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飲み会の傾斜は必要なのか?

「飲み会の傾斜は必要なのか?」

こんな疑問を、上の立場の人が投げかけると「ケチ」とか「器が小さい」と言われる(というか、そう思われるんじゃないかと思い込んでいる)ことが多い。

そもそも傾斜はなぜ生まれたのか?

飲み会の傾斜という文化の歴史を知る由もない私が想像するに、昔は飲み会の頻度が高く、若手の金銭負担の軽減のために生まれたのではないだろうか。ひと昔前までは、部などの単位で行われる飲み会や先輩に誘われた飲み会が開催され、誘われれば、断るという選択肢はなかった。その代わりに、年収の高い役職のついた人が多く払い、役職もついていない若手は少ない支払いでOKというシステムが生まれたと考えると腑に落ちる気がする。

では今はどうかというと、飲み会参加に誘っても、「今日は予定がありまして・・」などといって平気で断られる時代だ。オフィシャルな飲み会もコロナを機に減少していると聞く。そんな時代であるなら、ある意味「会費制」の飲み会こそ合理的なのかもしれない。

事実、知らぬ間に私の周辺では、役職などに関係なく一律の支払いでOKな「会費制」の飲み会が増えている。行きたい人だけが行く飲み会は、同じ料理を食べ、同じだけ楽しんでいるんだから金銭的負担は平等であるべきだ、言う考え方に基づくものである。そういう会は、幹事も楽で、どれくらいの傾斜にすべきか、みたいなことで悩み、無駄な時間を過ごさなくていいというメリットもある。

ただ、世のなか的には傾斜という文化はなくなっていないようだ。昔からある慣習は、簡単にはなくならないという典型なのかもしれない。でも、願う。傾斜なんかなくなればいいのに、と。

年齢を重ね傾斜負担が重くなってきたことに不満を持ったが、やっぱり口には出せないのでnoteに書こうと思ったのでした。


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