感じるではなく「感じ切る」を意識すると感情を受け取りやすくなる
今年から湯舟に浸かったあと冷水シャワーをするようになった。
最初は、水を足にかける瞬間が苦手で、ぬるま湯をかけていたのだが、だんだん慣れてくる。
この習慣ができてから、身体感覚が鋭敏になった。肌が冷たい風を受けたときに、これまでよりも「今、風を感じている」という感覚が強くもてるようになった。
裏を返すと、これまで感じた方がいいものを感じないように蓋をしていた、ということになる。
昔から感情を感じるのが苦手で、逃避したり、回避する癖があった。つらいのにつらくないと言ったり、そういう表情でごまかしたりし続けたのだ。
もう十五年以上前の話だが、当時、恋愛に相当苦しんでいた。こちらの思いが一向に伝わらず、相手の行動が変わらないことに深い悲しみを抱えていた。
ある日、直接、相手にそのことを言葉で伝えようとしたとき、涙がとまらなくなった。堰を切ったように涙が流れ、嗚咽がとまらない。このとき、自分がどれだけ負の感情を抑圧していたのかを知った。泣き切ったとき、爽快感があった。
あなたがもし多忙の渦中にいるのなら、感情を感じ切れていないかもしれない。
多忙は怠惰の隠れ蓑という言葉が示す通り、忙しいと問題から目を背けられる。しかし、未解決の問題は澱のようにあなたの内側で残ったままだ。
感じ切るには、自己対話できる余白が必要になる。全速力で駆け抜けながら、哲学的な命題に挑むことなど不可能である。
ゆっくりとした呼吸をしながら、自分の内側に目を向ける。こうした内省の習慣が、あなたの人生をやがて豊かにする。
我々は、良くも悪くも環境に適応する。テクノロジーにまみれた社会は、身体感覚をすごい速度で鈍らせる。スマホ中毒の人間の行く末は、何も感じられない感覚鈍麻地獄だ。
AIが台頭したあと、残るのは身体知だというのが、多くの人の結論である。考えるから人間ということもできるが、考えすぎるとつい自分に備わった身体がおろそかになる。
思考を一時的にとめて、感覚に委ねる。
そこに今のあなたの課題解決の手がかりがあるかもしれない。
