今も焼きつく秋の風景「初めてコマなし自転車で、坂を下った日」
先日、こんな場面に出くわした。
僕が自転車に乗り家を出ると、5歳か6歳くらいのかわいい男の子が自転車を運転している。
頭にヘルメット。
どうやらコマなし自転車に乗って、まだ間がないようで、左右のふらふらと揺れながらどうにか前に進む。彼の前方には、自転車に乗ったお母さんがおり「大丈夫かな?」と心配そうに時折、息子の方を振り返る。
男の子がついに叫んだ。
「怖い。ママ、僕もう無理!」
お母さんは、やれやれという表情で「ゆっくりでいいから、ついて来たらいいのよ」と促し男の子をいざなった。
頬が緩む光景だった。
彼を見ていて、過去の自分を思い出す。
僕は今も昔も怖がりだ。
関西弁で臆病な人間をビビリと称する。間違いなくビビリの部類に入る僕は、コマなしと呼ばれる補助輪なしの自転車に乗るのも少し遅かった。
小学校二年くらいだったと記憶しているが、母親とコマなし自転車に乗る訓練をし、なんとかギリギリ乗れるようになった。
しかし気を抜くと、重心がぶれ左右のどちらかにバタンと倒れてしまう。コマなしを完全にマスターしたとは言い難く、まだ危うい状態だった。
なぜ、そう思ったのかわからない。
ある日、坂の上からコマなし自転車で一気に下ってみることにした。
当時、僕が住んでいた地域は新興住宅街で、坂だらけだった。
家を出て正面にすぐ坂がある。自転車を押して坂を登る。左折すると長い下り坂。
僕はコマなし自転車にまたがると「ええい!」と、そのまま坂を下った。
ぐんぐん加速し、風を切る。
内臓がせりあがるような感覚。
恐怖もあったが、それ以上に解放感があった。
坂を下り続ける自転車は少しもブレることなく、一直線に突き進む。
井戸端会議をする同級生の母親たちの姿が視界に入る。
「危ない!」
ブレーキをかけても間に合いそうにない。
しかたなく「ごめんなさい!」と叫びながら、井戸端会議の隙間を通り抜けた。
同級生の母親たちは「なんやの?」「危ないわ」と眉間にしわを寄せているのが気配でわかる。
彼女たちを危険な目にあわせて申し訳なかった。しかし、その日を境に僕はコマなし自転車を意のままに操れるようになった。
コマを外すには勇気がいる。何度も転びながら自転車を自在に操れるようになる過程は、人間の自立によく似ている。
余談だがジブリアニメの「魔女の宅急便」のキキが乗るホウキは、コマなし自転車のメタファーだ。
そう言えば、「キッズ・リターン」「時をかける少女」など、青春を描いた物語にはよく自転車が登場する。
あの速度とペダルを漕ぐという行為がいいのだろう。
自転車に乗るのは、人生に似ている。
補助輪がないと生きられない時期もあるが、コマを外した瞬間、恐怖や不安と同時に自由が手に入るのだ。
