世界は「悪意に満ちている」のではなく「愛で満ち溢れている」と気づけた人だけが、たどり着ける世界
いじけて逆恨みをし、こじれにこじれていた頃、「社会など信頼できるか」と日々、憤っていた。
心を侵害されないよう、侵略されないよう高い高いプライドという名の防波堤を作り、無表情でやり過ごす。
今、思い出してもつらい。
この頃の僕は、不信の真っただ中で社会に出ることを怖がり、「世界は悪意で満ちあふれている」と本気で思っていた。
ときは流れ、今やおじさんの中のおじさんになったわけだが、悪意ではなく愛を感じることの方が圧倒的に多い。
縁あって、ガイドヘルパーの仕事を少しさせてもらい、最も驚いたのは、世間の人がいかに優しく温かいという事実だった。
業務で帯同している際に、ハンディキャップがある人への理解と配慮をよく感じる。
もちろん世界が変わったわけではなく、僕の認識が変わっただけ。
幸せになりたければ、気づくことだけでなく、受け取ることも大切である。そして、自らが愛情を示すことも大事だ。
滞る人は、好循環から取り残される。それは、恐れや不安から凝り固まっているからにちがいない。
口を開けて、愛をくれ、愛をくれと一方的に叫んでいても、決して上手くいかない。
悲しいかな、まだ愛が見えない人もいるようだ。これは、人柄の問題ではなく状態の話かもしれない。
そういう人ほど、自分がどう生きたらいいのか模索している最中かもしれない。つまり、まだゆとりがないほど、がむしゃらなのだろう。
もし今のあなたが上記に該当するなら、そんなあなたも悪くない。ただし、意地を張り続けて、人を傷つける鎧を武装する前にしてほしいことがある。
それはあなたから心を開くこと。受け身が癖づくと、心を開いてくれる人の存在を待つようになるが、そこに期待するのはいけない。
まずあなたが自己開示した方がいい。
自分がいかにちっぽけだと腹落ちした途端、優しい人が現れ出す。
しかし、実は最初からそこにいた。あなたの周囲にいたし、あった。
あなたが一生懸命すぎて、気づくことができなかっただけである。
空気の中に、いろいろな要素が入り混じっているように、この世界は愛も悪意も混在している。
しかし、どちらを受け取るかは間違いなくあなたが選んでいる。
「最初からそこに愛があった」と気づけるようになった人は、その先、ずっと幸せである。
何があろうと、ずっとずっと。
