法律を作りまくっている人たちはどういう気持ちなのか? フーコー ハイエク
法律を作りまくっている人たちはどういう気持ちなのか?
――「計算機的な正義」が塗りつぶす、剥き出しの生
世の中には、驚くほどの熱量で新しい法律やルールを量産し続ける人々がいる。彼らは「より良い社会」「安全な暮らし」を旗印に、私たちの生活の隙間を網の目で埋め尽くしていく。
果たして、彼らはどういう気持ちで「禁止」や「義務」を増やし続けているのか。そこには、私たちが大切にしている「生活の手触り」とは全く別の、極めてグロテスクな論理が支配している。
1. 世界を「数式」に書き換えたい支配欲
法律を作る側の人々(官僚や政治家)にとって、世界は「不確実で、予測不能なノイズ」に満ちた、極めて不快な場所だ。
彼らにとって、ルールがない空白地帯(アナーキーな領域)は、単なる**「管理の失敗」**に見えている。ピーマンに種があること、じゃがいもに芽があること、あるいは他者と肩が触れ合う距離で生きること。そうした「生のゆらぎ」を、彼らは「リスク」という数値に変換し、1%でもゼロに近づけようとする。
彼らの快感は、世界を「1+1=2」のように予測可能なシステムに書き換えることにある。全ての隙間を条文で埋め尽くし、人間を「変数」としてコントロールすること。それはもはや政治ではなく、世界をフリーズ(静止)させようとする**「計算機的な支配欲」**だ。
2. 「弱者を救う神」という全能感の罠
彼らは本気で「自分たちが網の目を細かくしないと、愚かな大衆は死んでしまう」と信じ込んでいる。
微細な不快感にまで「魂の殺人」といった大仰な名前をつけ、罰則を設けることで、彼らは**「自分たちが世界をより清らかで安全な場所に導いている」**という神のような万能感に浸っている。
しかし、その過程で彼らが何を引き換えているか。それは、人間が本来持っていた「摩擦を受け流す力」や「自分で毒を抜く力」の剥奪だ。彼らは「善意」という名の麻酔を打ち続け、自ら歩くための筋肉を削ぎ落としていることに驚くほど無自覚である。
3. 「責任」という恐怖からの逃避
実は、彼らは誰よりも**「責任」に怯えている。**
法律がない場所で何かが起きれば、「なぜルールを作っておかなかったんだ!」という大衆の怒りに晒される。それが怖いから、先回りして「あれも禁止、これも義務」とガチガチに固めていく。
警察官を増やし続ける心理も同じだ。街に「暴力装置」を溢れさせることで、「守られている」という幻想を維持し、自分たちの統治責任を分散させている。
本来なら、シルバー人材センターの「よぼよぼのおじいちゃん」が街角で日向ぼっこをしているような、隙だらけの社会の方が人間同士の距離は近づく。しかし、彼らはその「弱さの共有」を許さない。武装した警官という「壁」を置くことで、人間同士のダイレクトな接触を拒絶しているのだ。
4. 結論:彼らは「自然」を信じていない
彼らが法律を作り続ける根本的な理由は、**「自然も、他者も、信じていない」**からだ。
合成洗剤や芳香剤で生の匂いを塗りつぶす住人と同じように、彼らは剥き出しの人間を信じられない。だから縛り、管理し、規格化されたクローンのような存在として扱おうとする。
彼らにとって、法律を作ることは「パズルを完成させること」に過ぎない。そこには、東浩紀の髪型のような「制御不能なノイズ」を愛でる余裕も、近すぎる距離で誰かと体温を分け合う豊かさも存在しない。
私たちが「世の中を良くしよう」とする彼らの行進から降りるべき理由は、ここにある。
彼らが完成させようとしているのは、完璧に管理された「清潔な死体」のような世界だ。私はその数式の一部になることを拒絶し、今日も泥のついた素材と対峙し、自分の指で毒を削ぎ、自分の鼻で世界の匂いを嗅ぎ続ける。
