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ラテン語の所有代名詞 meus および第2変格の名詞・形容詞の男性単数呼格についての覚え書

友人が、ラテン語を担当している大学で、同僚から「所有代名詞 meus の呼格が mī  という語尾になるのはなぜか」と質問され、きちんと答えられなかったのだが、という。そういわれたとき私も深く考えずに、単純に *mee > *mē > mī ということかな?いやこの変化はちょっと変だな、でも Antonius や Vergilius の呼格が Antonī や Vergilī になるのと同じようなことでは?とその場では無責任に答えてしまった。

ラテン語の所有代名詞(ラテン語の代名詞の多くはそのまま名詞と同格で形容詞的に機能し、所有代名詞もその用法が多いので所有形容詞というほうがわかりやすいかもしれないが、元来は代名詞の形容詞的用法なのでここでは所有代名詞という呼称に統一することにする)は、その変格タイプからいえば形容詞の第1種、つまり男性・中性が第2変格、女性が第1変格の bonus-a-um などと同じ最も基本的な形態に属する。ただし男性単数呼格のみが標準形と異なり mī となる。

通常第2変格の名詞の単数呼格は dominus-domine のように主格の -us が -e になるのに対し、人名などの固有名詞で Antonius のように -ius で終わるものと、fīlius「息子」などの一部の普通名詞の呼格は Antonī、fīlī のように長母音の -ī になる。これは *fīlie > fīlī という変化の結果だろうし、 Vergilius の呼格 Vergilī が、pænultima(最後から2番目の音節)が短いにもかかわらずアクセントは Ve の上でなくgi の上にくるのもそのためだろう。つまり本来は *Vergílie であったものが Vergílī となったからだろう。meus は語尾が -ius ではないが、方向性としては同じようなものではないか。

と、あまり深く検討せずに今まで思っていたのだが、この機会に Kühner を見てみることにした。以下は§.103. Anmerk. 7. の記述である。

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主格単数が -us で終わる第2変格の名詞の呼格は -e となる。例えば lupus の呼格は lupe で、これはギリシア語で λύκος の呼格が λύκε となるのと同様であり、ウンブリア語などでも同じ(これは o が弱化して e となったもので、印欧語に共通の o/e の交替現象だ)。ただし主格単数が -er, -ir となり語尾 -us を欠いている puer, vir などの呼格は主格と同形である。そして -ius で終わる固有名詞、および -ējus, -ājus で終わる固有名詞は、filius 同様呼格の語尾は -i と -e が融合して -īとなる。e.g. *fīlie > fīlī ,  *Tullie > Tullī  ,  *Marie > Marī   これらの呼格のアクセントは pænultima(後ろから二番目の音節)に置かれる。e.g. Valérī, Vergílī  ギリシア語を転写した Dēmētrius なども呼格は  Dēmētrī となる。ただし主格語尾 -ius の -i が長いもの、すなわちギリシア語の -ειος を転写した Dārīus などの呼格は融合せず Dārīe となる。Gājus や Pompējus のような、 -ājus, -ējus という語尾は、j が母音化したのち融合し、Gājus なら *Gāie > Gāī , Pompējus なら  *Pompēie > Pompēī となった。-ius という主格の普通名詞で、fīlius 以外で呼格が *-ie > ī となるものは極めて少なく、volturī(禿鷲)、manuarī(泥棒)くらいだろう。modius, nuntius, fluvius, socius といった名詞の呼格も *modī, *nuntī, *fluvī, *socī となるのではと予想されるだろうが、これらの名詞の呼格は -ie の形を保つのである。元来 -ius で終わる語の呼格は -ie であったことはありうるし、少なくともプリスキアーヌスはリウィーウス・アンドロニークスから fīlie という例を挙げている。しかしのちのディオクレーティアーヌス時代の歴史家の著作に見られる Valelie という語形は、質のよくない異文あるいは明らかな書き手の誤記とみなすべきだろう。またプリスキアーヌスが、古代の人々が Vergilie 、Mercurie という呼格を用いていたということを例証しようとリウィーウス・アンドロニークスから Lāertie という呼格を挙げているのは彼の誤りで、Lāertius は Lāertēs の形容詞「ラーエルテースの」の名詞化で、「ラーエルテースの子」つまりオデゥッセウスのことだからだ。-ius という語尾を持つ形容詞の呼格はいつも -ie となるのであり、ゲッリウスの著作で、ある文法家が egregius の呼格を egregie となるなどと考えているようにはならないことは、pie、impie、regie、Cylenie という例を見ればわかる。

多少省いたところも、また補ったところもあるが、おおよそこのような記述で、大体は想定していた通りである。ただ、fīlius 以外の普通名詞の呼格はなぜ -ī にならないのか、逆にいえばなぜ fīlius(と少数の例外)だけが -ie > ī と母音融合(約音)をして fīlī になるのかは明瞭でない。それに反して固有名詞のほうは(形容詞が名詞化したものを除き)なぜ母音融合を起こすのかも。形容詞がそうならないというのは、例えばギリシア語でも、第3変格の中性名詞 ἄστυ「町」の複数主格・対格は ἄστεα > ἄστη と融合するのに、同じタイプの形容詞 ἡδύς「甘い」の中性形 ἡδύ の複数主格・対格は約音せず ἡδέα のままだったりするので、なんとなく納得できる。 

さてその先が問題の meus に関する記述だが、こんな感じだ。

代名詞の meus は(古くは mius <*mej-us という形で、奪格も mieis、mis という形が使われており、この mius は帝政期になると再び現れる)男性単数呼格は mī となる。これは mie が約音したものだ。古い時期には mei という語形も使われていて、プラウトゥスには mei senex や anime mei などの表現が見られる。アプレーイウスの時代になって初めて、女性形の呼格としても mī が使われだす。複数呼格で mei の代わりに mī が使われている例は、プラウトゥス、ペトローニウスなどに見られる。(以下略)

meus の呼格が *mee > mī はちょっと変だな、と思っていたが、古形が mius なら *mie > mī だから *fīlie > fīlī と全く同じだ。ただしいくつか疑問は残る。mius のほうが古い形なのに、プラウトゥスなどのアルカイック期の文献に mei という形が出てくるのはなぜなのか。そもそもこちらはどういう経緯で mei になったのか。そしてfīlius、meus の場合は *ie > ī と約音するが、その他多くの普通名詞ではそうならない理由もやはりわからず、なんとなくスッキリしない。この辺が史的音韻論・形態論を専門としていない者の弱みで、理解が追いつかない。

そこで別の角度から検討すべく、 Niedermann の Phonétique historique du latin を見てみた。すると母音融合 contraction de voyelles の中にこんな記述がある。

dominus の呼格は domine であり、fīlius の呼格も、リーウィウス・アンドローニクスに例があるように、元来は fīlie であった。それゆえ fīlī の ī は ie が約音したものとみなせそうだが、その説明は hieme、pietās などの語の存在と矛盾する。fīlī という語形を理解するためには、fīlie が fīlije と発音されていたことを思い出す必要がある。§25で述べた通り(最終開音節の e は、その条件は特定しづらいが、脱落する傾向にある、と述べている)失われ、j が母音化して*fīlii となったものから fīlī ができた。

そうすると、mī も Kühner が想定しているように単に mie が約音したものではなく、*mije の e が脱落し、mij の j が母音化して*mii > mī となったと考えるべきなのだろうか。この現象は語中では起こらないから hieme や pietas という語形がある、というのはわかるが、それなら modius や nuntius の場合はどう説明するのだろう。呼格 modie や nuntie も語末で -ije と発音されていたなら同様の現象が起こるはずではないのか(実際別の箇所で pius は pi-j-us、via は vi-j-a と発音されたと書いている)。この e の脱落は起きたり起きなかったりして、その条件は特定し難い、といっているので、modie や nuntie では脱落しなかったということか。そうすると普通名詞の呼格で脱落したのは少数派で、圧倒的多数は脱落しなかったことになるが、ではなぜ -ius で終わる固有名詞は呼格が -ī となるのだろう。普通名詞では起きにくい脱落現象が、固有名詞では起きやすい、などということがあるだろうか。やはり納得できるような、できないような話だ。

そこでさらにもう一冊、Ernout の Morphologie historique du latin を見てみる。すると -ius で終わる語の呼格についてちょっと意外な記述がある。ゲッリウス 13-26 に、キケローの同時代人ニギディウスが、Valelius の呼格をVálerī というアクセントで発音していた、という話があるが、これはこの呼格が -ie からなるのではなくそもそも -ī だったことを示唆する、というのである。しかし一方では前述のように、リーウィウス・アンドロニークスには fīlie という呼格があるし、ウンブリア語にも arsie (lat. sancte)という呼格が、ギリシア語でも ὄβλιε という呼格がある。そこで Ernout の結論はこうだ。

このようにイタリック語派で -io- を語幹に持つ語は、主格 -is、対格 -im、呼格 -ī となる無幹母音型と、主格 -ius、対格 -ium、呼格 -ie となる幹母音型が識別し難く混在しているのである。

Ernout によればイタリック語派で -ios の語尾を持つもの(ラテン語では -ius として現れる)は、幹母音をとらない *-j(o)-s(Ernout は *-y(o)-s と表記している)から主格 -is、対格 -im ができ、ラテン語でもいくつかの固有名詞の古形はこの -is の形を保ったものが残されていて、C.I.L. には Cæcilius の名が Cæcilis と表記されている例がある。固有名詞以外でも、alius の古形 alis が使われているテクストはある。しかしこの -is の形態は -ius によって駆逐されてしまった、というのである。するとこの無幹母音タイプが固有名詞は多かったということなのかもしれない。

結局深入りしたら返って解決しなくなってしまった。ここまでの経緯を友人に伝えたところ、さすがの彼も煩瑣な議論を追うのが面倒になったか、「まあ、ぼくの理解を超える議論がある、ということで今日はよしとしよう」ということになってしまった。



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