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Episode 843 アピールの意味が分かりません。

私はお酒が大好きで、何か理由を付けては飲もうとするのですよ。
大体の「酒飲み」はそうやって理由を付けてはお酒にありつこうとするのですよね。
もっとも、理由がなくてもお酒を飲むのが本当の「酒飲み」なのでしょうけれど。

ただ、最近はめっきり「外飲み」をしなくなりました。
街中のオフィス勤務で、公共交通機関で通勤するのならば、近くに繫華街もあるでしょうが、マイカー通勤だと当然、クルマを置いてから出掛けることになるワケです。
繫華街までバスで20分、わざわざ出かけるのも、ちょっとね…。
自ずと「宅飲み」が多くなるワケです。

私にとっての「外飲み」の魅力は、美味い酒と旨い肴。

新久千映先生の漫画が原作で、ドラマ化された「ワカコ酒」のような飲み方が理想的。
だから、ひとりで飲みに行くことが多かったのですよ。
でもね、家に帰ってから、ひとりでフラリと出かけるのも気が引けるものでして、自ずと自宅で晩酌…が増えるのです。

その一方で、「ひとりで味わう」ではなく、コミュニケーションの方法としてお酒を飲む…というのもありますね。
それこそ「サザエさん」で描かれる世界です。
帰りがけにあさひヶ丘駅の改札を抜けたところで波平さんとマスオさんが偶然出会って、「どうだい、一杯」って具合で居酒屋へ。
この世の中の酒飲みは、どちらかというと「こっち」の方が主流なのでしょうね。

どちらが良い…というハナシではなく、「外飲み」はそうやってコミュニケーションツールとして場所と雰囲気を提供する仕組みでもあるのだと思います。
ただし、それはあくまでも定型コミュニケーションの場合。

たとえば、ある店のハンバーグを食べておいしかったとして、夫にも食べさせたい、という気持ちはわたしにもあります。なので、おいしい料理が出てくるとわかっている店に行くときには、ぜひ一緒に行きたいわけです。それならわかる。
でも、二人で食べるとより美味しい、はよくわからない。美味しいものは美味しいし、美味しいなら分けてあげたい。でも、二人で食べたらより美味しい? そうかな? 同じ食べ物なのに? 独り占めしたら申し訳ないってことならわかるけど、そういう意味じゃないよね?

note記事「二人で食べると二倍美味しい、ですか。

引用したのは、あずさ(@41azusayumi) さんのnote記事です。
レストランでの食事がコミュニケーションツールとして使用されることに、戸惑いを感じるあずささん。
でも、定型優位の一般社会では、飲食の場がコミュニケーションツールとして利用されるワケですよ。
これは事実なのです。

だからね、お酒が好きでも、みんなと飲みに行くのが苦手と感じる Autistic(自閉の民) は多くいそうだと感じるのです。
それこそ、私のように「ひとりで飲みたい」ひとは、いるよね。

これね、裏を返せば、あずささんや私のように、居酒屋やレストランがコミュニケーションの場として機能しない人たちがいるってことなのですよね。
そしてそれは、私たちのような Autistic にこそ多くいそうだ…と、思うのです。

足繁く店を回ってパートさんと一緒に品出ししながらおしゃべりして帰って来る…を繰り返して、店の従業員の目に留まる回数を増やすことで、「買ってやろうか」という心情に訴える…これ、実は基本戦略なのですよね。
ぶっちゃけ、競合他社と競合商品をほぼ同額の見積もりで提示して、どっちを取るかって、そりゃぁ…仲が良い方のメーカーの商品を選ぶのよ。

note記事「接触の効果に気づきません。」より

2年ほど前に「単純接触効果」というものを考えたことがあるのです。
そのとき「私はあなたを仲間として認識していますよ」というアピールを定期的に行うことで、仲間意識の継続と確認をする…ということが、定型社会を構成するコミュニティ/コミュニケーションで重視されているという発見を得たのね。

食事をする、飲みに行く…というのは、その空間を共有するのに都合がよい設定なのでしょう。
あずささんの言う「二人で食べるとより美味しい」は、仲間意識の継続と確認という安心感を得ることで美味が増す効果があることを指している…恐らく、そういうことなのだと思います。
だから、仲間に引き入れたい人は食事や飲み会に誘うし、そうでない人は誘わないし誘われない…そうでしょう?

それがレストランや居酒屋の使われ方の主流だとして、誘われたら断らないのがビジネスコミュニティのマナーとして理解できていたとして、でもそれが「苦痛」になるとしたら、どうしましょう。
Autistic のあずささんや私は、他者視点の欠如という「ASDの主たる原因」を持ち合わせている…それゆえに「あなたが私を仲間と認識したいと思っている」を無意識下で理解することがうまくできないのだと思います。
あなたの視点から「私にどんな振る舞いを期待しているのか」を想像する能力が弱いからね。
だから、あなたが「あなたが私を仲間と認識したいと思っている」アピールをしていることにも気が付かないのです。
そのアピールを感じあうから「二人で食べるとより美味しい」になる、ASD者に単純接触効果が効きにくいとされるのは、恐らくこういう事なのでしょう。

もしもASD者にとってのレストランや居酒屋が、定型的コミュニティ/定型的コミュニケーションを模倣する場であったとしたら、好意でセッティングしてくれたそのものが、ASD者を疲れさせて苦しめるだけの場所になりかねません。

定型者の標準コミュニケーションスタイルは、あくまでも標準的定型者向けのものであると思い直す必要があると、私は感じるのです。
「付き合いが悪いなぁ」の裏側にある Autistic の事情が素直に話させる環境が必要になるよね…と、そんなことを思うのです。


少し古い曲ですが、この曲をひさしぶりに聴いて、居酒屋とコミュニケーションのハナシがしたくなったのですよ。
今回の着想のスタート地点を置いておきます。

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