ、
背筋を冷やす汗がにじむのを感じていた。
「そんなに怯える必要はありませんよ。
少し……伝え忘れていたことがありましてね」
木崎は穏やかな声のまま、ゆっくりと階段を降り始めた。
一段、また一段と近づいてくるたびに、靴の乾いた音が響き渡る。
隼人の身体はまるで見えない縄で縛られたように動かなくなっていく。
――なんだ……身体が動かない。
木崎は隼人の目の前に立つと、静かに眼鏡を外した。
「君には、どうやら少し“特別な力”があるようです。
もしかすると、彼らのどちらかが……接触してくるかもしれません。
未成年を“おとり”にするのは心苦しいのですが、
事態は深刻でしてね。やむを得ません」
隼人には理解できない言葉を独り言のように並べながら、
木崎はそっと隼人の喉元に指先を当て、何かを低く呟いた。
「気を付けてお帰りください」
ふっと、隼人の身体を縛っていた何かが解けた。
木崎は不気味な笑みを浮かべたまま、軽く手を振る。
「……失礼します」
それ以上何も言えず、隼人は階段を駆け上がった。
「もう少しお歳を重ねていれば、
スカウトしても良かったんですがね……」
走り去る背中を眺めながら、木崎は静かに呟く。
次の瞬間、その姿は陽炎のように揺らぎ、消え失せた。
隼人は、教室のある三階へ上がった瞬間、
強烈な違和感に襲われた。
それまで階段には自分以外の気配がまったくなかったのに、
登り切った途端、まるで人が“湧いた”ように周囲がざわつき始めたのだ。
その異様さに戸惑いながらも、
隼人は自分の中に安堵感が広がるのを感じた。
「……戻って来た?」
思わず、そう漏らしていた。
廊下では、他の生徒たちが三々五々と帰宅を始めていた。
隼人は教室のある三階に戻り、自分の席へ向かった。
その瞬間、小春が駆け寄ってくる。
「隼人くん、大丈夫だった?」
心の底から案じるような表情に、隼人はふっと安堵を覚えた。
「あぁ。警察の質問に答えただけだから。
何も心配ないよ」
平静を装って言うが、小春は眉をひそめる。
「大丈夫そうな雰囲気じゃないよ……」
妙に鋭い指摘に戸惑いながら、隼人は苦笑いを浮かべた。
「警察の聴取なんて初めてだからね。
緊張したのは認めるよ」
そう言ってカバンを手に取ったところで、
クラスの女子たちが小春を呼ぶ。
「小春〜、帰るよ〜」
「小春、呼んでるよ。行かないと」
隼人はできるだけ優しく促した。
「今晩、電話するから」
小春はそう言い残し、廊下へ駆けていった。
相変わらず雨が降り続いていた。
隼人は軽くため息をつき、傘を広げて校舎を離れた。
校門まで来たところで一度だけ振り返り、
頭の中を整理するように深呼吸してから歩き出す。
家に帰ると、母親が夕飯の支度をしていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。
隼人の学校の近くで、何か事件があったみたいね」
母親はそう言ってテレビに目を向ける。
隼人もつられて画面を見ると、
今日の出来事が早くもニュースになっていた。
テロップには、
「人体発火現象!? 高校前での惨劇!!」
と、いかにもな文字が踊っている。
「あぁ……その件で、何か見てないかって警察の人に
事情聴取みたいなのされたよ」
隼人はうんざりしたように言った。
「あら、それは大変だったわね。隼人は何か見たの?」
母親は手を動かしながら淡々と尋ねる。
「いや……燃えた瞬間は見たけど、それ以上はなにも」
少し言葉を濁しながら答え、隼人は自室へ向かった。
母親はその背中を見送りながら、静かにため息をついた。
隼人は部屋に入るとカバンを置き、
そのまま倒れ込むようにベッドへ仰向けに飛び込んだ。
白い天井を見つめながら、今日の出来事を必死に整理していく。
校舎前での三人の対峙。
そのうち一人が燃えた。
だが、残りの二人を見ていたのは自分だけだった。
そして階段でのあの出来事……。
今まで体験したことのない、
まるで別の世界に迷い込んだような事態の連続。
そう思いながら天井を見ていると――あの“歪み”が、突然目の前に現れた。
見た瞬間、隼人は反射的にベッドから転がり落ち、床に伏せた。
あの歪みの直後、“男が燃えた”。
隼人の行動は、もはや学習によるものだった。
「反応が早いよね」
「思っていた以上の逸材ということでしょうか」
男女の声が響く。
恐る恐る顔を上げた隼人は、息を呑んだ。
そこは確かに自室だったはずだ。
机も椅子もベッドもない――
すべてが、一瞬で真っ白な広大な空間へと変わっていた。
「え……」
状況を理解できない隼人の背後から、落ち着いた声がかかる。
「中村隼人くん。十六歳。●●高等学校二年生。
いや、お若い。これでは公安もスカウトできませんね」
慌てて振り向くと、木崎とは違う黒縁のスクエア眼鏡をかけた男と、
フードを深く被った女が並んで立っていた。
女はフードを外し、隼人の前にしゃがみ込むと、目線を合わせて言った。
