もうこの世にはいないかもしれない先輩に、もし会えたら「ありがとう」を伝えたい
ハードボイルドな男だった。
眉間に刻まれた深い皺。いつも書く内容は命令調。
教壇のホワイトボードに「課題を提出したやつから帰れ!」と書いたこともあった。
最初は「何だ、この人⁉」といった嫌悪や戸惑いがあったものの、気づけば僕は彼に魅了されていた。
専門学校へ入ったものの、創作の世界で生きる難しさを思い知った僕は「どうすれば、現実的に食べていけるんだろう?」という不安を抱えていた。
内情をぶっちゃけると、創作系の専門学校へ入る大半の人間は「やることが見つからず、なんとなく入った」というタイプばかり。
全体の1割くらいはなんとかなりプロの世界へと羽ばたいていくが、あとの9割は数年で数百万円というお金をドブに捨てる。
うちはひとり親だったこともあり「親にこれだけお金を出させて、なんともなりませんでした…では申し訳が立たない」という気持ちもどこかにあった。
今思うと完全に「井の中の蛙状態」なのだが、まず専門学校の教室で「こいつ面白いものを書くぞ」という印象を与えねばと考えるようになった。
まず念頭に置いたのはインパクト。
受け狙いと言ってもいいのだが、提出する文章課題ではみんなが書くであろう内容の真逆を狙い、たくさんの提出物の中で奇抜なものを出して講師に注目されようと目論んだ。
件のハードボイルド男性は、講師の助手である。冬でも黒のランニングシャツを着た眼鏡でロン毛という出で立ちの男性だった。
近づくと殴りかかってくる剣呑な雰囲気があり、小心者の僕は彼を避けていたのだが、ある日、彼がいつもタバコを吸っている螺旋階段のスペースへ呼び出された。
殴られるのかな?
ドキドキしながら呼び出された場所へ足を運ぶ。警戒心を隠さない僕は、離れた場所から彼を黙って見つめた。
彼は仏頂面で、もっと近くへ来いと手招きしながらタバコをくわえていた。
「前から言いたかったんやけどな」
ここで言葉を切られたので、僕の緊張は最高潮に。
「お前の書く作品、俺ええと思うねん」
一気に緊張が緩む。
「お前おとなしいけど、作品ではかぶいてるな。そういうやつ好きやねん」
彼はどこか照れくさそうで、目を合わせずに俯きながら言った。
僕はちょけた作品ばかりを出していたので、内心「怒られるのかな?」とかなり心配していた。
このときの会話をきっかけに彼と打ち解け、よく飲みに誘ってもらうようになる。自宅に招かれたりもした。
高校時代はほとんどぼっち状態で、競馬場に逃げ場を求めていた僕が、専門学校に入り初めて夜通しでお酒を飲む経験をしたのも彼の家でだった。
当時は平成だったが、無頼派を絵に描いたような感じでダンディズムがあった先輩。当然、女性からの人気は高く、かなりモテていた。
でも「俺は男とつるむほうが楽しいんや」と、かわいがる後輩を引き連れ酒を飲んでいた。非常に男臭い人だった。
そして僕はなんとなく「この人、長生きできないかも?」と感じていた。
そのあと、ある事件を起こして彼は突然、行方をくらます。その後、どこで何しているのかはわからない。
ある繁華街ですれ違ったという噂もあったが、定かではない。
彼との出会いがなかったら、人と酒を酌み交わすということをずっと避けていたかもしれない。
彼に家に招かれ夜通し創作の話をして、生まれて初めて朝に帰宅したときのことは今も鮮明に焼きついている。
これから出勤するサラリーマンの人たちに挟まれながら「朝なのに、自分だけこれから家へ帰るのか」と思ったら、妙な高揚感を覚えた。
彼は今、どこで何をしているだろう?
もしかしたらもうこの世にいないかもしれない。それでも会えたら「ありがとうございました」と伝えたい。
彼との出会いがなかったら、僕はもっと殻にこもる暮らしを若いうちに選んでいたにちがいない。
