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Episode 175 女性が道標になるのです。

朝日新聞のコラムで「Dear Girls」という連載記事があります。
女性を取り巻く環境や問題をいろいろな事例から切り込んでいく話なのですが、この話の根本は「ジェンダー」と呼ばれる社会的通説に支配された女性の現状があるのだと思います。

振り返ってみれば、1989年にあった日本初のセクハラを扱う民事訴訟から30年。
去年の「Me too」というムーブメントに至っても尚、認知されて徐々に浸透されつつある女性の人権問題でもこの現状なんだというのが私の思うところです。

私は社会がマイノリティを見る現状は、残念ながら「このレベル」なんだと思っています。

人類の約半数が女性であることは事実です。
その人類の半数を占める存在である女性で「さえ」、残りの約半数を占める男性よりも立場的に低く設定されているの現状なのだと思っているのです。

そもそも、私は今の方法で男女が平等になれるなんて思っていません。
だって、カラダの造りや機能が全く違うんですもの、同じになるワケがないじゃないですか。

心とカラダの不一致がある方もいるのでしょうが、カラダの機能だけで言っていしまえば、女性は受精して妊娠し、子孫を残す機能が備わっているワケです。
子どもを産むか産まないかは次の次元の問題でして、女性は成長するに従って産む産まないに関係なく、子孫を残すための準備をカラダが勝手に行うわけです…いわゆる生理現象ですよね。
それに伴って、体調に波ができる…特に生理中などでは、それが健康で正常な現象であっても痛み止めが必要な場合があるとか、男性では全く理解できないことが起こるワケです。
男性と比較して一般的に筋肉量が少ないとか、仕組み自体が違うんですから、男女差があって当然じゃないですか。

その一方で、今の「平等に」…と言っていることって、今まで男性の仕事だと言われてきたことを、女性に「じゃぁ、やってみな」って放り投げている様にしか見えないんですよね。
逆に、女性が今までやってきた仕事を男性に「やってみなよ」って言っているのかと言えば、それもまたどうだろう…。
女の仕事は女の仕事、その上に男の仕事もやってみなって、そりゃぁ無理があるでしょ?

私は男性には男性向きの仕事があって、女性には女性向きの仕事があると思っています。
でも、それは筋力などの体力的にカテゴリ分けされた一般論であって、男性でも家事は出来るし、女性だってトラックの運転とかできるわけですよ。

今まで男性が担ってきた仕事に女性が入ることを拒むのではなく、一緒にやる仲間として受け入れる。
例えば筋力の強い屈強な男もいれば、体力的に恵まれない男もいる中で、それぞれがそれぞれの持ち場で協力しながらで頑張っている…それが女性になるだけの話ですよね。
状況によっては、体力的に恵まれた女性の方が非力な男性よりパワーがあるかもしれない。
体調がすぐれない時にみんなでカバーすることは、男女に関係ないのです。
逆もそう…女性が担ってきた仕事に男性が入っていくことを拒むのではなく、一緒にやる仲間として受け入れる。
そうやって、男女の違いがあることを認めたうえで、活躍できる範囲をクロスオーバーしていくことが男女の平等なのではないかと思うのです。

なんでこんな話をしているのかといえば、社会的にマイノリティとされる人たちの現状は、女性の性差別の問題の遥か後方にあると思っているからです。

女性の人権問題が表に立った裁判から30年。
それでも未だに解決されないこの問題。
そして障害者の問題は、今この瞬間が「女性の人権問題の30年前」にたどり着いているのか?

道程は険しく、長い。

私自身が障害者の立場になってみて、初めて気が付くことがあまりにも多いのです。
女性の人権問題は、障害者の人権問題の遥か先を行くのです。
私は女性の人権が普通に認められる過程と障害者問題の道程を、重ねてみている部分があるのです。

おそらくそれは、同じ根を持つ枝葉。
社会通念として作り上げられてしまった固定観念を壊すことこそ、男女の平等であり、障害者の社会的認知だと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/3/8

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