【執着と解放】ひとり親の僕が、ネガティブ感情を出し切ったあと、得られた大切な気づきとは?
今回は、僕が書くのに抵抗があった話を思い切って書く。
最初にお断りしておくが、重たい話である。読み進めてもさほどカタルシスがないかもしれない。
個人的な独白といった内容なので、そう言った話が苦手な方はこの先を読み進めないことをおすすめする。
僕が小学校高学年のときに父親が病気で亡くなり、家族のバランスが崩れた。中学生だった兄が非行に走り、人の目を引くような目立つ身なりをしないと生きていけない、歪なナルシストになってしまった。
今思うと彼の本質は心優しい人間である。しかし父の逝去以降、人が変わったように乱暴で横暴な人間になったのは、それだけ父親を大切に思っており、喪失感が大きかったからだろう。「この悲しみは誰にも言えない」と、心に蓋をしてしまったのだ。
男は何かと強がる。
悲しければ悲しいだけ悲しんで喪を受け止め、目いっぱい感情を吐き出してて、次に進めばいい。
ただそれだけなのに、それができない人が多い。
自己開示が苦手で、強がって大きく見せようとする。
「俺は平気だ」と強いふりをするのだ。心の内側は深く傷ついているのに。
自己愛化する人の内情は、こういったものではないだろうか。
そのあと、母は再婚することなくずっとひとり親家庭で僕は育った。幸い父が残してくれたお金があり、困窮することはなかったが、明らかにうちは家庭としてバランスをどんどん崩していった。
父の死により、兄も僕も、どこか歪みが生じてしまったが、ふたりとも法を犯すような人間にならなかったのは、母が必死で踏ん張って家庭をまとめてくれたからだ。
当時の母は「寝る前の瞬間だけ、ほっとできる」と口癖のように言っていたので、よほど辛かったのだろう。今でもこの過酷な時期を耐え抜き、必死に家族を守り支えてくれた母に深く感謝している。
時は流れ、専門学校を卒業後、僕は社会に出るのが怖くなり、数年間実家に引きこもるようになった。
工場などで短期バイトをしては、数か月何もせずに実家で人と会わない暮らしを送る。完全に昼夜逆転しており、夕方に起床していたこともあった。
その後、一念発起した僕はバイトでお金を溜めてひとり暮らしを始める。
何か書いたり、表現したりということが好きだったので、それを仕事にできないかととなるライタースクールに通うことに。
そこの講師は、兄を凌駕するような自己愛者だった。
ショートスリーパーで仕事をバリバリするタイプ。仕事の実績は抜群で、知識も豊富である。ただし人間的に何か欠落しており、それを必死に埋めようと回遊魚のように動き続けているようにも見えた。恐らくそれは誰かから承認されたいという、他人軸の行動だった。
多くのカルト宗教家がそうであるように、こういったタイプの自己愛者ほど怪しい魅力を放つ。言葉巧みに人を心理操作するケースが多い。バットマンのジョーカー人気が示しているように、毒のある言動は人を魅了する。彼はある種、化け物のようになったことで、より万能感を高めた。客観的に見れば、それは闇落ちしたに過ぎないのだが。
ライタースクールは、彼に教えを乞うという名目がありつつも、実質はその自己愛講師を囲む、歪んだ構造になっていた。
このライター講師の口癖は「いつも俺は人に裏切られる」だった。しかし彼の行動を見ると、人がいなくなるような言動があまりに多く「去るべくして人が去っていく」という印象である。
寄りかかるものが欲しかった僕は、この講師にまんまとマインドコントロールされてしまい、数年は言われるがまま従い続けた。
しかし、あるときに「これはおかしい」と感じ始めて、そのスクールと講師と距離を置いた。
マインドコントロールの経験者ならわかっていただけると思うのだが、自分に影響を与えたものから離れるときに、とてつもない恐怖や不安に襲われる。僕も例外ではなかった。
そのあと、仏のような講師の方とのご縁に恵まれ、細々とだが「書くことを生業にする」というのができるようになり今に至る。
実は、マインドコントロールを仕掛けた講師から物理的に離れても、数年間、僕は彼のことを考え続けていた。
そして「またあのスクールに通おうかな」「またあの先生と話がしたい」と思うことも、しばしばあった。
しかし、ある瞬間、腑に落ちた。
僕は彼に父親を求めていたのだと。
亡くなった父の代わりになってほしいと、無意識に強く期待していた。
なので、彼から褒められるとドーパミンがドバドバ出たし、反対に批判されると激しく落ち込んだ。
この自己愛講師は、基底欠損と呼べるような他者への不信を根底に抱えており、ずっと自分から離れない人間を欲していた。妻子との離婚も、生涯つきまとう彼のトラウマだったのではないか。
彼と僕は共依存のような、歪な関係だったのである。
この事実がわかってから、僕は憑き物がとれたかのように軽くなった。
あの講師に執着していたのは僕だったし、彼もまた僕に執着していたのだろう。
歪んだ執着を抱えた者同士の関係が、上手くいくはずもない。
長年かかったが執着の正体が「亡き父」だったことを知り、僕は自分の家庭に欠けていたピースが何かを考えるようになった。
そして、自己愛化してしまった兄が、ただの尊大な人間ではなく、心に深い傷を抱えながらもそれを開示できない脆弱さを持つ人であることも理解した。
マインドコントロールを仕掛ける講師と、兄はどこかよく似ており、一時期、非常に疎ましく思ったり、憎悪したものだ。
しかしその心理的なメカニズムがわかった途端「なんだ、そうか」と拍子抜けした。まさに「すとん」という感じである。
このnoteを読んでくださっている方も今、まさに執着で苦しんでおられる方がいると思う。
その正体を突き止めるまで、かなり時間がかかるかもしれない。
あなたがあなたを今より深く理解する過程で、たくさんのネガティブ感情に向き合い苦しむはずだ。
しかしである。憎しみを抱いている相手というのは、あなたに必ず大切なことを教えてくれる。
「なぜ、私はここまでこの人を許せないのか?」という答えを見つける内省的な作業は、きっとあなたの人生を豊かにするにちがいない。
もちろんその行為は苦しく、途中で投げ出したくなる気持ちもよくわかる。
だがその先に進めたとき、あなたは人生の解釈を変えられるだろう。そして前を向き足取り軽く進めるはずだ。
生きることは執着という鎖の解き方を、ゆっくり自力で見つけていくことかもしれない。
最後まで読んでくれてありがとう。
