読書逍遥11 佐藤優・西村尚芳『特捜取調室 『国家の罠』20年目の再対決』~立場の違いを超えて高い所で共鳴し合えた「盟友」同士の対談を見るかのよう
20年ほど前、佐藤優さんの『国家の罠』を読んだ時、ああ、この方は小泉純一郎政権時代の外務省をめぐる思いがけない出来事から生じた、日本社会の”マスヒステリー”の犠牲者なんだなあとつくづく感じたものだった。
なぜなら、小泉純一郎首相が、自分が総理になるにあたって大きなエネルギーとなった田中真紀子外務大臣と、当時、外務省に大きな力を持っていた鈴木宗男衆議院議員のバトル、いわばハブとマングースの戦い(失礼!)をうまく利用して、結果的に政権にとってとてもやっかいな存在であったお二人を一挙に政界の表舞台から葬り去ってしまった(少なくとも私にはそう見えた)時、その巻き添えを食ってしまったのがまさにこの佐藤優さんであるように思えたからである。
佐藤優『国家の罠』新潮社

佐藤さんがつかまった罪、つまり外務省関連の国際機関である「支援委員会」から不適切にお金を引き出したという「背任容疑」と、国後島におけるディーゼル発電機供与事業の入札に関する「偽計業務妨害」の二つの罪は、平時においては特に問題となるようなものではなかった。何れも極めて恣意的なものだったのだ。
なぜなら、佐藤さんはこの二つの問題に関して、自分が金銭的な利益を得ていたわけでもなかったし、上司の決裁もきちんと得ていた(というか、支援委員会の問題に関しては、支援委員会のお金を使えとさらに上の方から示唆さえされていた)からだ。
それが、当時は国民的人気が高かった田中外相に、外務省の利害を代表して喧嘩を売っている形の鈴木議員にくっついている「外務省のラスプーチン」としてマスコミの格好の標的にされ、国民からも”何て悪い奴だ、稀代の悪人だ”というレッテルを張られてしまった。田中外相が外務大臣としてとった行動自体が、勘違いも甚だしいことばかりだったのに、鈴木議員や佐藤さんだけが一方的に叩かれたのである。
そして、佐藤さんは本当にどうでもよい罪をでっちあげられ、逮捕されてしまったのである。佐藤さんのすぐ後には、「ムネオハウス」という言葉と共に圧倒的に有名になっていた鈴木議員も逮捕され、悪党二人が逮捕されたということで、世間は溜飲を下げたものだった。当時のこのお二人に対するバッシングはそれはそれは凄まじいものだった。
佐藤さんが逮捕された時、その逮捕の理由がもう一つわからなかった私は、佐藤さんが出獄後出された『国家の罠』を読んで、ああそうかと合点したことが一杯あった。と同時に国民の”マスヒステリー”を追い風に、「国策捜査」で佐藤さんを逮捕した検察の恐ろしさと佐藤さんをいわば生け贄にして組織を守ろうとした外務省の狡猾さには舌を巻いたものだった(同じような事は後の森友学園問題でも繰り返される)。この本によく出てくる「時代のけじめ」という言葉も妙に印象に残った。
しかし、私がこの『国家の罠』を読んで、もう一つ思った事がある。それはこの佐藤さんを取り調べた西村尚芳という検事、この検事はここまで取り調べの様子を佐藤さんに暴露されると、これから検察という組織で生きていくのは難しかろうな、おそらくどこかへ左遷された上で辞職し、結局はヤメ検弁護士として細々と生きていくしか道はないだろうな、といささか同情の念を禁じえなかった。当時は西村さんはとんでもない被疑者にあたってしまった不運な人だなという印象だったのである。
しかし、この『特捜取調室 『国家の罠』20年目の再対決』を読むと、当時の西村さんに対して検察内部では批判する人ばかりでなく、理解者もおり、西村さんはその後も検察官としてのキャリアを積むことができたようであり、とても安堵した。
そのお二人が、『国家の罠』発刊の20年後、この『特捜取調室 「国家の罠」20年目の再対決』で対談するなんて私は想像だにしなかった。いや、私以外でも誰が想像しえただろうか。いくら年月がたったとはいえ、取調官と被疑者という敵・味方である。そんな二人が面と向かって対峙するなんてあり得ない。
佐藤優・西村尚芳『特捜取調室 『国家の罠』20年目の再対決』新潮社

そのお二人の対談ということで、この本を読むまでは、本の副題にもある、「『国家の罠』20年目の再対決」という帯にもつられ、きっと当時の取り調べ室におけるバトルを再現・再燃させるような戦いが繰り広げられているんだろうなと思ってこの本を手に取った。
しかし、拍子抜けだった。この本は、まるで立場の違いを超えて、高い所で共鳴し合えた「盟友(名優?)」同士の対談を見るような、連帯感に満ちあふれた本だったのである。
佐藤さんは検察にあれほどひどい目にあわされたのに、「当時の検察としては仕方なかったんだろうな」という信じられないほど客観的なスタンスだし、西村さんは、「この人は悪い人ではない、支援委員会の利用という長年の外務省の慣行に従っただけなんだし、まさに時代の犠牲者だったんだ」という思いが行間のはしばしから伝わってきたのである。
だから、お互い声を荒げることもなく、時に意見の相違はあるにせよ、対談は理知的・理性的に淡々と進む。読んでいて、立場は違えど、お互いにお互いを認め合ったお二人のデュエットを聞いているような感覚に捉われた。誤解を恐れずに言えば、まさに弁証法を人間世界に応用した傑作のようにも感じられたのである。
最後にこの本を読んで思ったこと。それは、検事には、上から目線のとんでもない人間ばかりでなく、西村さんのように人格に秀で、識見に優れた立派な方もおられるんだんあ、という感慨だった。
西村さんが、佐藤さんの投げかけた検察批判に目をつむったり、否定したりすることなく、大川原化工機事件や障害者郵便制度悪用事件(いわゆる村木厚子さんの事件)など、現実に起こった検察の種々の不祥事を通して、検察組織のダメな点に堂々と苦言を呈しておられるのも新鮮だった。今まで、こんな元検事いなかった。
ある意味佐藤さんは西村さんに担当してもらって幸運だった。もし知性も教養もなく、恫喝だけを生業(なりわい)とする検事にあたっていたら一体どうなっていたことか。おそらく想像を絶するとんでもないことになっていただろう(私も、若い検事の、机に足を投げ出さんばかりの偉そうな態度に、目茶苦茶腹立った😡ことがあるので、検事に対する印象はあんまり良くないのです)🤔。
それと幸運?だったのは佐藤さんだけでなく、日本人全体もそうだったと言える。なぜなら、この事件で、佐藤さんというとんでもない「知的巨人」が世に出、その後佐藤さんの書かれた何百冊の本により、多くの日本人が佐藤さんの膨大な知識に触れることができたからである。
それまで、「知的巨人」と言えば立花隆氏の代名詞だったが、これにまったく別の毛色?の佐藤氏が加わったことで、少なくとも私などはこんなスゴイ人がいるんだと驚き、また快哉を叫んだことだった(ちなみに当時私は、佐藤さんの本と並んで、佐藤さんの友人だった米原万里さんの小説やエッセイもよく読んでいた。この方もスゴイ人だった)。
この本で佐藤さん自身も言われているように、もしこの事件がなければ、佐藤さんは国民の誰にも知られることなく外務省の中堅官僚としてその外交官人生を終えていた可能性が高い。それがあの思いもかけない事件で、世に”佐藤優”という名を知らしめてしまった。ある意味世の中はパラドックスに満ちているのである。もっとも、それが佐藤さんにとってはたしていい事であったかどうかはわからないが。
今、私は佐藤さんの『国家の罠』をもう一度読み返している。そして、この事件は日本社会にとってどんな意味があったのか、考えている。
なぜならこの事件の後、国民の圧倒的人気(ポピュリズム)を背景に、小泉政権は実力者野中広務を政界引退に追い込むという形で古い政治に引導を渡し、あの郵政解散という「小泉劇場」で国民の拍手喝采をあびたことにより、これまでにはない強引な政治手法で日本を引っ張っていくことに成功したからである。
それは別の側面から見ると、佐藤さんも述べておられるように、アメリカ社会を席巻していた「ハイエク型新自由主義モデル」(私はハイエクをねじ曲げたフリードマン流の新自由主義だと思うのだが)を日本に根付かせて行く過程でもあった。そしてその小泉政権の衣鉢は、紆余曲折をへた末、より保守色を鮮明にした形で第二次安倍政権にひきつがれ、その結果今の日本がある。
田中真紀子外務大臣と鈴木宗男衆議院議員のバトルがなかったら、そして佐藤さんのこの事件がなかったら、今の日本はどうなっていただろうか、AIにシュミレーションでもしてもらいたいものである。
