ともが残したA-Connection――止めずに続けた地域活動 DECKY ARCHIVE 第25話
2016年10月31日。
僕のカレンダーには、「A-Connection会議」という予定が残っている。
その年の12月13日には、A-Connectionの忘年会。
翌年の2017年2月4日には、星空イベントを開いている。
予定だけを見れば、会議をして、忘年会をして、イベントを行った。
それだけの記録に見えるかもしれない。
けれど、僕にとって、この頃のA-Connectionには、カレンダーには書かれていない大きな意味があった。
2016年8月。
A-Connectionを一緒に作り、活動を支えてくれた大切な仲間、ともが突然亡くなった。
それから、まだ数か月しかたっていなかった。
この年の秋から翌年の冬にかけて残っている予定は、ともがいなくなった後も、A-Connectionを止めずに動かした記録でもある。
A-Connectionにつながる原点
若い仲間と始めた地域活動
A-Connectionは、突然生まれた団体ではない。
その原点は、僕がまだ20歳そこそこの頃までさかのぼる。
当時、僕は若い仲間たちを集めて、「DANTⅡco.(ダントツコーポレーション)」というグループを作った。
コーポレーションといっても、もちろん会社ではない。
地域の祭りやイベントへ出て、みんなで面白いことをするための仲間の集まりだった。
最初に大きく活動したのは、あじさい祭りだったと思う。
バザーを出し、焼きそばを売った。
若い仲間たちが30人、40人と集まり、みんなで動いた。
当時は、インターネットで簡単にオリジナルTシャツを注文できる時代ではなかった。
そこで、自分たちでTシャツを用意し、スプレーを使って「DANTⅡco.」の名前を入れた。
同じTシャツを着ると、それだけで一つのチームになったような気がした。
あじさい祭りだけではなく、当時は、あちらこちらで祭りや催しが開かれていた。
僕らは、毎週のように焼きそばを売りに行ったり、バザーへ参加したりした。
売り上げが残ると、みんなでバスを借りてスキーへ行ったこともあった。
イベントをして、そのお金で、またみんなで遊ぶ。
誰かに仕事として頼まれたわけではない。
自分たちが面白いと思ったから動いていた。
僕は昔から、何かを思いつくと、じっとしていられなかった。
「こんなことをしたら面白いんちゃうか」
そう考えると、仲間を集め、すぐに動き始めた。
みんなも、僕の勝手な思いつきに、よく付き合ってくれたと思う。
自分たちの遊びから、子どもたちの遊びへ
年月が過ぎると、仲間たちは結婚し、家庭を持ち、子どもが生まれた。
仕事も忙しくなり、若い頃のように毎回集まることは難しくなっていった。
地域のイベント自体も、少しずつ減っていった。
僕らが必要とされなくなったというより、地域の形や、人の集まり方が変わっていったのだと思う。
それでも僕は、活動を完全にやめようとは思わなかった。
その頃には、かずき、こうよう、まっきーという三人の息子がいた。
自分たちが楽しむだけではなく、子どもたちにも何かを伝えたい。
そう考えるようになっていた。
魚釣り大会をした。
バーベキュー大会もした。
祭りやPTAを通じて、子どもたちが楽しめる行事を何度も考えた。
中でも、今でもよく覚えているのが、サバイバルフィッシングだった。
子どもたちが持ってきていいものは、塩おにぎりと塩、手ぐす、釣り針だけ。
釣り竿は、現地で竹を切って作る。
魚を自分たちで釣る。
火も自分たちで起こす。
釣った魚を焼き、塩を振って食べる。
子どもたちにも竹を切らせ、刃物を使わせた。
もちろん、大人が見守りながらである。
危ないからと何もさせないのではなく、危ないものを安全に扱う方法を教えたかった。
魚が釣れないこともある。
火がつかないこともある。
道具が壊れることもある。
そんな時に、自分で考え、仲間と相談し、工夫する。
僕は、そういう経験を子どもたちにさせたかった。

「継ぐ時」に込めた思い
地域の知恵を次の世代へ
子どもたちを中心に活動していた頃、僕らは「継ぐ時」という名前を使っていた。
家業を継ぐ。
家族を継ぐ。
地域を継ぐ。
昔からある知恵や技術を、次の世代へ継いでいく。
僕がしてきた遊びや経験も、子どもたちへ継いでほしかった。
釣りや火起こしの方法だけではない。
仲間と協力すること。
自分たちで考えて動くこと。
自分の暮らす地域に関わること。
大人になってから、子どもの頃の経験が、どこかで役に立つかもしれない。
そんな思いを込めて、「継ぐ時」と名付けた。
ともは、「継ぐ時」の頃から、子どもたちの活動を一緒に支えてくれる大切な仲間だった。
魚釣り大会やサバイバルフィッシング、バーベキューなどに一緒に参加し、準備から片付けまで動いてくれた。
ともは、A-Connectionを作る時に、突然加わった仲間ではない。
PTAで出会い、「継ぐ時」で一緒に活動を続け、その流れの先にA-Connectionがあった。
PTAで出会った、とも
年下だと思われていた僕
ともと出会ったのは、僕が初めて小学校のPTA役員になった頃だったと思う。
かずきが小学2年生ぐらいの時だった。
その時のPTA会長は、こうへいくんだった。
こうへいくんとは顔見知りだったが、それまでは、それほど深く話したことはなかった。
PTA役員会が終わるたびに、僕はこうへいくんへ、
「この後、どこへ連れてってくれるん?」
と言っていた。
そんな流れで、役員会の後に何人かで一緒に出かけるようになった。
その役員の中に、ともがいた。
最初、ともは僕のことを、自分より少し年下やと思っとったらしい。
そのため、初めは年下へ話すような感じで接してきた。
ところが、話をしているうちに、僕の方が一つ年上やと分かった。
すると、ともの話し方が急に敬語っぽくなった。
その変わりようが面白くて、今でもよく覚えている。
それから、ともはしょっちゅう僕のところへ来るようになった。
ともは、僕に懐いてくれたという表現が、一番近いかもしれない。

何をする時も一緒に動いてくれた
ともにも子どもがいた。
僕の子どもたちと、ともの子どもたちも一緒になり、いろいろな活動へ参加した。
サバイバルフィッシング。
魚釣り大会。
バーベキュー。
地域の祭りや行事。
かずきやこうようが小学生だった頃の活動にも、まっきーが小学6年生だった2015年のクリスマスパーティーにも、ともは一生懸命動いてくれた。
約2,000本のペットボトルを集め、大きなクリスマスツリーを作った時もそうだった。
僕が無茶なことを言い出しても、嫌な顔をせず、最後まで付き合ってくれた。
イベント当日だけ来る人ではなかった。
準備の段階から相談に乗り、必要なことを調べ、片付けまで一緒にする。
そんな仲間だった。
本当に、いいやつだった。
会を消さないために
任意団体からNPO法人へ
DANTⅡco.から始まり、子どもたちを中心にした「継ぐ時」へと活動は変わっていった。
けれど、活動が少なくなるたびに、僕は考えた。
このままでは、いつか会そのものが自然になくなってしまう。
任意団体は、始めるのも簡単だった。
しかし、活動する人がいなくなれば、いつの間にか消えていくこともできる。
僕は、それが嫌だった。
長く続けてきた活動を、曖昧なまま終わらせたくなかった。
そこで考えたのが、NPO法人にすることだった。
NPO法人は、利益を構成員へ分配することを目的とせず、地域や社会のための活動を行う法人組織である。
法人になれば、毎年、決算や活動報告を提出しなければならない。
やめる時にも正式な手続きが必要になる。
手間は増える。
けれど、その手間があるからこそ、簡単には消えない団体になる。
補助金や助成金を活用し、活動資金を確保できる可能性もあった。
たかし君にも方向性を伝えた
僕は、自分が考えていたA-Connectionの方向性を、たかし君にも相談した。
たかし君は、僕より一回り、12歳年上で、役場を退職した人だった。
地域のことや行政の仕組みにも詳しく、僕にとっては頼りになる年上の存在だった。
どんな活動をしたいのか。
なぜ任意団体のままではなく、NPO法人にしたいのか。
これから、どのような団体にしていきたいのか。
僕は、自分が考えていることを、たかし君にきちんと話した。
その方向性を理解してくれたたかし君は、A-Connectionの設立に協力してくれた。
定款を作る。
設立の目的をまとめる。
役員を決める。
必要な書類をそろえる。
分からないことも、手間のかかることも多かった。
僕一人だけでは、形にできなかったと思う。
たかし君の経験と協力があり、実際の準備を一緒に進めてくれたともがいたから、A-Connectionを形にすることができた。
ともと作ったA-Connection
僕の考えを形にしてくれた
A-Connectionは、ともと一緒に立ち上げた団体だった。
設立しただけではない。
ともが元気だった頃から、すでに何度か事業も行っていた。
ともは、「継ぐ時」から続く仲間として、A-Connectionの準備や運営にも力を貸してくれた。
僕が新しい活動を考え、ともが実現する方法を調べ、一緒になって形にしていった。
僕が、
「やろう」
と言う。
すると、ともは、
「どうしたらできるか」
を考えてくれた。
僕にとって、ともは、ただの友達ではなかった。
僕の考えを理解し、同じ方向を向いて、本気で動いてくれる仲間だった。
A-Connectionを作ることができたのは、ともがいてくれたからだった。

地域の自然を生かした活動
法人設立後も、僕らはいくつかの事業を行った。
地域の川や自然を使い、子どもたちや地域の人が楽しめる活動を考えた。
自分たちが楽しみながら、地域にも何かを残す。
それは、DANTⅡco.の頃から続いてきた、僕たちのやり方だった。
だから僕にとってA-Connectionは、単なる地域団体ではない。
ともと過ごした時間や、一緒に考えた活動が残っている、大切な団体でもある。
一緒に進めるはずだった未来
A-Connectionを本格的に動かしながら
その頃、ともは自分の仕事について、何度か僕へ相談に来ていた。
今の仕事を辞めたい。
これからどうしたらいいのか。
そんな話を、ともは僕にしていた。
ともは、A-Connectionの活動を本格的に進めながら、うちの会社の仕事も手伝えたらと考えていたようだった。
僕も、ともなら地域活動だけでなく、仕事でも一緒に動いていけると思っていた。
うちの会社の仕事を手伝ってもらいながら、A-Connectionの活動も一緒に進める。
そうすれば、もっといろいろなことができるかもしれない。
ただ、その時点では、正式に会社へ入ってもらう話まで決まっていたわけではなかった。
僕の中でも、もう少し考えたいところがあった。
ともも僕も、お互いに何となく気持ちは分かっていた。
けれど、具体的な形にするところまでは進んでいなかった。
これから仕事も活動も、もっと一緒にできるかもしれない。
僕はそう思っていた。
鮎しゃくりを終えた夕方
河原での打ち上げ
事故が起きた日も、みんなで鮎しゃくりに行っていた。
鮎しゃくりは、ウェットスーツを着てゴーグルをつけ、川へ入って鮎を捕るものだった。
活動が終わった後、河原へ上がった僕たちは、ウェットスーツを着たまま、仲間たちとバーベキューをしながら打ち上げをしていた。
使い終わったゴーグルや道具は、河原に置いてあった。
その時、ともが、
「知り合いに、取ったばっかりの鮎を届けたい」
と言い出した。
ただ、その日のともは、体がかなりえらそうだった。
僕たちは、
「体がえらいんやったら危ないで、明日にしな」
と止めた。
無理をして、今すぐ行く必要はない。
鮎は明日でも届けられる。
そう話した。
それでも、ともは、
「取ったばっかりの鮎を、すぐに持っていきたい」
と言った。
そして車に乗って出ていった。
ともは国道で事故に遭い、亡くなった。
もっと強く止めていたら
あまりにも突然だった。
あの時、もう少し強く止めていたら。
無理にでも行かせなかったら。
車の鍵を預かっていたら。
そんなことを何度も考えた。
けれど、どれだけ考えても、ともは帰ってこなかった。
2016年8月、ともの通夜へ行った。
長い間、いろいろな活動を一緒にしてきた。
子どもたちの成長も一緒に見てきた。
A-Connectionも一緒に作った。
これからは、A-Connectionを本格的に動かしながら、会社の仕事も一緒にできるかもしれないと思っていた。
その途中で、ともはいなくなった。
本当に悔しかった。
悲しいという言葉だけでは足りなかった。
僕が何かを思いつき、
「やろう」
と言えば、同じように面白がり、本気で動いてくれる。
僕と同じように、子どもたちのことや地域のことを考えてくれる。
そんな仲間がいなくなった。
「俺と同じことを考えてくれるやつが、おらんくなった」
あの時、僕は本当にそう思った。

それでもA-Connectionは動いた
2016年10月31日の会議
ともが亡くなってから約2か月半後。
2016年10月31日、A-Connectionの会議を開いた。
あの頃、僕がどんな気持ちで会議に出ていたのか、細かなところまでは覚えていない。
ただ、ともと一緒に作った団体を、そのまま止めたくなかった。
それだけは確かだったと思う。
活動を続けることが、ともへの恩返しになる。
そのような、きれいなことを考えていたわけではない。
ともと一緒に時間をかけて作ったものを、簡単に終わらせたくなかった。
それだけだった。
ともがいない忘年会
12月13日には、A-Connectionの忘年会を開いた。
一年を振り返り、食事をしながら話をする。
いつもの仲間が集まる。
けれど、その年は、いつもの年とは違っていた。
そこに、ともはいなかった。
以前なら、ともが準備や片付けをしていたかもしれない。
僕が次の活動について無茶なことを言い出し、ともが現実的な方法を考えていたかもしれない。
仲間が一人いないだけで、同じ集まりでも雰囲気は違って感じる。
それでも、みんなで集まることには意味があった。
A-Connectionが、まだ動いている。
仲間たちが、まだつながっている。
そのことを確かめるような忘年会だったのかもしれない。
冬の星空イベント
2017年2月4日。
A-Connectionで星空イベントを行った。
冬の夜は寒い。
外で何かをするには、決して楽な季節ではない。
それでも、地域の人や子どもたちが集まり、みんなで夜空を見上げた。
僕がしてきた活動は、いつも難しいものではなかった。
仲間を集める。
自分たちも楽しむ。
子どもたちにも経験してもらう。
地域にあるものを使って、少し面白い時間を作る。
星空イベントも、その延長だった。
特別な施設がなくても、田舎にはきれいな夜空がある。
普段なら何気なく見ている星空も、みんなで集まって見ると、一つのイベントになる。
ともが生きていたら、どんな準備をしただろう。
何を言い、どこで動いていただろう。
僕は、そんなことを考えていたのかもしれない。

活動を残すということ
DANTⅡco.から「継ぐ時」へ。
そして、A-Connectionへ。
活動の名前は変わった。
中心になる人も、参加する子どもたちも変わっていった。
けれど、僕がしてきたことの根っこは、ずっと同じだった。
仲間を集める。
地域で遊ぶ。
子どもたちに経験を伝える。
自分たちの地域を、自分たちで少し面白くする。
A-ConnectionをNPO法人にしたのは、団体を簡単に消したくなかったからだった。
そして、ともが亡くなった後、その意味は僕の中でさらに大きくなった。
ともは、もういない。
それでも、ともと一緒に作った団体は残っている。
一緒に考えたことも、活動した時間も、A-Connectionの中に残っている。
団体を残すということは、名前や書類だけを残すことではない。
そこに関わった人の思いや、一緒に過ごした時間を、次につないでいくことなのかもしれない。
2016年10月の会議。
12月の忘年会。
2017年2月の星空イベント。
カレンダーに残っている三つの予定は、A-Connectionが止まらずに動き続けた記録だった。
そして僕にとっては、ともと一緒に作ったものを終わらせなかった記録でもある。
特別編のご案内
今回の第25話では、ともが亡くなった後もA-Connectionを止めずに活動した、2016年秋から2017年冬の出来事を中心に書きました。
メンバーシップ限定の特別編では、さらに時間をさかのぼり、
20歳頃に作ったDANTⅡco.。
あじさい祭りと手作りTシャツ。
子どもたちと行ったサバイバルフィッシング。
「継ぐ時」という名前に込めた思い。
PTAでの、ともとの出会い。
ともやたかし君と進めたA-Connectionの設立。
鮎しゃくりの日に起きた突然の別れ。
そして、僕がともへ伝えきれなかった思い。
そこまでを、より詳しく残しています。
ともは、僕が言い出したことを、本気で形にしてくれた仲間でした。
僕と同じように、地域や子どもたちのことを考えてくれる、大切な存在でした。
ともと過ごした年月と、A-Connectionが生まれるまでの詳しい物語は、特別編で読んでいただけます。
