「死刑熱」
【絞首刑】【死刑】というおっかない文字がデカデカと書かれた本を二冊。ビクビクと怯えながら、図書館のカウンターに持っていった。借りるのを拒否されるか、変な目で見られるかもしれない……そんな気持ちで私の胸は押し潰されそうだった。その場から今すぐ逃げ出したかった。
「はい、二冊ですね」和かな声が聞こえ、私は呆気に取られた。変に気を遣っていたのは私だけのようだ。恥ずかしい気持ちを抱えたまま、私はおっかないタイトルの二冊を脇に抱え、ひと仕事を終えた殺し屋のように図書館を後にした。
そんなにビクビクしながら借りるのなら、そんな本借りなきゃいい。と皆さんは思われるかもしれない。しかし、どうしても借りたかったのだ。【絞首刑】と【死刑】というタイトルの本を。
図書館にはたくさんの【死刑】に関する本があった。何を借りればいいのかパニックになるほどの。【絞首刑】と書かれた本は黒い闇っぽい表紙に、絞首刑をイメージさせる人の首の骨が描かれていた。それになぜか惹かれた。【死刑】の方は白っぽい表紙で、上半分に意味不明な格子が描かれていた。こっちは神っぽい雰囲気がしたので借りることに決めた。
家に帰ってきた時には、借りたことの満足感で満たされ、なぜか幸せな気持ちに浸っていた。ワクワク感が胸の中に広がっていた。とりあえず、早く読みたかった。こういったノンフィクションを借りたのは初めてだし、こんなおっかないタイトルの本を借りるのも初めてだった。
なぜ、そんなにも借りたかったのか? その理由を書いていこう。
本との出会いにも〝運命〟がある。私はそう思っている。
年に一回、そこの図書館で古本市が開催される。図書館の古本やコミック、雑誌などが無料で貰えるという、本好きにはよだれが出るような嬉しい催し。早くから並んで整理券をもらい、決められた時間に行くのだが、知っているタイトルや知っている著者の本を、とりあえず手当たり次第に手に持っていく。いつも帰ってから、たくさん貰いすぎたなぁ〜と後悔する。しかし、新しい本との出会いもあるから、毎年やめられないのである。
その古本市で貰った本の中に、高野和明さんの「13階段」があった。実はずっとずっと気になっていた作品だった。映画化された時から、その奇妙で気になるタイトルが頭から離れなかった。13段ある階段。初めはホラーなのかと思っていたが、ミステリーらしいのだ。
図書館で貰ってきてからしばらく積読になっていたが、ついに私はその本を手に取り、読むことにする。その本が私を知らない世界に連れて行ってくれるとは、その時は知らないままで。
「13階段」を読み終えた時、読む前とは違う自分になった感覚がした。ワクワクとドキドキが止まらない。今まで読んだ本の世界とは異なっていた。ミステリーはたくさん読んでいたし、ヒューマンドラマも好きだが、こんなにも自分の胸に突き刺さる物語はなかった。
罪を犯した青年と、刑務官。二人が協力し合いながら、ある死刑囚の冤罪を晴らしていく——という物語。よくある話かもしれないが、そういった死刑囚や死刑、刑務所や刑務官、冤罪についての作品を今まで読んだことがなかった。
話の初めには、死刑執行のリアルな場面もあり、知らないことばかりで目から鱗だった。死刑について、曖昧でぼんやりとした知識しか持っていなかったんだと気付かされた。
死刑執行のボタンは三つあり、三人の刑務官がそれを押し、誰が執行のボタンを押したのか分からないようになっているとか。
死刑囚には執行の日の朝、突然に告知され、刑場に連行されていくとか。
刑場で最期に、お菓子などの食べ物を好きなだけ食べられるようになっていたり。
絞首刑の執行の瞬間が見られるように、前がガラス張りになっているとか。
そんな死刑に関する知識を、私は「13階段」で知ることとなる。そして、もっと知りたいと思うのである。【死刑】について。【絞首刑】について。【死刑囚】について。
これが、私がおっかない本を借りた理由だ。
ここからは、【死刑】についての様々な本を読んだ私の、思ったこと感じたこと、死刑に関しての考えを書いていく。読んだ皆さんが【死刑】に興味を持ち、少しでも【死刑】について考えてくれたのなら嬉しい。
まずは【死刑囚】について書こう。
日本には現在、約110名ほどの確定死刑囚がいるとされる(2021年10月の情報なので今は前後する)。裁判で死刑が確定すると、被告人から死刑囚となり、絞首による死刑執行施設のある拘置所に収容される。その施設は、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の7拘置所である。
死刑囚は「単独室」と呼ばれる独居房に収容され、広さは約7.5平方メートル。約4.6畳。電車や車の音も聞こえない、空がわずかにのぞくだけの外の景色がほとんど見えない空間。そこで一日のほとんどの時間を過ごす。運動もできるが、両側を壁で挟まれた一人用の小さな運動場でしか行えない。頭上には金網が張り巡らされ、上からのぞき込むように刑務官に監視されている。
よくドラマや映画で服役囚が労務作業をする場面があるが、それは刑務所にいる服役囚だけのようで、死刑囚はその作業をする必要はない。なぜなら、彼らは「執行によって死ぬこと自体が刑である」からだ。だから、労務作業をする必要はないのだ。しかし、民間業者と契約をして、袋張りなどの簡単な作業を房の中で行う場合もある。
彼らは毎日、執行の恐怖に怯えながら過ごしている。いつ自分が「お迎え」に来るのか、神経をすり減らして、魂を削られて。
私は、刑が執行されるまで、毎日毎日怯えながら苦しみながら、そうやって過ごすことが人の命を奪った死刑囚の運命なのだと思っていた。しかし、色々と学びながら、【死刑】というものが【執行によって死ぬこと自体が刑】というのを知り、とても怖くなった。
死刑ではない受刑者たちは、【死ぬ】ことが刑ではない為、刑務所で刑期を過ごすことにより、罪を償える。しかし、死刑囚たちは【死ぬ】ことが刑である為、【死ぬ】ことでしか罪を償うことができないのだ。
そこまでの考えに至った時、【死刑】とは残酷なものとしか思えなかった。今までの私なら、悲惨な事件が報道され、犯人が裁判で死刑以外の刑罰が下された時。どうして、こんなに酷いことをしたのに死刑にならないのだろう。死刑にすべきだ。と思っていたに違いない。
しかし、死刑の実態などを知り、今は死刑というものがすごく怖いので、死刑制度に素直に肯定できない自分がいる。だからといって、否定したいわけでもない。
次は【死刑制度】について。
世論調査によると、日本国民の8割が死刑制度に賛成のようだ。確かに、日本人は死刑に肯定であるように感じる。被害者遺族からの「被告人の極刑を望みます」という声をよく聞くのもある。しかし、被告人に死刑判決が下されたからといって、被害者遺族の傷が癒えるわけではない。なぜなら、殺された被害者は生き返らない。もう戻ってこないのだ。
でも、被害者遺族としては、どうしても被害者の無念を晴らしたいし、被告人を同じ目に遭わせたいと思う。それが死刑へと繋がる。死刑しか被害者と同じ刑罰がないからだ。だから、人は死刑に執着し、死刑に縋るのかもしれない。
果たして、死刑からは何が生まれるのか?
読んだ本の中には、被害者遺族の心情、死刑囚の心情も書かれているのもあり、様々な捉え方、考え方があるのだと感じた。それを一部紹介しながら、死刑について考えてみよう。
(被害者遺族の声①)
「命の尊さを訴える私たちが、死刑を求めてもいいのか。たとえ加害者でも命の重さはある。その命を、私は『奪ってくれ』と言っている。彼らの死刑が確定すれば、いずれ執行される。でも、それじゃあ赦せるか。赦せないんです。謝ればいいのか。そんな問題とは違う。死刑しかない。そっちの気持ちの方がまだ強いんです」
(被害者遺族の声②)
「忌まわしい事件が降りかかってきて、当事者になって、『死刑制度があって良かった』と思った」
(被害者遺族の声③)
「〇〇死刑囚の一日も早い執行を願いつつ、『人が死ぬのを待っている自分でいいのか』と悩んでもいます。ただ一つ言えることは、誰一人幸せにはなっていないということです」
(被害者遺族の声④)
「『今回の事件で、父と母が〇〇死刑囚に殺され、〇〇死刑囚もまた、国家の手によるものとはいえ、人為的に殺されたのだ』という気がしてならない。それでは、死刑ではない方が良かったのかと聞かれれば、そうではない。『何をやっても死刑にならない』という国ではいけないとも思っている」
様々な遺族の気持ちがあるとは思うが、こうやって気持ちを聞いてみると、やはり【死刑】についての疑問や拒否感を感じる。死を望むことがいいのか。そう悩んでいる遺族は多いように感じる。しかし、一方で死刑しかないと強く思う気持ち、死刑があって良かったと思う気持ち、『何をやっても死刑にならない』国ではいけない、という気持ちもある。
確かに、あまりにも残虐で残忍な犯行であるのに死刑にならないのはどうだろうか、とは思う。「死刑に犯罪の抑止効果を期待している」と分析している弁護士もいたり、「死刑制度は社会を守るための刑事政策。国民もその役割を求めているのではないか」という意見もある。死刑制度が社会を守っているのも、被害者遺族を救っているのも確かにその通りだと思う。しかし、死刑囚側の気持ちはだいぶ違うようだ。
(死刑囚の声①)
「死を受け入れる代わりに反省の心を捨て、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。死を持って償えと言うのは、反省する必要はないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です」
(死刑囚の声②)
「本当に心から反省している死刑囚を執行する事で、本当に罪を償うことになるのでしょうか? 罪を背負って生きていく事が、本当の意味での償いになるのではないかと思います。
俺だって家族が殺されたら、犯人を殺したいと思うのが当たり前です。しかし、それでは、『やられたらやり返す』という俺が生きてきた世界と同じです。日々反省し、被害者と真剣に向き合っている死刑囚を抵抗できないように縛りつけて殺すのは、死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないですか?」
(死刑囚の声③)
「命をもって償うべきだとよく言います。例え死んでも償ったとは思わないし、死刑にしたからといっても世間の誰一人として償ったと思っている人はいないと思います。ただ、人を殺した奴は死刑になって当たり前と思うだけです」
(死刑囚の声④)
「どんな理由があっても人を殺してはいけないとよく聞きましたが、それなら、たとえ殺人を犯したものでも死刑にするのはおかしいではありませんか。権力者だけが殺人を許されるのはおかしいと思います。
死刑制度について考えると、俺としては見せしめでしかない。死刑は償いにはなりませんし、覚悟のできている人間にとっては罰にすらならず、楽になるだけです。死んでしまえば、何もつらい事はないし、すべてが終わるだから楽です」
読んでも分かるように、死刑囚側は死刑に対する否定的な気持ちが多いように思う。死刑宣告を受けたら、自分の罪と向かい合い、自分の行いを後悔しながら過ごすのだろうと思っていた。しかし、死刑は「死をもって償うこと」ではなく、「反省も償う必要もないなら死ね」と言っているように感じる死刑囚もいるようで、罪とも被害者とも向き合わずに過ごす者もいる。
自分の罪と向き合い、贖罪しようという気持ちが湧かないと死刑の意味がないように思った。何のための死刑なのだろう。被害者遺族の気持ちと、死刑囚との気持ちとの違いがあまりにもあり過ぎる。だから、どちらも救われないのではないのか。
被害者遺族と死刑囚との交流で、とても興味深いものがあったので紹介する。
弟を保険金殺人で失ったHさん。死刑囚から連日届く謝罪の手紙を読み、死刑囚に会ってみようと思うようになる。拘置所で死刑囚と面会し、謝罪の言葉を聞き、彼と交流するうちに、彼には生きてもらいと思うようになる。死刑をやめさせるようにも言った。
「彼にはもっと生きて、償いの気持ちを伝え続けてもらいたかった。死刑からは何も生まれないと思うようになった。彼のことを許したわけではない。ただ、彼と会ったことで、悔いている彼の気持ちを信じたいと思えるようになった」とHさんは言った。
しかし、死刑は執行され、彼らの交流は突然途絶えることとなる。
他にも、怖くて死刑を望ましい遺族もいた。
遺族も死刑囚も様々な人がいて、様々な思いがあるのだと知ることができた。
ここまで書いても、やはり【死刑】とは何だろう? という気持ちは変わらないし、遺族の気持ちを考えるとあった方がいいと思う。しかし、死刑囚たちが償いの気持ちを持たず、ただ死で罪から逃げるだけなら、ない方がいいように思う。
結局は人が死ぬということは哀しいし、苦しいし、誰も幸せにはなれない。【死刑】からは何も生まれない。それだけは分かる。
最後に、一つの本との運命の出会いについて書きたい。来年映画化される薬丸岳さんの「怪物の祈り」という本。娘を殺された牧師が教誨師となり、死刑囚に復讐のために近づく。生きることを教え、生きる気持ちを持たせるという復讐をする話。二人の魂の対話が二人の気持ちに変化をもたらし、最期にはお互い答えを見つける。その答えに心が震えた。素晴らしい作品だった。ぜひ、たくさんの人に読んでもらいたい。
参考作品、資料
⚫︎「13階段」高野和明
⚫︎「虚ろな十字架」東野圭吾
⚫︎「ルポ死刑」佐藤大輔
⚫︎「絞首刑」青木理
⚫︎「死刑」読売新聞社会部
