「保育はどうするかではなく、どう生きるかだ」


タイトルは ある幼児教育の研修会で、福尾野歩さんがおっしゃっていた言葉だ。

私が新卒で入った幼稚園は、バスドライバーと園長以外、全員が女性教諭だった。そしてそこには、はっきりとした年功序列のヒエラルキーがあった。
一年目より二年目が偉い。二年目より三年目が偉い。
そして十年選手ともなれば、もはや神様。言葉を交わすのも怖い存在だった。
昭和の新人に人権なんて、ない。

そこには目に見えないルールが山ほどあった。

・先輩より早く帰ってはいけない
・音楽会では、先輩が使う曲と被らないように選曲する
・他クラスと同じモチーフの壁面は禁止
・季節に沿っていない壁面は却下
・病気でも入院しない限り出勤

そんな環境だったから、一年目は朝7時半出勤、夜11時帰宅が当たり前。
残業代は一円も出ない。定時の16時半に帰れた日は、4年間で一度もなかった。

今なら完全にブラック企業だ。でも当時は「それが普通」だった。

先輩たちは口を揃えて言う。
「それ、季節に合ってないよね」
「そのねらいは何?」

今思えば、ちゃんちゃらおかしい。中学生の部活動じゃないんだから、、、
たった数年経験が長いだけで、よくもあんなに偉そうにできたものだと、今なら笑える。

アメリカで、秋だからと、きのこの壁面を作ったらアメリカ人先生に笑われた。「なんで秋はきのこって決まってるの?!一年中スーパーで売ってるじゃん」って、、。確かに 春はキャベツ、夏のトマト、、、一年中スーパーで見れるよね。
私がこだわってた季節って一体なんだ?と思った瞬間だった。

月案の「ねらい」?
正直、長年経った今でも、保育士が一挙一動すべてに明確な目的を持ち、理論的に動いているわけじゃない。
多くの書類の本当のねらいは、「それっぽいことを書いて、早く家に帰る」ことだった。

頭で考えることに縛られて、何ができるというのだろう。
子どもたちの言動も、興味も、毎日違うのに。

それより何より大事なのは、
教室を取り仕切る先生が、どれだけ上機嫌かじゃないだろうか。

過労死寸前の保育士が、上機嫌で保育なんてできるのか?

どうでもいいミーティングを重ね、
どうでもいい書類を山ほど書き、
何時間もサービス残業をするより、
さっさと帰って美味しいレストランで友達と食事をした方が、
よほど次の日、晴れやかな気持ちで子どもと向き合えただろう。

海外の日本人幼稚園では、圧倒的に書類が少なく、退勤時間も早かった。
先生同士が友だち同然で、協力し合うので保育の質は驚くほど高かった。

子どもたちは、いろんな大人に出会うからいい。
「この保育が正しい」「これはダメ」なんて、簡単に決められるものじゃない。

どんな先生も、
子どもたちが園生活を楽しめるように、
思いやりのある子に育ってほしいという、同じ願いを持って働いている。
やり方やアプローチが違っていい。
他人の保育にいちいち口を出す必要なんてない。

新人でも、古株でも
お互いのやり方や考えを尊重し合えたらいい。

「自分の保育が一番正しい。人にも教えてあげなければ」と思うと亀裂が生まれる。

色々な国や色々な幼稚園を見て気づいた。どこの園も自分たちが一番良い保育をしていると信じてとてもプライドを持っている。つまり色んなやり方があって良いのだ。

子どもは一人ひとり違う。
先生だって違う。
いろんな大人の、いろんな関わり方に出会うことの方が、
子どもたちにとってはきっと豊かだ。

だって社会に出れば、
怖い人も、優しい人も、適当な人も、細い人もいるのだから。

誰かの保育に口出しする前に、
自分自身を成長させることに集中した方がいい。

保育は、技術でも経験でもない。
どう生きているか。
その人そのものの人間性だと、私は思う。

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