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【天皇の系図シリーズ】第4代・懿徳天皇の系図

【天皇の系図シリーズ】第4代・懿徳天皇の系図

第4代天皇は「懿徳天皇(イトクテンノウ)」です。

在位期間は、紀元前510年から紀元前477年頃と伝えられています。

それでは、懿徳天皇の系図を見ていきましょう。

懿徳天皇と天豊津姫命との系図

懿徳天皇は、「天豊津姫命(アマトヨツヒメノミコト)」と結婚しました。

二人の間には二人の皇子が誕生します。

長男は「観松彦香殖稲尊(ミマツヒコカエシネノミコト)」。 後に、第5代天皇「孝昭天皇(コウショウテンノウ)」として即位します。

次男は、「武石彦奇友背命(タケシヒコキトモセノミコト)」です。

ここで、懿徳天皇には興味深いエピソードがあります。

『日本書紀』によると、皇后となった天豊津姫命は、同母兄・息石耳命(オキソミミノミコト)の娘であり、懿徳天皇にとって「姪(めい)」にあたる人物でした。

つまり、皇室の歴史の中で初めて、近い血縁者を皇后に迎えたと伝えられているのです。

初代・神武天皇から第3代・安寧天皇までは、「事代主神」の系統など、外部の有力豪族との婚姻を重ねながら勢力を広げていました。

しかし、懿徳天皇の時代になると、 
大王(おおきみ)家の内部、それも近い親族との婚姻へと変化します。

これは、王権をより安定させ、皇統を強く結び付けようとした可能性があると考えられており、古代日本の婚姻制度を知るうえでも重要な出来事とされています。

そして、「懿徳天皇」という名前にも注目してみましょう。

実は、この名前は生前の名前ではありません。
奈良時代に学者・淡海三船(おうみ の みふね)によって贈られた「漢風諡号(かんぷうしごう)」です。
【※淡海三船(おうみ の みふね)は、奈良時代後期(722年〜785年)に活躍した皇族出身の貴族・文人・漢学者です。初代の神武天皇から聖武天皇に至るまでの歴代天皇に中国風の名(漢風諡号)を一括して命名した人物として最もよく知られています。】

【※漢風諡号(かんぷうしごう)とは、中国風にならって中国の制度と同じように漢字2文字で天皇に贈られたおくり名のことです。】

「懿」という漢字には、「美しい」「優れている」「立派な徳」という意味があります。

そのため、「懿徳」とは、「非常に優れた徳を備えた人物」という意味になります。

特に「懿」は、女性の優れた品性を表す際にも用いられる、美しい漢字として知られています。

懿徳天皇には詳しい事績がほとんど残されていません。

それにもかかわらず、このような最高級ともいえる諡号が贈られたのは、何か特別な意味が込められていたのかもしれません。

もちろん、その理由は現在でも明らかになっておらず、多くの謎に包まれています。

皆さんは、この「懿徳」という名前に、どのような意味が込められていると思いますか?

ぜひコメントで、あなたの考えを教えてください。

次回は、第5代・孝昭天皇の系図をご紹介します。 ぜひ最後までお楽しみください。

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