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嫌いな人に、心まで渡さないために

5年ほど前の話である。

前の部署で、私はかなり厳しい上司と当たった。

厳しいだけなら、まだよかったのかもしれない。
だが、その人の言葉には、どこかねちっこさがあった。

「君はメッセンジャーボーイだ」
「マニュアル通りにしか動けないやつはいらない」
「それじゃロボット君だね」

そんな言葉が、平然と飛んでくる部署だった。

今なら、少し距離を置いて振り返ることができる。
だが当時の私は、かなり精神的に追い込まれていた。

ちょうどその頃に上の子が生まれ、私は育休を取ることができた。
そして育休から復帰するタイミングで、部署を移ることができた。

「子どもが生まれると厄が落ちる」

そんな言葉を聞くことがある。
正直、昔はあまり信じていなかった。

でも、自分に関しては本当にそうだったと思っている。
私は第1子に、心を救われた。
本当に生まれてきてくれた時点で、親孝行な娘だよ。

この記事は、職場の人間関係で心を削られている人へ。
そして、嫌いな相手のことを考え続けて、休日まで消耗してしまう人へ向けた話です。

理不尽な人間とのやりとりは疲れる

その上司は、客先へ提出する書類の承認者だった。

書類を上司へ送付すると、毎回コメントが付く。
もちろん、コメントそのものが悪いわけではない。
書類を良くするための指摘なら必要である。

だが、問題はその進め方だった。

コメントを修正して再提出する。
すると、今度は別のコメントが出てくる。
それを直して再提出する。
すると、また新しいコメントが出てくる。

そんなやりとりが、3回、4回と続くことは珍しくなかった。

しかし、客先に提出して承認を得なければ、仕事は前に進まない。
一方で、納期のお尻は決まっている。
そこから逆算して、準備も段取りも進めなければならない。

提出が遅れて困るのは、上司ではない。
実際に現場で詰まるのは、私だった。

だから、上司に逆らうことは難しかった。

上司の質問はいつも雑で省略された内容なので
「?」になることがある。
メールで意味を聞いても頓珍漢な回答が返ってくる。

嫌いな相手なので、できれば電話もしたくなかった。
電話をすると、30分ほどねちっこく嫌味を言われることもあった。

ただでさえ時間がない。
その時間が、どうしても非生産的に感じられた。

この世の中には、本当にそりの合わない人間がいる。
私はその時、身をもって思い知らされた。

復讐心を燃やしていた自分

当時の私は、まだアドラー心理学を知らなかった。
今振り返ると、自分の心の整理が未熟だったと思う。

相手を屈服させたい。
言い負かしたい。
いつか見返してやりたい。

そんな復讐心を、静かに燃やしていた。

だが、これは大きな間違いだった。

嫌いな相手のことを、なぜ休日まで考えなければならないのか。
夜になっても、なぜその人の言葉を思い出して腹を立てているのか。

冷静に考えれば、それこそ相手の思うつぼだった。

その人は目の前にいない。
実際には、今この瞬間、私に何もしてきていない。

それなのに私は、頭の中でその人の言葉を再生し、自分で自分を傷つけていた。

無視を決め込もうとしても、仕事上はその上司を通さなければ前に進まない。
距離を取りたいのに、完全には切り離せない。

その状態が、かなり苦しかった。

人に話したことで、少しだけ道が開けた

細かい経緯はもう忘れてしまった。
ただ、ある時、私は人事部にぼそっと文句を言った。

すると、ありがたいことに会社の上の立場の人も話を聞く場を設けてくれた。

そこで、こう言われた。

「あぁ、あの人、難しい人だよなぁ」

その一言に、少し救われた。

自分の受け止め方だけがおかしいわけではなかった。

その場で、私は別部署に移りたいと話した。

その後、妻が安定期に入り、私は幸いにも育休を取ることが出来た。
そして育休明けに部署異動となり、現在の部署で働き、今に至る。

私はあの時、鬼のように感じていた上司から解放された。

本当に、第1子には救われたと思っている。

今の部署は、とても風通しが良い。
一方で、かなり激務の部署でもある。

そして、まもなく第2子が生まれる。
私はまた育休に入る予定である。

同じ部署の皆さんには、ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
それでも、私自身はまたも子どもに救われたような気持ちがある。

あの頃の自分を振り返りながら、いかにストレス社会を乗り切るか。
今の私なりの考えを、ここに記録しておきたい。

またいつか、ストレスフルな時が来た時のために。

1.他者の期待を、自分の人生の目的にしない

まず大前提として、自分にとって一番大切なのは、自分の人生である。

もちろん、ルールを無視していいという話ではない。
社会の中で生きている以上、責任も役割もある。
仕事であれば、守るべき約束もある。

だが、他人の期待に応えることを、自分の人生の目的にしてはいけないと思う。

誰かに認められたい。
誰かに怒られたくない。
誰かに失望されたくない。

その気持ちは分かる。

でも、他人の言うことに従った結果、自分が背負う責任やリスクを、その人が代わりに背負ってくれるわけではない。

「あの人が言ったからやる」

ではなく、

「私はこう思ったからやる」

そう言える状態でいたい。

自分の人生の舵取りを、他人に握らせない。
自分の手で持つ。

その代わり、自分で決断したことには、自分で責任を取る。
その覚悟も必要である。

他者の期待を無視するというより、他者の期待に人生を明け渡さない。

これは、かなり大事なことだと思う。

2.相手は変えられない。変えられるのは自分の行動だけ

相手と対立した時、人はイライラする。

その理由の一つは、相手が自分の思い通りにならないからだと思う。

なぜ分かってくれないのか。
なぜそんな言い方をするのか。
なぜこちらの事情を考えてくれないのか。

そう考えるほど、腹が立ってくる。

だが、世の中のほとんどのことは思い通りにはいかない。
特に、他人は思い通りには動かない。

RPGの主人公のように、世界は自分を中心に回ってくれる訳ではないのだ。

だからこそ、変えられることと、変えられないことの線引きが必要になる。

変えられないものを、強引に変えようとすると摩擦が生まれる。
相手の性格、言葉遣い、感情、評価。
そこまで自分でコントロールしようとすると、心が削られていく。

アドラー心理学には、「課題の分離」という考え方がある。

自分の課題と、相手の課題を分ける。
自分ができることと、相手が決めることを分ける。

私ができるのは、書類を整えること。
必要な説明をすること。
納期から逆算して段取りすること。
自分の態度や行動を選ぶこと。

でも、相手がどう受け取るか。
どんな言葉を返してくるか。
どこまで納得するか。

それは、最終的には相手の課題である。

「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることはできない」

そんなことわざがある。

相手のために手を尽くすことはできる。
でも、それを受け取るかどうかは相手次第である。

私にできるのはここまで。
それ以降は相手の課題。

そう割り切ることは、冷たいことではない。
自分の心を守るために必要な線引きなのだと思う。

3.相手の感情まで、背負う必要はない

些細なことで怒る人がいる。
常に不機嫌な人がいる。
愚痴ばかり言っている人がいる。

優しい人ほど、そこでこう考えてしまう。

「私のミスで、この人を怒らせてしまったのではないか」
「自分のせいで、空気が悪くなったのではないか」

でも、少し待ってほしい。

相手が怒ることと、自分に改善点があることは、分けて考えた方がいい。

もちろん、自分にミスがあれば直せばいい。
説明不足があれば補えばいい。
仕事の質に問題があれば改善すればいい。

だが、相手が怒鳴る必要はない。
嫌味を言う必要もない。
不機嫌をまき散らす必要もない。

ミスは、怒らなくても指摘できる。
改善は、不機嫌にならなくても求められる。

怒りには、相手を動かすための手段という側面があると思う。

威圧すれば、相手は黙る。
強い言葉を使えば、相手は従いやすくなる。
不機嫌を出せば、周囲が気を遣う。

だから、怒りは単なる感情ではなく、人を支配する道具として使われることがある。

そう考えると、相手は怒りという道具を使ったのだから、怒らせたと自分の責任のように背負い込む必要なんて全くない。

相手がどのように感情を表現するか。
それは相手の課題である。

自分にできるのは、自分のミスを認めること。
必要な改善をすること。
そして、相手の感情まで背負わないことである。

4.正しさで裁かない。戦いから降りる

世の中には、正解のないことがたくさんある。

意見は人の数だけある。
立場が違えば、見える景色も違う。

それなのに、自分が正しいと主張しすぎると、相手からも同じ言葉が返ってくる。

「自分の方が正しい」
「いや、こちらの方が正しい」

この戦いは、かなり疲れる。

プライドが高い人は、自分を否定されると強く反発する。
こちらも負けじと言い返す。
そうなると、いつの間にか仕事の話ではなく、どちらが上かを決める戦いになってしまう。

これは危険で、終わりのない戦いである。

仮に相手を言い負かしたとしても、本当の意味で解決するとは限らない。
むしろ、相手の中に恨みだけが残ることもある。

だから、疲弊するくらいなら戦いを降りた方がいい。

これは負けではない。
大人の戦略である。

たとえば、道端で知らない人に絡まれた時、腹が立つことはある。
でも、相手の土俵で戦う必要はない。

相手がこちらを挑発してきたとしても、その挑発に乗らなければ戦いは始まらない。

相手を打ち負かす必要はない。
相手の土俵に乗らない。

それだけで、自分の時間と心は守れる。

興味のない人間に、人生の大切な時間を費やす必要はない。
自分にとって本当に利のある方を選べばいいのだ。

イライラした時、私は散歩に行く

今でも、私はイライラすることがある。

きれいごとだけで心が整うほど、人間は単純ではない。
理不尽なことがあれば腹は立つ。
嫌な言葉を思い出して、怒りがよみがえることもある。

そんな時、私はテレワーク中であれば散歩に行く。

その時に大事にしている言葉がある。
仏教にある「正見」という言葉である。

私の理解では、正見とは「物事をありのままに正しく見ること」だ。

散歩をしながら、心の中の言葉をいったん消してみる。

今、目の前に見える景色を見る。
周りに聞こえる音を聞く。
手に触れる風の感触や温度に意識を向ける。
匂いを感じてみる。

今この瞬間を、五感を使って全身で感じてみる。

そうすると、一つ確実に実感できることがある。

「あ、あのイライラは、今ここには存在していない」

今この瞬間、物理的にその人は私に何もしてきていない。
それなのに私は、頭の中でその人を再生し、自分で怒りを作り出していた。
そうか、この怒りは私の課題なのか。

もちろん、過去に言われた言葉が消えるわけではない。
嫌だった事実が、なかったことになるわけでもない。

それでも、今この瞬間に起きていることと、頭の中で再生していることは違う。

そこに気づけるだけで、怒りは少し弱まる。

これは瞑想に近いものかもしれない。

今、感じられるものを、そのまま感じる。
そこに集中すると、頭の中の妄想が少しずつ静かになっていく。

思い返してみてほしい。

まだ言葉も知らなかった頃。
心の中で、あれこれ自分に話しかける声がなかった頃。
ただ、目の前の世界をそのまま感じていた幼い頃。

あの頃の自分は、今ここにないことで、ここまで苦しんではいなかったはずだ。

今この瞬間を一生懸命に生きる。
今ここに存在している自分を、少し離れたところから眺めてみる。
怒っているなら、怒っている自分を認める。
悲しいなら、悲しい自分を認める。

感情を消そうとするのではなく、あるものとして受け入れる。

正見「物事をありのままに正しく見る」

それだけでも、ストレスはかなり軽くなる。

自分の価値は、自分で決める

私は、承認欲求を満たす必要はないと考えている。

他人からどう思われようが、私の価値は私が決める。

ただし、これは「自分は何をしても価値がある」と開き直る話ではない。

私にとっての価値判断は、自分が人に貢献できたと感じられたかどうかである。

ここで重要なのは、「人に貢献できたこと」ではない。
「人に貢献できたと感じられたかどうか」である。

なぜなら、自分の行動が相手にどう届いたかは、最終的には相手の課題だからだ。

自分では役に立てたと思っても、相手がそう受け取らないこともある。
逆に、自分では大したことをしていないつもりでも、誰かの助けになっていることもある。

だから私は、自分に問いかける。

今日、自分は誰かのために誠実に動けたか。
自分なりに、少しでも何かを良くしようとしたか。
自分が大事にしたい方向に、ちゃんと舵を切れたか。

そこに「はい」と言えるなら、それでいいのだと思う。

他人の評価は参考にはなる。
でも、それを自分の価値そのものにしてはいけない。

嫌いな人に、心まで渡さない

あの頃の私は、嫌いな上司のことを何度も思い出していた。

休日も、夜も、頭の中でその人と戦っていた。
言い返す言葉を考え、見返す方法を考え、復讐心を燃やしていた。

でも今なら分かる。

それは、自分の大切な時間を相手に渡している状態だった。

嫌いな人に時間を使う。
嫌いな人に心を使う。
嫌いな人に人生の舵を握らせる。

これほどもったいないことはない。

理不尽な人間に勝つ必要はない。
相手を変える必要もない。
相手を裁き切る必要もない。

必要なのは、自分の人生を相手に明け渡さないことだ。

他者の期待を、自分の人生の目的にしない。
相手を変えようとしすぎない。
相手の感情まで背負わない。
正しさで裁かず、戦いから降りる。
そして、今この瞬間に戻ってくる。

私はまだ完璧にはできない。

今でも腹は立つ。
今でも嫌な言葉を思い出す。
今でも、心がざわつく日はある。

それでも、昔よりは少しだけ立ち止まれるようになった。

この怒りは、自分の人生に必要な怒りなのか。
この戦いに勝つことは、自分の幸せにつながるのか。
この人のことを考え続けることに、私の人生の利はあるのか。

そう問い直せるようになった。

ストレス社会を完全に避けることは難しい。
理不尽な人と一切関わらずに生きることも、おそらくできない。

それでも、自分の心を守る方法はある。

逃げることは、負けではない。
距離を取ることは、甘えではない。
相談することは、弱さではない。
戦いから降りることは、大人の戦略である。

そして何より、自分の人生の舵は、自分で握っていい。

あの頃の自分に、今ならそう伝えたい。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

人間関係で心を削られることは、誰にでもあると思います。
この記事が、嫌いな人に心を持っていかれそうな時、自分の人生に少し戻るきっかけになればうれしいです。

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