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ドーパミンの分泌が減少すると、本来の生き方が定まる
刺激的な日々がずっと続くと思っていた。
365日仕事をして、合間には飲み会を入れ、ときには朝まで飲み歩き、数時間寝て、また仕事に戻る。ぼうっとした頭を起こすため、無理やりブラックコーヒーをガブ飲みする。そんな毎日だった。
毎日を祭りのように過ごせば、そんなことを考えたこともある。
ワーカホリック時代が少し懐かしいのは、あの頃、僕の脳内では快楽物質がドバドバ出ていたからかもしれない。
報酬系と呼ばれるドーパミンなどの快楽物質は、人によって分泌量が異なる。
依存がドーパミンによって引き起こされるように、我々は快楽を求めて行動しやすい。
長年生きていると、刺激ばかりが人生じゃないと気づく。
凪のような穏やかな状態も悪くないことを知る。
刺激の最も怖いところは、何かを忘れるために特定の行動を取ってしまうことだ。
人間の心の器を広げるのは、静かな時間に行う自己対話だ。
苦しいときほど、丁寧な人生の棚卸が必要となる。
もしあなたが予定を詰め込んだり、刺激過多の日々を送っているのなら注意が必要かもしれない。
心の痛みを忘れるためにドーパミンを無意識に求める。
痛みを避け続けていることは、人生の課題に背を向けるということだ。
刺激的な暮らしの先に何があるのかは、自分と向き合うことで必ず見えてくる。
半生を振り返った際に、つくづく感じるのは手痛い体験からしか人は学べないということだ。
底をつき、ひとり痛みと向き合い手に入れた教訓。
それこそが、その人の人生に大きな豊かさを与える。
人生は四季のように移ろう。
ずっと常夏のような生き方はできない。
そよ風そよぐ刺激の少ない日々の中で、あなたの今後の指針が見つかるかもしれない。
