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『われ判事の職にあり 山口良忠』

コラム 山口良忠という生き方

ネットでNHKドラマ10「テミスの不確かな法廷」の記事を見て
法曹界の正義に関する記事をと思い、1冊の本を紹介する。

紹介する本。
『われ判事の職にあり 山口良忠』 
出門堂 肥前佐賀文庫
山口良忠 1913年11月16日 - 1947年10月11日
判事山口良忠がどのように死に至ったかを、
弁護士山形道文が追う。

緩慢な自殺。

やるせなく、深いため息しか出ない。


若い人には「闇米」と言っても分からないかもしれない。

敗戦直後、日本は深刻な食糧難にあった。
満州、朝鮮、台湾を失い、
穀物の供給源が断たれた。
外地からの引揚者で人口は激増し、配給だけでは生きていけなかった。

人々は、法律で禁じられた闇市で米を買った。
食糧管理法違反。
だが、それをしなければ餓死する。
そういう時代だった。


山口良忠という名前は、日本史の中では
「闇米を拒否して餓死した判事」
という一文に圧縮されている。

だが、本を読むと、印象は少し違う。

佐賀高校に入学した十七歳のとき、
最初に書いた作文の題は「笑」だった。
笑の哲学、笑の倫理を論じている。
次の作文の題は「私が勉強しない理由」。

堅物どころか、相当にひねりの効いた人だ。

甲府地方裁判所時代の随筆では、
上司を

将棋、尺八、釣り、弓、謡と多趣味で、
「風流判事」「八方美人」と呼ばれていた。
酔うと「ヒーヒー」と笑う。

肥前佐賀文庫004 われ判事の職にあり 山口良忠

と、
どこかくすっとした筆致で書き残している。

笑いを知り、人の機微を観察できる人だった。

その人が、闇米を拒否し、
配給だけで生き、
やがて栄養失調で倒れ、
三十三歳で亡くなった。


山口良忠は佐賀の出身である。

佐賀といえば、葉隠。

彼が裁判官時代に書いた随筆には、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
という一文が引用されている。

この言葉は、よく誤解されるようだが、
死を礼賛しているのではない。

葉隠が説くのは「常住死身」という態度だ。
いつ死んでも悔いのないように、
毎日を仕果たせ。
覚悟を決めた上で、日常を生きよ。

山口良忠は、
これを法曹の職責として引き受けた。

闇米を裁く立場にある者が、
自ら闇米を食べるわけにはいかない。
法の一貫性は、自分の身体で示すしかない。

それは、
法を「自分に向けて」適用する態度だった。


ここで、別の事件のことを考える。

大川原化工機事件。
2020年、外為法違反の容疑で
噴霧乾燥器メーカーの
代表者ら三名が逮捕された。

だが、そもそも犯罪が成立しない事案だった。

輸出規制の要件を満たしていないことは、
通常の捜査を行えば分かったはずだった。
それでも警視庁公安部は逮捕に踏み切り、
検察は起訴した。

約十一ヶ月の身体拘束。
相談役のA氏は拘置所内で体調を崩し、
胃がんと診断されたが、
検察は保釈に反対し続けた。
A氏は保釈後まもなく亡くなった。
家族の皆さんのお気持ちを
考えると本当に心が痛む。

第一回公判の直前、
検察は突然、公訴を取り消した。
理由の説明はなかった。

国家賠償訴訟の判決は、
逮捕も起訴も違法だったと認定した。


もう一つ、村木事件。

2009年、厚生労働省の局長だった村木厚子氏が
虚偽公文書作成の容疑で逮捕された。

164日間の身体拘束。
取調べでは、
「否認していると実刑になる」
「弁護士の言うことを聞くと損をする」
と言われた。

係長は、被疑者ノートにこう記している。

「えん罪はこうして始まるのかな」
「検事の作文にのるという決断をした以上しかたない」
「まともに物を考える状況ではない。
一分一秒でも早くここを出たい」

2010年、無罪判決。
その後、
担当検察官が証拠を改ざんしていたことが
発覚し、
有罪判決を受けた。


二つの事件に共通しているのは、
捜査機関が「職責」を語りながら、
実際には組織の論理で動いていたことだ。

口裏合わせの恐れがある。
罪証隠滅の恐れがある。

そう主張して保釈に反対し続けた。
だが、その「恐れ」は、
立証の穴を埋めるための時間稼ぎだった。

法を「他者に向けて」適用し、
自分たちの判断は問わない。

葉隠的に言えば、
彼らは「生き身」のまま職責を語っていた。

組織の中で生き延びる論理。
実績を積む論理。
面子を守る論理。

その論理の先に、
A氏の死があり、
係長の絶望があった。


「行き過ぎた法令遵守」という批判がある。

コンプライアンス疲れ。
過剰な萎縮。
形式主義。

一般論としては、そういう問題もあるだろう。

昭和四十六年、日本文化会議が首都圏の有権者を対象にアンケートを行った。
「法律で禁じられた闇米を食べないで、
栄養失調になり死んでしまった裁判官をどう思いますか」

結果はこうだった。
「すこしゆうずうがきかなすぎる」 67%
「バカげている」 16%

戦後二十六年経った時点で、
八割以上が否定的だった。

今、同じアンケートを取ったらどうなるだろう。
おそらく数字はもっと上がる。

だが、それは本当に「融通」の問題なのか。

法曹の場合は少し違う。

法を守る側が、法を犯すわけにはいかない。
それは形式主義ではなく、
職責の構造そのものだ。

山口良忠が闇米を拒否したのは、
堅物だったからではない。
法を裁く者が、法を破れば、
法そのものが壊れるからだ。

問題は、「法を守りすぎる」ことではない。
問題は、「法を自分に向けて適用しない」ことだ。

大川原化工機事件でも村木事件でも、
捜査機関は法の番人を自称しながら、
自らの判断を法で検証することを怠った。

法を他者に向けて振りかざし、
自分は「職責」の名のもとに免責される。

この非対称が、冤罪を生む構造になっている。


山口良忠は、笑いを知る人だった。
人の弱さも、組織の滑稽さも、
見えていたはずだ。

それでも、法を自分に向けて適用し続けた。

「常住死身」とは、
死にたがることではない。
いつ問われても答えられるように、
日々を仕果たすことだ。

彼の死は、悲劇だ。
だが、その態度は、
法曹という職責の一つの形を示している。

法を語る者は、
まず自分にその法を向けているか。

この問いは、
七十七年経った今も、
まったく古びていない。


本書の著者、
山形道文さんは函館弁護士会の弁護士だった。

「事実の認定はすべて証拠による」を
モットーに、
山口判事の人生の軌跡を六年間かけて追跡した。

関係者への丁寧な取材、資料の照合、現地調査。
法曹として、一つ一つの事実を証拠で裏付けていく仕事だった。

山形さん自身も、結核、肝臓病と付き合いながらの人生だった。
それでも、
「この辺で何とかしておかないことには、
山口判事の人間像は、道化師か奇人変人に虚構されてしまう」
と書き続けた。

ある人が山形さんに手紙を送った。
「徳は孤ならず、必ず隣有り」と論語を引いて、
「山口判事は死後二十五年を経て、
山形道文さんという知己を得ました」と。

山形さんは、
自らを「守節」と号するようになった。
節を全うした人=達節の一段下で、
節を守り抜く者。

平成二十一年、山形道文さんは亡くなった。
復刊は、奥様の山形悦子さんが進めた。

事実を歪めない。
記録を残す。
それもまた、法曹の職責だ。

山口良忠が法を自分に向けて生きたように、
山形道文さんは事実を自分に向けて書いた。

その仕事に、敬意を表したい。

今日はここまでで。

肥前佐賀文庫004 われ判事の職にあり 山口良忠
著者: 山形道文
仕様: A5判・352ページ
定価: 本体2,381円+税
ISBN978-4-903157-13-9


索引

事件事例引用先
https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/visualisation/falseaccusation/case4.html
https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/visualisation/falseaccusation/case1.html

葉隠 山本常朝は多数書籍あり

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