観終わりたくなかった | 『誰だって無価値な自分と闘っている』
『誰だって無価値な自分と闘っている』
(原題:『모두가 자신의 무가치함과 싸우고 있다』 画像:JTBC)
大学の映画サークルからの仲間、8人会。
その中で、20年経っても未だデビューを果たしていないのは主人公ファン・ドンマン(ク・ギョファン)だけ。
脚本講座で講義をすれば「でも先生はまだデビューしてないんですよね」と生徒から言われたり、無職と知られることに激しく動揺しまくったり。
空気を読むなんてことは一切せず機関銃のようにしゃべりまくり、相手が誰であろうと辛辣な批評を浴びせかける。
世の中が認めるような肩書を今はまだ持っていないけど自分は価値のある人間だ!とからだ全体で表現している。
第一話は「こんな人、ほんとイヤ…笑」と誰もが思ってしまうはず。
しかしふと立ち止まって考えてみると、ドンマンの周囲にいる人たちだって「大人の振る舞い」をしているだけ。
自分にはちゃんと価値があるのだと周囲に認めさせる手段であり、自信のなさや隠しておきたい自分を知られないようにする。
それが「大人の振る舞い」だ。
子供じみたドンマンを素直で純粋とするならば、大人になって薄汚れてしまった部分だとも言える。
こんな風に煙たがられるばかりのドンマンに、ドンマンの言葉に、癒され理解し、守ろうとするのがもう一人の主人公ビョン・ウナ(コ・ユンジョン)。
この女優さんは、こういう素朴キャラの時が本当に美しい。
半透明のトレーシングペーパーを10枚重ねたような奥行きを感じる透明感と、サラサラした質感の肌。
落ち着いた声もいい。
もしも誰かと交換できるチケットがあるなら、この人にするつもり。
人はみなどこまで行っても内側に無力感や葛藤を抱えているもので、それはいわゆる社会的な成功を手しているかどうかに関わらない。
全てを手に入れた人と他人から見られていても、そうとは限らない。
「誰だって無価値な自分と闘っている」のだ。
誰もが欠けたところを抱える愛すべき人間なのだ。
本当に良いタイトルだと思う。
タイトルを見て『私の解放日誌』を思い出したが、脚本が同じ人だそうだ。
ちなみに英語のタイトルは『We Are All Trying Here』。
まぁ、つまりそういうことだよねとは思ったが…なんかちょっと直接的にまとめすぎというか。
母語が英語の人にとってはしっくりくるのだろうか。
韓国ドラマは16話が普通だが、12話で終わってしまった。
10話まで観たあと、観終わってしまいたくなくて数日間、寝かせておいた。
寝かせても増えはしないのだけど。
そのくらい観続けたかったドンマンとウナ、そして周辺の人々だったのに12話までで本当に残念だ。
16話あっていいテーマだったと思うし、当初は16話の予定だったんじゃないかと思っている。
最後の方は全ての人の問題がきれいに丸くおさまってしまい、駆け足だったように感じた。
もっと観たかった。

