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身体についてのひとりごと「トイレが怖い」僕の体が教えてくれたこと

不登校だった頃、僕にとって自分の体は、一番の味方であり、
同時に一番の「思い通りにならない存在」だった。


特に僕を苦しめたのは、「心因性頻尿」という症状だった。

中学1年生の夏、理由ははっきりわからないまま、
僕は教室に入れなくなった。

そのとき体が発していた拒否反応が、「授業中に何度もトイレに行きたくなる」というものだった。

「学校に行かなければいけない」と思えば思うほど、
体は「ダメだ」と言うように強く反応した。

信じたい自分の体が、僕を教室に座らせてくれない。
それは、心が引き裂かれるような感覚だった。

何度も教室に挑戦しては失敗し、
もうどうにもできなくなったとき、
僕は初めて「学校に行きたくない」と言えた。

治そうともがいた日々、母も必死だった。
泌尿器科や心療内科、高い漢方や整体にも通った。

それでも、目に見える変化はなかった。
ただ、時間とお金が過ぎていく日々だった。

でも今は思う。
あの時間は、無駄じゃなかった。

うまくいかなくても、何も変わらなくても、
母は僕をなんとかしようと動き続けてくれていた。

その事実が、少しずつ僕の中に安心として残っていった。
あの時間は、ちゃんと愛情として、僕に染み込んでいた。

勇気を出して相談した教育相談室でも、軽くあしらわれた。
「わかってもらえない」という感覚は、僕をより孤独にした。

外出するときは、いつも頭の中に「トイレマップ」を描いていた。
電車はトイレ付きの車両を選び、
前日は水分や食事を控えた。

「どうすれば、周りに気づかれずにトイレに行けるか」
そればかりを考えて生きていた。

そんな僕の人生は、
この「心因性頻尿」とともに、大きく変わっていった。
もしあのとき、体が何も反応しなかったら、
僕は無理をして学校に通い続けていたと思う。

高校に進み、大学に行き、就職して、
「社会が求める普通の大人」になっていたかもしれない。

でもそれは、本当に僕が望んでいた人生ではない。
どこかで、たぶんもっと大きく崩れていたと思う。

まだ若く、支えてくれる人がいる中で、
苦しみながらも立ち止まれたことは、
結果的に良かったと思っている。

体が「無理だ」と止めてくれたから、
僕は不登校になることができた。

そこからフリースクールに出会い、
海外に行き、「世界は一つじゃない」と体で知った。

学校だけがすべてじゃない。

生き方も、場所も、こんなにたくさんあるんだと初めて感じた。
そして気づいた。

大切なのは、学校じゃなくて、自分だということ。
「正解」よりも、「自分がどう感じているか」のほうが大切だということ。

たくさんの素敵な大人にも出会えた。
「こういう生き方もある」と、背中で見せてくれる人たちだった。

やがて僕は、心から「好きだ」と思える仕事に出会い、
今は大切な奥さんや家族もいる。

あの頃は想像もできなかった人生を、今は生きている。

僕の人生は、あのとき180度変わった。

「当たり前」だと思っていたものは、
本当は当たり前なんかじゃなかった。

ありえない「普通」を追いかけて、
自分を苦しめる必要はなかった。

今なら思う。
あのときの頻尿は、ただの症状じゃなかった。
僕の体が、「ここは違う」と教えてくれていたサインだった。

無理をして壊れる前に、
ちゃんと止めてくれていた。
僕の体は、ずっと僕の味方だった。

あの頃の僕のように、体が「無理だ」と言っている子どもがいたら、
どうかその声を、否定せずに受け取ってほしい。

それは、その子にとって
一番大切な“声”だから。

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ふくのり@不登校だった僕は・・・ ここに書いているのは、 あの頃の僕が母に伝えたかった言葉です。 いただいた気持ちは、 いま孤独な場所にいるお母さんへ そっと言葉を届け続ける力にします。