このnoteが、一貫して意思疎通と相互理解をコンセプトにしてる事は間違いない。
「すいません…ネットで部長っぽい事を言ってる人を見つけたんですけど…」
私っぽい人?何の話をしてるんだ?
「いや、検索してたらたまたま出てきたんですが…この『まし』っていう人の書いてる事が、部長が普段言ってる事と結構似てるなと…」
ああ、見つけてしまったのか。その通り、私はたまにこのnoterの記事を見る事がある。
「あ…やっぱり見てるんですね~。どうりで似てると思いましたよ…で、そんなに為になるんですか?」
その通り。私がこのnoteを見るのは、ビジネスにおいて外せない『意思疎通』を考える上で参考になるからだ。
「意思疎通って…部長が良く言ってるアレですか?」
まあ、この際だから説明しておこう。
このnoteは、我々の仕事だけでなく、暮らしや人生全般に興味深い示唆を与えてくれる…
*
『大抵の事は、意思疎通と相互理解で上手くいく』
私がそう思うのは、何も言葉を扱う広告の仕事に長年携わっていたから…だけではない。
仕事だけではなく、暮らしのあらゆる場面で、我々は常に誰かと『意思疎通』を行ってる。では何故、意思疎通を行うかと言えば、当然何かを伝える為なのだが、これが往々にして上手くいかない。
その結果、好ましい『相互理解』が得られないと、我々はそれを『相手』のせいにしてしまう。
しかし、相互理解が得られないのは、必ずしも性格や意見や考え方が合わないからではない。意思疎通がそもそも出来ていない場合が多いのだ。
だからこそ、我々は意思疎通のケーススタディや、ちょっとした『コツ』を、少しでも多く知っておいたほうがいい。このnoteは、そんな意思疎通に関する様々な気付きや見解を、サクっと読める小話スタイルでシェアしてくれる。
「なるほど…でもそれなら、普通にコミュニケーション論について書かれてるビジネス本を読めばいいんじゃないですか?ホラ、良くあるじゃないですか?伝え方が9割的なやつ…」
まあ、それはそうだし実際私もその手の本を何冊も読んできた。ただ…こう、なんというのかな?これは私だけかもしれないが、1,000円以上もするビジネス本を買っても、本当に自分が納得して、自身の知見として活用できる箇所などせいぜい十数ページしか無い事がほとんどだ。中には明らか内容をに引き延してる場合も少なくない。その点、このnoteは1記事1テーマ完結で、どんなビジネス本よりも当然短い。タイトルを見て、自分が関心ある記事だけ読めばいいのだ。そしてこのnoteで展開されている仕事論やマネジメント論は、一見元も子もないように見えてなんとも言えないリアリティがある。おそらく、現場で本当に見聞きした事なのだろう。だからスンナリ読めるし、頭にも入るのだ。
「まあ、確かに僕も何冊か、コミュニケーション論的なビジネス本を読みましたけど、本の通りにはいかないっすね。こう…いろんな難しい人もいますから…」
その通り。そう言ってる当のヤマダ君本人も含めて、職場にはいわゆる『とても分かりにくい人』が少なからず存在する。しかし『分かりにくい人』には分かりにくい人なりの理由があるのだ。その類型を知っておくことは、AIには当分出来そうにない対人間の合意形成スキル向上につながる筈だ。このnoteは、一見ものすごくどうでもいい会話劇を通して、我々に意思疎通の『つまづきポイント』を示してくれる。分かりにくい人との対話は、我々ビジネスパーソンにとって修行なのだ。
「へえ…そんな記事まであるんですね。あれ?この作者って我々と同じ広告系の仕事をしてるみたいですね…マーケティングがどうとかというまとめ記事もあるようですが…」
そう。彼が具体的にどんな仕事をしてるのかは分からないが、我々と同様のマーケティング界隈の人間であることは間違いない。まあ、マーケティングなんて言葉は、極論なんにでも使えるからそれがどうしたと言われたらそれまでだが、仮にも我々はマーケティングを実際仕事にしている。そしてこのいわゆる『マーケティング』も、突き詰めれば『意思疎通と相互理解』を促進する活動といっても過言ではない。故に、広告や販促に携わる我々にとって、このnoteには一見の価値がある。まあ、このnoteがマーケティング的に成功してるかどうかは不明だが…
「なるほど…で、これは何ですか?この日本語がどうとかって…これって言語系ブログではないんでしょ?なんだかコンセプトがブレてませんか?」
いや、そんな事はない。意思疎通の土台となるのは言うまでもなく、そのメインツールとなる『言葉』であることは間違いない。しかし我々は、自身が思っている以上に普段使っている『日本語』の事を分かっていないのだ。そして、我々はその事に対する自覚がない。言葉の意味は、使う人や文脈によって時には真逆になるほど変わる事さえあるのだ。その事実を知っておくだけでも、このnoteに出会った甲斐があるというものだ。
「ああ…確かに言われてみればそうですね…ただ、中には単にウケ狙いというか、どう考えても内容がほとんどない言葉遊びのような記事もあるようですが、これも『意思疎通』と関係あるんですか?」
それは説明するまでもないだろう…お笑い芸人を見れば一目瞭然だが、彼らの言語能力は非常に高い。『意思疎通』に対する深い考察がないと、笑いなどとれるはずがないのだ。このnoteの記事が時にふざけたように見えるのは、ある意味計算の上である事は間違いない。堅苦しい事ばかり話す人間の言う事など、誰も聞きたくはないだろう?
「まあ、それは分かりますが…ではこの、マクドナルドや牛丼がどうとか言ってる記事どうなんですか?これは流石に『意思疎通』とは関係ないでしょう?」
分かってないな…良質な『意思疎通』から『相互理解』に至るために大事なポイントは、共通の話題を持つ事だ。特別な思い入れがあろうとなかろうと、食と無関係な人間などこの世にいない。そして『食』の好みや味覚は、それこを人によって千差万別だ。『食』について語る事は、相互理解に対する飽くなき探求と言い換えても、決して言い過ぎではないだろう。
「う~ん。本当にそうですかね?だったらこのピアノがどうだの、アニメがどうだのと言ってる記事は何でしょう?単なる感想か、もうただの小話にしか見えないのですが…単にネタ切れなんじゃないですかね?」
いや…だからもう、文字にしてる時点でそれは『意思疎通』の一種だという事がわからないかな…しかも題材にしてる楽器や漫画やアニメやなんやらも、広義で言えばコンテンツという『意思疎通ツール』ではないか…細かい揚げ足取りはほどほどにして、純粋にこれらの記事を楽しめばいい。
「いや…まあ、よくわかりましたが…じゃあ、最後に一つだけ。この『問いのこばなし』ってのは、もう完全に矛盾でしょう?『相互理解』をコンセプトにしてるのに、これは『自問』してる訳ですから…」
ふう、やはりヤマダ君は『相互理解』の本質が分かっていない。相互理解に至るプロセスで最も重要なのは、互いの違いを認め合う事だ。そのためには、自分と相手の違いを正しく把握するしかない。その違いを把握する為の前提として『正しい自己理解』が必要なのだ。しかし我々は、何かを問われる経験を、普段意外にしていない。このnoteは、我々に『自己理解』の機会を与えてくれているのだ…
「いや、もう僕の完敗です…すべての記事に、一貫したコンセプトがあるという事なんですね。パっと見ただけでは分かりませんでしたが、中々大したものじゃないですか…」
ふう、やっとわかってくれたようだな…ヤマダ君もこれを機に、たまにはこのnoteを読んでみればいいだろう。
「で…最後の最後にもう一つだけ聞いてもいいですか?これは記事の内容を見て、薄々思った事なんですが…」
ん?まだ質問があるのか?もうこのnoteには、他にシリーズとしてまとめられたテーマはないがずだが…
「このnoteを書いてるのって、本当は部長なんじゃないですか?たまに読んでるという割には詳しすぎるし、このちょいちょいでてくる『ヤマダ』って、完全に僕の事ですよね…?」
はい。その通りです。
今日はここまで。
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