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文字におこせば

「妻と娘が笑かしてくる。」

こんなテーマで、Xやnoteに家族のエピソードを投稿し始めてから、約1年半が経過しました。

最初は「この楽しい家族との毎日を投稿すれば、きっと作家になれる!」みたいに、めっちゃ欲望に満ちたモチベーションで始めたこの活動。

気づいたら「これは、作家デビュー出来なくても続けよう。だってきっと言葉のアルバムみたいになって、後から読んだら絶対楽しいから。」などと思えるようになり。

読者の皆様だけでなく、未来の自分&妻&娘に宛てた手紙の様にして、書くようになりました。

それがいつしか「娘ちゃんのワードセンスさすがですね!」「奥さんかわいい!」なんて嬉しいお言葉を頂けるようになり、とてもありがたく思っています。

そしてこの文字におこすことは、僕の生き方や世界を見る目を変えてくれました。

今回は、どこにでもいる足の臭いパパが、書く習慣を身につけたことで何が起こったのか、何を感じているのかをシェアしたいと思います。

いつになく真面目な文章で恐縮です。

ですが、同じように家族について書きたいと思っている方や、SNSやジャーナルなどの書く習慣に興味がある方へ、何かヒントになれば良いなと思って書いていきます。




「妻と娘が笑かしてくる。」をテーマに書いたら、毎日が笑いに満ち始めた。


人は見たいものを見る。なんて言いますよね。

僕が、この発信テーマで書き始めてから一番感じたこと。それが、毎日が笑いに満ちているということです。

いや、正確には"笑いに満ちているように見える"だけなのかも知れません。

そりゃぁ、夫婦喧嘩も親子喧嘩も沢山します。怒ったり、叱ったり、怒られたり、叱られたり。数日、妻との冷戦が続くことだってあります。

体調だって毎日万全ではありません。とにかく予定がパンパンでぐったりしている時も、家族全員で風邪をうつしあう日々も、悩みで頭がモヤモヤグルグルしている事も、勿論あります。

それでも毎日必ず1つ呟いて、週に1度は長めのエピソードを書きます。

そうすると面白いもので、大変だった記憶はうすーくなっていき、楽しかった記憶が濃くなっていきます。

つらい記憶が消えるわけではないです。でも、どんな時でも強制的に、わが家の楽しかったことや面白かったことを書くわけですから、頭がそれ以外を受け流してしまうのだと思います。

そして僕にとっては、この発信が"良い意味で弱くなれるきっかけ"にもなっています。

この家庭を笑いで満たしたい。そう決めたから、悪かったことは素直に謝れますし、考え方に柔軟性が生まれます。不機嫌を長続きさせないように努力します。

元来、生真面目正論筋通し小僧の僕にとって、これ以上の進歩はないわけです。

だから、投稿を続けています。家族のためというか、自分のために。

書けば書くほど、続ければ続けるほど。

家族への理解が深まります。自分自身の器が、ほんの0.000 000 000 0001ミリずつ広がっていくのを感じます。(素粒子レベルの誤差)

そして何より「あの時も、この時も、大変だったけど楽しかったよね。」って。数年後、数十年後も振り返れるような気がしています。

見たいものを見て、成りたいものに少しずつ近づいている。

そんな感覚があります。


世間話の構成が上手くなった。


おしゃべりワンちゃん。

これ、妻が僕につけたあだ名です。先日に至っては「おしゃべりクソ野郎」と言われました。もはやシンプルな悪口。

とんでもなく人見知りが激しいくせに、ひとたび心を許すと、何時間も余裕で話し続けてしまう僕。

妻に対してなんて、もうね。気がグネングネンに緩みまくってるわけです。聞いてもらってようが無かろうが、妻の手元にあるSNSの面白さに負けようが、とにかく話しまくる。ずっとついて行く。(迷惑)

そんな僕なのですが、身内以外にはとっても気を使っています。話は出来るだけ簡潔に、を意識しています。

ただ、簡潔に話しすぎると、伝えたいことがちゃんと伝わらない。

そこで、この書く習慣が役に立っている気がします。

Xの呟きでは、140文字に全てのエッセンスを込めます。そうすると短い言葉で、漏れなく内容を伝える訓練になります。

また、noteでは必ずタイトルを付けます。比較的長い文章なので、冒頭文にも途中構成にも文末にも気を配ります。相手の注意を引き付けながら、より多くの情報を伝える訓練になります。

書くことが、話す訓練になっているんです。

コミュニケーションって、相手が聞いてくれてはじめて成立するもの。聞いてもらえていなければ、話していないのと一緒。ただの独り言。

だからこそ、順序立てて話すだけではなく、どうしたら注目してもらえるのか、飽きずに聞いてもらえるのかを考える能力が必要。

そしてこれは、SNSに投稿することで鍛えられるんじゃないかなと思っています。


書いてたら読みたくなって、世界が広がった。


社会人になってからというもの、小説は殆ど読んでいませんでした。

仕事に疲れて、Youtubeや映画などの映像作品ばかりを観る日々。

そして、読むのは大抵なにかのハウツー本や自己啓発本。仕事に関するものばかりで、小説は一切読まない生活が10年以上も続きます。

そんな中、2024年1月ごろからXを。同年4月ごろからnoteを始めました。

最初はただ勝手気ままに書いていたのですが、いつしか「読んでもらいたい。沢山の人に笑ってほしい。」と思うようになり、有名作家さんのエッセイを読むまでになりました。

実はお恥ずかしい話、エッセイというものは生まれてこのかた読んだことが無く、こんなに面白い世界があるのかとビックリしました。

三浦しをんさんの「しんがりで寝ています」や、朝井リョウさんの「時をかけるゆとり」など。

世の中には、単なる日常をこんなに面白く書ける方がいるのか!と感動したのを覚えています。

もちろん小説も読み始めましたし、相変わらず自己啓発本も読んでいます。

ただ、エッセイやnoteの世界に触れるようになったのは、自分自身が文章を書き始めたから。

書くことは、僕の世界を広げてくれたのだと思っています。


ジャーナルは気持ちを静めてくれる。


「先のこと考えすぎ。」「そんなの誰も気にしてないよ。」

僕が日ごろ、しょっちゅう言われる言葉です。

目の前の事ではなく、先々のことを考えて考えて、頭の中が悶々としてしまいがちな僕。

妻からも「いつも何か考えてるよね。」と言われます。確かに、そうなのかもしれません。

この性格が役に立つこともあります。

ついつい人の反応や物事の結末を予測してしまうので、なにか質問を受けたときには即答出来ます。

また、イレギュラーが起きても想像の範疇であることが多いので、慌てることはあまりありません。

ただ問題は、僕の考える"今こうしておいた方が良い"を、理解してもらえる確率が極めて低いこと。

そして、考えすぎて動けなくなることです。

前者に関しては、正直今も悩んでいます。

様々な側面を鑑みた上で結論を出しているので、それを言葉にすると長ったらしくなります。それをちゃんと最後まで聞いてもらえるように、聞き手の興味を知る努力も必要です。これが、本当に難しい。

伝える技術というよりも、聞く技術を高めたほうが良い気がします。

一方で、後者の"考えすぎて動けない"については、解決策を見つけました。

それが、ジャーナルです。

ジャーナルというのは、簡単に言うと日記です。

でも、ただの日記ではなくて、考えたことをとにかく吐き出すという作業になります。「あー、書くことないわぁ。」と思ったらそれを書く。

日記と違って、つらつらと書き進めるのがジャーナルというものです。僕はこれも、なんだかんだで1年半くらい継続しています。

バレットジャーナル・モーニングページなど、色々と種類はあります。

ただ僕は、シンプルに考えてることを紙に書き起こしています。

毎日A5用紙1枚だけを埋めているのですが、これだけで相当効果あり。

最後のほうには「今日はこれをしよう。」「この問題はこうやって考えよう。」などと、大体何かしらの結論が出ています。

フワッと終わることも勿論ありますが、それはそれでスッキリしているので良いのです。

あ、もちろん、この用紙の大きさは人それぞれ適量があると思いますよ!

僕のやっているA5用紙を埋める方法であれば、10~15分で書き終えてしまうので、毎日続けても苦になりません。

ただ、もっと書きたい人もいるでしょうし、A5用紙1枚ですらシンドイ方もいらっしゃると思います。

どんな量でも、紙にペンで書く。これが良いのです。

僕自身も、最初からA5用紙1枚だったのかというと、そうではありません。

最初はA4用紙3枚書き、2枚に減り、A5用紙2枚になり、1枚に減りました。そのうち暗記カードくらいになるかも。(減らしすぎ)

ただ、モヤモヤが強い時は別途ほかの紙を使って、追加ジャーナルを書いています。その時は、頭のもやが晴れるまで書くのでA4用紙5枚分くらい書いたりします。

愚痴なんかも大体ジャーナルに書いちゃいます。読み返すものではないので、書いたら捨てます。それでスッキリ!

SNSは誰かに読まれるもの。いや、読んでほしいものなので、投稿するタイミングや文章構成に気を付けて書きます。

でも、ジャーナルは自由なんです。量もタイミングも自由だし、いくらでも変えて良い。自分だけの、その時だけの書く習慣だから。

考えすぎて、モヤモヤが止まらない僕のような方には、是非ともジャーナルをオススメしたいです。

1度やってみて、頭が少しでもスッキリしたら。是非続けてみて下さい。

1年分のジャーナル(2025年4月までの分)
ほぼデスノート

目標を毎日書くことで、人生がそこに向かっている。(気がする)


今年たてた目標。覚えていますか?

うわぁ!これ言ってみたかった!なんか自己啓発系のYoutubeで散々言われますよね!年末と言えばこのセリフ!刺さるぅ!刺さるわぁ!(なんか腹立つ)

いや、決してバカにしているわけではありません。

まじで、書いていない目標は忘れます。

書く以外にも方法はあります。紙に書いたものを貼るでも良し、毎日声に出すでも良し。とにかく、毎日意識すると目標は頭にしみこみます。意識しないと忘れてしまう。

僕も「今年は妻とフレンチコース食べに行くぞ!」って思うだけで、書かずにいたら、2025年も残り1ヵ月。予約してない。やばい。

やはり、考えているだけでは忘れてしまうのです。

一方で、毎日書いている目標は忘れません。なんなら刷り込まれます。

上記のジャーナルと同じノートに、その年の目標&3か月毎の目標を書いているんですが、まず忘れません。

もちろん達成できるかどうかは、その時々で変わります。ただ少なくとも、目標に向かってどうしようかと毎日考えることになります。

そうすると、行動に移せるようになってくる。

ちなみに、僕の2025年に書き続けている目標は「出版」です。

10月から12月。3ヵ月間毎日やることは「5時起き」「笑顔で帰宅」「話を聞ききる」です。

この目標を書くことで、「出版」に向けて今日もコツコツSNS発信をして、5時に起きてフィットネスジムへ通うようになりました。

全ての行動が、直接的に目標達成につながるわけではないかもしれません。

それでも毎日目標を書いて、考えて行動することで、少しずつ目標に近づけている気がします。

ジャーナルの話ともつながってきますが、目標に向かって行動したい方には、目標を毎日書くことも一つの選択肢に挙がってくるかと思います。

ちなみに僕は、ジャーナルの一番上に「人生のスローガン」「今年・来年・10年単位の目標」「3ヵ月毎の目標」「毎日やること3つ」を書いています。


なんかもう……報告書みたいだな。


文字におこせば、大好きな自分でいられる。


SNSに全く興味がなかった僕が、XやnoteなどのSNS発信や、ジャーナルをはじめ、自分自身に起こった変化を書いてきました。

文字を起こすこと、それ自体は簡単なのかもしれません。

でも、書く習慣を続けること。エイヤー!とSNSで発信すること。

それは、誰かに背中を押してもらえなければ、応援してもらえなければ中々出来ないことだと思います。

僕は2年ほど前に、いしかわゆきさんの「書く習慣 〜自分と人生が変わるいちばん大切な文章力〜」に出会いました。

この本の中で、自由に書いていいこと、簡単な言葉で書いていいことを知り、背中を大きく押してもらいました。

そして芋づる式に、エッセイやジャーナルに出会うことが出来、これらは僕の人生を確実に豊かにしてくれています。

また継続するにあたっては、読者の存在がとても大きいです。

妻や娘が、僕の文章を読んで笑ってくれています。沢山の読者の方々からスキやコメントを頂いていますし、これが間違いなく僕の支えになっています。

文字におこすこと。

それ自体は一人で出来ることです。

でも、何度も言うようですが、背中を押してくれる存在があるから始められて、支えてくれる存在がいるから継続できることだと思います。

文字におこせば、自分の世界が変わりました。

文字におこすことで、いつでも大好きな自分に戻ってくることが出来ます。

これまで通り試行錯誤しながら、この先5年10年と続けていけば、さらに僕は飛躍していくと思っています。

書くきっかけをくれて、支え続けてくれる全ての方に感謝します。


そしてこの文章も、誰かの背中をほんのちょっと押したり、何かを書き始めるきっかけになれば嬉しいです。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

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なおキち 使途:妻と娘のおやつ代