戦略三文書改定の本質は「国家安全保障産業政策」への転換である― 政府有識者会議とロシア・ウクライナ戦争の戦訓から考える日本の継戦能力 ―
2026年6月、自民党及び日本維新の会は戦略三文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)の改定に向けた提言を公表した。同時期に政府は有識者会議を設置し、安全保障環境の変化を踏まえた新たな防衛力整備の方向性について議論を開始している。
今回の議論を俯瞰すると、防衛費の水準や新たな装備品の取得だけではなく、「継戦能力」と「防衛生産基盤」が政策の中心課題へ移りつつあることが分かる。
筆者は、この変化を単なる防衛政策の修正ではなく、防衛産業政策を国家安全保障全体の中へ位置付け直す転換点であると考えている。
防衛力は「保有する力」から「支え続ける力」へ
2022年に策定された戦略三文書では、反撃能力、防衛費の増額、スタンド・オフ防衛能力などが注目された。
しかし、その後の安全保障環境はさらに厳しさを増している。
ロシア・ウクライナ戦争は長期化し、中東情勢も不安定化している。中国は軍事活動を活発化させ、北朝鮮は核・ミサイル能力を高度化している。さらにAI、無人機、宇宙、サイバーといった新技術が戦い方そのものを変えつつある。
こうした状況の中で政府有識者会議が重視しているのは、「どれだけ装備を保有しているか」ではなく、「どれだけ長期間支え続けられるか」という視点である。
戦争は短期間で終結するとは限らない。長期戦では、弾薬や装備を継続的に補給し、生産し、修理できる国家が優位性を維持する可能性が高い。
この考え方が「継戦能力」である。
ロシア・ウクライナ戦争が示した現実
ロシア・ウクライナ戦争では、多くの国が予想以上の弾薬消費に直面した。
米国や欧州諸国は155mm砲弾や各種ミサイルの増産を進めたが、短期間で生産能力を大幅に拡大することは容易ではなかった。
ボトルネックとなったのは最終組立工程だけではない。
特殊鋼材、火薬、電子部品、半導体、熟練技術者など、多くの要素が生産能力を制約した。
また、生産工場やエネルギー施設そのものが攻撃対象となり、工場を守ることも継戦能力の一部であることが明らかになった。
これらの事実は、戦争が軍隊だけではなく国家全体の産業基盤によって支えられていることを改めて示している。
政府有識者会議が示す方向性
政府有識者会議では、
・継戦能力の強化
・防衛産業基盤の維持
・サプライチェーンの強靱化
・人材育成
・デュアルユース技術の活用
・AI・無人システムへの対応
・同盟国・同志国との協力
などが主要論点となっている。
これらを並べてみると、防衛省だけで完結する議論ではないことが分かる。
経済産業政策、科学技術政策、人材政策、さらには国際協力まで含めた国家全体の政策課題として議論されている点が特徴である。
一方で、制度設計はまだ検討段階にあり、今後の戦略三文書改定や関連法制度の議論を注視する必要がある。
日本が抱える課題と強み
日本の防衛産業には、市場規模の小ささ、単一顧客構造、サプライチェーンの脆弱性、人材不足などの課題がある。
設備を整備しても、熟練した造船技術者や航空機整備員、システムエンジニアなどを短期間で育成することは難しい。
有識者会議でも、人材は継戦能力を左右する重要な要素として繰り返し議論されている。
一方で、日本には世界有数の製造業基盤という強みがある。
自動車、電子部品、工作機械、特殊鋼、素材産業などは依然として国際競争力を有しており、有事には民間の技術や生産能力を防衛分野へ活用できる可能性がある。
ウクライナでは、スタートアップやIT企業がドローンやソフトウェア開発で重要な役割を果たした。
もっとも、日本は島嶼国家であり、日米同盟を基軸とする安全保障体制を有するなど、ウクライナとは戦略環境が大きく異なる。そのため、戦訓をそのまま適用するのではなく、日本の制度や産業構造に適合した形で取り入れることが重要である。
防衛企業に求められる視点
今後、防衛企業には単に受注を拡大するだけではなく、有事を見据えた経営戦略が求められる可能性がある。
例えば、
・サージ生産能力の確保
・サプライチェーンの複線化
・大学やスタートアップとの連携
・熟練人材の育成と技能継承
・日米をはじめとする国際共同開発やMROへの参画
などは、競争力を左右する要素となるかもしれない。
また、自民党提言で示されたGOCO(Government-Owned, Contractor-Operated)は、大規模設備の維持に有効な選択肢となる可能性がある。一方、無人機やAI分野ではスタートアップを中心とした分散型開発が有効な場面も考えられる。
重要なのは、「GOCOか分散型か」という二者択一ではなく、装備や技術の特性に応じて最適な生産モデルを組み合わせることである。
おわりに
今回の戦略三文書改定に向けた議論は、防衛力整備を単なる装備調達の問題から、国家全体の産業力・技術力・人材・国際協力を含めた総合的な安全保障政策へ発展させようとする試みと見ることもできる。
もちろん、制度設計や財源、民間企業の負担などについては今後も議論が必要であり、現時点で方向性が確定したわけではない。
しかし、政府有識者会議と各党提言を総合すると、防衛産業は「装備をつくる産業」から、「国家の継戦能力を支える基盤」へと位置付けが変わりつつあるように見える。
この変化は、防衛企業のみならず、日本の製造業全体にとっても中長期的に注目すべき政策動向と言えるのではないだろうか。
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