【常盤旅】2025/11 淡海乃東 2日目の2 観音寺城
観音寺城跡
虎御前山を陥とした我々は続いて観音寺城へと攻めかかる。観音寺城跡に至るにはまず観音正寺を経なければならないようで、とりま繖山観音正寺へ。
東から観音正寺へ行くには裏参道を通ることになるが、山に入ってからの道がいかんせん狭い。対向車がありませんようにと祈りながら進むのだけれど、わりかし車は通る。離合も大変なのであるよ。まぁ小生はハンドルを握らないので「大変だなあ」と車窓を眺めているだけのお客様状態。
常盤のハンドルを担うのはウエ氏時々アオ氏。絶烈感謝。
小生は教習所を出てから20年以上一度もハンドルを握っていない。アクセルペダルって、どっち側?

繖山中腹の登山者用駐車場に関所があり、先に進むための通行料の支払いとともに一時待機を命じられる。上が狭いため一台降りてきたら一台進む、そんなシステムになっている。幸いすぐに一台の車が下りてきたので、我々はさほど待つこともなく山に入っていくことができた。道狭い。


駐車場から観音正寺へと続く砂利道は少々歩くことになるが、露出した岩が多く時折奇岩などが目を楽しませてくれるので飽きはしない。観音寺城の石垣にはこの繖山で取れる湖東流紋岩が多用されている。湖東流紋岩がなんなのかは知らんけど。

参道を上がっていくとまた関所があり今度は拝観料の搾取に遭う。我々が行きたいのは城跡であって寺ではないのだが、これもまた史跡の保守料と考えれば喜んで納税できる、かも。


元々この山には観音正寺(当時は観音寺)の伽藍や塔頭、坊院群が築かれていたのだが、六角氏が観音寺城を拡張していく過程でそれらの削平地が曲輪として取り込まれていったようだ。であるので、そもそもが防衛施設としてデザインされた曲輪の配置ではないので、城としては脆いらしい。

そんなわけで六角氏は観音寺城を攻められると城をあっさり放棄して、時機を待ったりゲリラ戦に移行したり、ねちっこい戦い方に徹していたらしいのだが、でっかい城の存在意義とは……。まぁ結局、空気を読まない信長が六角のそんな戦い方をドン無視してすべてをご破算にしたのだが。

ちなみに六角期において観音正寺は、観音寺城に取り込まれながらも存在を失うではなく、山岳寺院から城郭寺院へとジョブチェンジを果たして大いに繁栄したらしい。つまるところ宗教的権威と庇護の相互利益らしい。とは言うても六角すぐに逃げるから庇護とはいったい……。


この大石垣に至る道中ところどころに道標ありといえども、「大石垣まであと○○分」といった所要時間が前後するのマジで謎なんだが、なんで?
あと15分かー、と思ってたら次の道標であと7分になっていて、そんな時間が経ったかなと思ううちにあと12分の道標。罠が過ぎる。


集合写真はテンション上がるよね。
木々の緑と苔生した石垣の調和が幻想的な観音寺城跡は、その歴史や史跡的価値を度外視してもなお魅力的で散策するだけでも、とても楽しい。一般的な観光地にお尻を向けがちな常盤旅だけど、観音寺城跡はわりとおススメしたい。ただ、アクセスがわりかし厳しい。表参道は知らないけれど、裏参道は道幅が狭すぎて鬼。
現に山を下りる際に渋滞のようになっていて、しばらく車が動かなかった。
案の定どなたかが事故ってて、停車している車を慎重にギリ回避してどうにか抜けられることができた。それでしばらく「警察呼んだんかなー」「でもこれパトカーきつくない?」「ミニパトやないとなー」「いやいや普通にバイクで来るでしょ」とか話してた。そうしたら山を下り切った辺りで赤色灯をピカピカさせながらクラウンがやってきたから「嘘やろ」と、車中は盛り上がったのであった。
というわけで続きはまた後日。


