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フォロワー200人。嬉しかったのは、数よりも人の温かさだった

フォローしてくださった方、スキを押してくださった方、コメントをくださった方、そしてたまたま記事を読んでくださった方。

まずは、本当にありがとうございます。

noteを始めてから約50日。
6月24日に、フォロワーが200人を超えた。

note初投稿が5月9日。
フォロワー100人達成が6月5日。
そして、200人達成が6月24日だった。

もちろん、フォロワー数だけがすべてではない。
それでも、何の実績もない普通の会社員が、自分の言葉で文章を書き始めて、それを読んでくださる方が少しずつ増えていったことは、素直にうれしかった。

現在の状況を、自分への記録として載せてみる。

100ビューを超える記事も少しずつ出始めた。
スキを押してもらえる記事もある。
コメントをいただく機会も増えてきた。

ただ、今回書きたいのは、
「50日でフォロワー200人になりました」
という達成報告そのものではない。

数字の向こうに、読んでくれる人がいる。

そのことを、以前より強く感じるようになった。
そして、それが一番うれしかった。

最初は、公開ボタンを押すのも怖かった

思い返せば、初投稿の時は、公開ボタンを押すのも正直少し怖かった。

こんな個人的な言葉を、まだ整っていない文章を、見知らぬ誰かに読まれることにためらいがあった。

何の権威もない。
副業も始めたばかりで、大した実績もない。
残業に日々追われて、余裕もない。

そんな普通の会社員が記事を書いたところで、誰も興味を持って読んでくれないかもしれない。

周りは気にしない。
自分のために記事を書く。

そう言いながら、本当は完全に無反応だった時に落ち込まないための保険をかけているだけではないのか。

心の奥底で、そんな不安が全くなかったと言えば嘘になる。

それでも、半ば勢いで一本目の記事を投稿した。

完全に自己満足かもしれない。

それでも、本業が忙しい中で深夜に書き続けたこと。
ここまで三日坊主にならずに継続できたこと。
そして、少しずつ読んでくださる方が増えてきたこと。

それが、自分の中で小さな自信になっている。

嬉しかったのは、数字の向こうに人が見えたこと

本当に嬉しかったのは、フォロワー数が増えたことだけではなかった。

その数字の向こうに、読んでくれる人がいる。
そして、記事の内容に少しでも反応してくれる人がいる。

そう感じられたことだった。

潮目が変わったのは、コメントだった。

100人の頃は、コメントはほとんどなかった。
スキだけでも十分嬉しいが、相手の顔は見えない。

ところが200人に近づくにつれて、コメントをいただくことが少しずつ増えてきた。

「この部分、わかります」
「私も同じことを考えていました」

そんな短い言葉の向こうに、たしかに誰かがいる。

その手応えが、数字の何倍も嬉しかった。

フォロワーという数字そのものではなく、その向こうに読んでくれる人がいると感じられたこと。

それが、今回の200人達成で一番心に残っている。

noteには、温かい言葉を書く人が多い

noteを始めて感じたことがある。

noteには、温かい言葉を書く人が多い。
文章も丁寧だ。

成功だけを書くのではなく、迷いも書く人がいる。
正解を押しつけるのではなく、自分の失敗から語る人がいる。
日々の小さな気づきを、きちんと言葉にして残している人がいる。

そして、誰かの言葉に静かに耳を澄ます人がいる。

そういう空気の中にいると、自分も雑な言葉を置きたくなくなる。

読む人を思い浮かべながら、一文ずつ選び直したくなる。

最近は特にそう感じている。

noteは、書く場所であると同時に、読むことで自分が整えられる場所でもあると思った。

会社でも家庭でもない、三つ目の場所

私は、普通の会社員である。

会社では会社員として働く。
家に帰れば夫であり、父親である。

どちらも大切だ。
どちらも自分の人生に欠かせない。

でも、家庭と会社だけで自分の価値が決まってしまうと、時々苦しくなる。

会社でうまくいかない日がある。
家庭で余裕をなくす日がある。
父親として情けないと思う日もある。
夫としてうまくできていないと感じる日もある。

そういう時、自分の価値まで全部なくなったような気持ちになることがある。

noteを始めて気づいたのは、その二つの外側に、自分の言葉を置ける場所ができたということだった。

仕事でも家庭でもない、三つ目の場所。

そこでは、誰かの役割としてではなく、ただ「私」として書くことができる。

それが、思っていた以上に大きかった。

自分の居場所は、ひとつでなくていい

アドラー心理学には、家庭、学校、会社のような身近な共同体だけで行き詰まった時、より大きな共同体に目を向けよ、という考え方がある。

以前は、それを頭で理解しているだけだった。

でも、noteを始めてから少しだけ分かる気がしている。

人は、ひとつの場所でうまくいかない時、人生そのものが失敗したように感じてしまうことがある。

家庭で嫌なことがある。
学校でうまくいかない。
会社で評価されない。
自分の役割をうまく果たせない。

そういう日が続くと、世界がそこだけで閉じてしまう。

でも本当は、世界はもう少し広い。

家庭がある。
会社がある。
友人がいる。
地域がある。
社会がある。
自然がある。
これまで生きてきた人たちの時間の上に、今の自分もいる。

より広い共同体に目を向けることで、狭い共同体の中での悩みは、少しだけ距離を置いて見られるようになる。

自分の価値まで否定せずに、何とかやり過ごせる。
そして、明日に少しだけ希望を持てるようになる。

noteは、文章を通じてつながれる場所である。

自分の居場所は、ここにもある。

このことに気づけただけでも、noteを始めてよかったと思う。

流れていく日々を、少しずつ形にする

私はこれまで、日記をつける習慣がほとんどなかった。

過ぎていく日々の中で、自分が何を考えていたのか。
何に傷つき、何に救われ、何を少しだけ乗り越えたのか。

そういうものは、何もしなければ流れていってしまう。

noteを始めてから、その流れていくはずだったものが、少しずつ形になり始めた。

それもまた、noteを続けてよかったと思える理由のひとつである。

これからも、丁寧に書いていきたい

これからは、新しい記事を書くだけでなく、過去の記事も少しずつ見直していきたい。

タイトルを変えれば、もっと届くかもしれない。
冒頭を直せば、もっと読みやすくなるかもしれない。
サムネを変えれば、目に留まりやすくなるかもしれない。
結論を整理すれば、読後感が変わるかもしれない。

ただ、それは数字だけを追うためではない。

せっかく読みに来てくださった方に、
「読んでよかった」
と思ってもらえる記事を、少しずつ増やしていきたいからである。

フォローをしてくださった方。
何度か記事を読みに来てくださっている方。
たまたま一度だけ読んでくださった方。

その一人ひとりに向けて、これからも丁寧に言葉を残していきたい。

私はこれからも、普通の会社員として、仕事のこと、お金のこと、時間のこと、家族のこと、心のことを、自分の言葉で書いていく。

うまくいったことだけではなく、迷ったことも書く。
かっこいい結論だけではなく、途中の揺れも残す。

その記録が、どこかの誰かにとって、少しでも

「自分ももう少しやってみよう」

と思えるきっかけになればうれしい。

書き続けてよかった。

今は、そう思う。

そして、読んでくださっている方には、改めて本当に感謝している。

いつもありがとうございます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
普通の会社員が、お金・時間・仕事・家族・心の余白について、自分なりに考えたことを記録しています。
もしまた読んでみたいと思っていただけたら、スキ・フォローしていただけるとうれしいです。


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